3月19日(月)放送

気仙沼市 被災地女子旅を主催 村松もも子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

気仙沼市にあるゲストハウス「架け橋」のオーナー、村松もも子さん(27)が企画した「被災地女子旅」について伺いました。2泊3日に気仙沼の魅力がぎゅっと凝縮されたツアーです。「気仙沼の人の魅力、あたたかさを感じてもらえたら」と気仙沼市の良さを全国の皆さんに知ってほしい、という理由で村松さんは今月4回開催しました。
静岡市出身の村松さんは、仕事をやめて半年かけて旅をしていた途中にたまたま気仙沼市を訪れて、偶然立ち寄ったこの地に移住してきました。自分で気に入り、8月に訪れ12月には移住するというスピード感のある展開、そして現在はにあるゲストハウス「架け橋」のオーナーとして、忙しく仕事をしています。
いろいろな地域から、幅広い年齢の方々が気仙沼市を訪れ、宿泊のお手伝いをしていますが、まだまだ「観光」目的で訪れる人は少ないということです。今後は気仙沼市の復興だけでなく、街の魅力や人々の温かさに触れて訪れてほしいと願っています。震災を体感しに来た方々にも幅広く、気仙沼市の歩き方や楽しみ方を満喫していただきたいということで、ゆくゆくは地域の人たちに引き継いで、自分は気仙沼市を離れて、外から応援をしたいと考えているそうです。

南三陸町 漁師✖潜水士 工藤忠司さん
林 朝子アナウンサー 取材リポート

潜水士と漁師、二つの顔を持つ工藤忠司さん(35)は気仙沼向洋高校を卒業後、潜水士の資格を取るため広島・尾道の専門学校へ。その後東京の建設会社で護岸工事などのための潜水にあたっていたそうです。港湾土木の仕事や、橋の橋脚を作ったり、東京湾や東南アジアやロシアなど、その仕事の幅は海外にも及びました。東京を拠点に仕事をしましたが漁の仕事をしていたお父さんが体調を崩した事をきっかけに、南三陸へ戻り漁業の道へ進みました。

その後震災が発生。震災の日は牡蠣剥きをしていましたが、その揺れの大きさに異常を感じ避難、その後は家族を歩いて探し回りました。たまたま家族は全員無事でしたが、志津川湾の海辺の自宅は流され、仮設住宅で生活しながら潜水士として海底の瓦礫撤去にあたりました。資格を取った時には想像もしていなかった震災復興の仕事(がれきの撤去)です。今も時折依頼があれば海に潜るという生活をしています。

震災後7年の間に、工藤さんの周辺では大きな変化がありました。自宅の再建を望んでいたおじい様、お父様をなくしました。そして1月には長男が生まれました。自宅は去年末、高台に再建し、新しい生活も始まっています。。。しかし戻らない当時の風景、震災7年という時間は「ようやく、昔のことを懐かしく振り返ることができるようになった」年月、そして「もう戻れない故郷の姿を思い『あの頃は良かった』と思うばかり」とも話してくださいました。

今は前を向くことだけではなく、あの頃を今一度見つめながら、これからの町にゆっくり、じっくり想いを馳せる時間も大切なのかもしれません。ひとつひとつの出会いや再会に感謝し、その意味を噛み締めながら震災7年のいまを伝え続けていきたい、そう思えた1日でした。

Comments are closed.