Archive for イベント

7月2日(月)放送

仙台市防災運動会 今村文彦教授
後藤 舜アナウンサー取材リポート

先月23日にを宮城教育大付属特別支援学校で行われた防災運動会(みやぎ防災・減災円卓会議主催)は、防災意識を高め、防災啓発の強化を目指した取り組みです。災害発生時に役立つ競技が数多くあり、競技のなかには新潟県中越地震で4人が亡くなったことを教訓に生まれた「ぐるぐる体操」(エコノミー症候群を予防する体操)や「減災○×クイズ」、「災害時借り物競走」、そして車いす利用者との避難を体験する「車いす避難リレー」などのメニューがありました。参加者は体を動かしながら防災を学ぶ、また災害時に何が必要か考えながら行動するなどで、「瞬時の判断」の大事さを再度確認したようです。
東北大災害科学国際研究所の今村文彦所長(円卓会議世話人)は、「焦らず落ち着いて行動をすることの大切さ、体の不自由な方への配慮・声がけなどを競技から学ぶ、理解を深めてほしい」とあいさつしました。また「防災運動会は楽しく学べる機会で、小学校3年生から高齢者まで幅広く、体を動かしながら学ぶことができ、町内会などで取り入れ継続することが必要」だとも話してくれました。

菖蒲田浜YARN ALIVE テディ・サーカさん
林 朝子アナウンサー取材リポート

テディさんは40年前に宣教師の夫と当時1歳だった息子さんとアメリカから来日、その後七ヶ浜の魅力に惹かれ、11年前に引っ越ししてきました。「YARN ALIVE」は「毛糸で生き生き」という意味を持ちます。編み物教室を通して被災した人々のコミュニティつくりを、と2週に1度編み物教室を現在も続けています。
震災時、自宅は被災を免れたものの、電気も水も通らない中降った雪を水にして利用し、生活を続けてきました。阪神淡路大震災の時に、高齢のおばあちゃんたちが何人も自殺したことを聴き、祖国へ戻らずに七ヶ浜で大好きな得意な編み物でみんなと親交を深めました。
「誰かのために、の心がみんなを支えていた」と振り返るテディさん。2015年には仮設住宅をでてバラバラになった人々が集まれるようにと「YARN ALIVE」を建設しました。この建物・活動は世界中の人たちの力を借りて成り立ち、今も継続しています。
七ヶ浜のおばあちゃんたちと作ったブランケットは、海外、例えばシリア難民の方々に贈ったこともありました。「これからも誰かのために」この活動は今後も続いていきます。

11月6日(月)放送

石巻市 海苔漁師 相澤 充さん
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市渡波の海苔漁師、相澤 充さんは、津波被害で漁具や施設が全壊し、再開には数億円の費用が掛かるほどの大きな損害を受けました。このため、家族と相談した結果、当時1年間の休養を決めました。この震災では大切な親友もなくしています。その親友の亡骸は翌年の夏まで見つからなかったそうです。
震災後、身を寄せていた避難所で自分の「これから」にとって大事な人と出会うことができ、いろいろな葛藤があった中で、翌年休業から海苔漁師を再開します。その大事な人とは遠藤伸一さんという方です。避難所の2代目代表で、震災でお子さんを3人亡くされていました。計り知れない悲しみの中、避難所のサポートを全力でしている姿を見て自分を奮い立たせました。
もう一度海苔をつくろうと思った大きなきっかけは、震災を通じて得た出会いやそこで生まれた気持ちです。「人」とかかわることで、親友に「おまえ、やったな」といってもらえるような、過去と向き合い、しっかりと前に向かっていく「自分にしかできないこと」を今後も手掛けていきたいと話してくれました。

<スタジオゲスト>
特定非営利活動法人オペレーションブレッシングジャパン
プロジェクトマネージャー 新實千枝さん

アメリカに本拠を置く国際NGO、特定非営利活動法人オペレーションブレッシングジャパン は、津波で船を流された方に漁船を提供したり、眼鏡を失った方に支援する「めがね支援」を展開していました。新實さんは、震災時に宮城県の大衡村で学校に通っていてその後、ボランティアとして南相馬市に入ります。現在、プロジェクトマネージャーとして南相馬市で活躍していますが、東北の復興支援、日本で起きる災害の支援なども行っています。
12月には、南相馬市のゆめはっとで「南相馬市ファミリークリスマスコンサート」を開催する予定で、県外や避難先で生活をしている方々も参加できるイベントを開催します。1000人規模の大きなコミュニティは今までにない規模で、南相馬初、ゴスペルクアイワも披露されます。

福島を希望の地に「南相馬市ファミリー・クリスマス・コンサート」
日時 2017年12月9日(土)
   午後4時~
場所 南相馬市民文化会館 ゆめはっと (大ホール)
電話 022-779-6579
HP  https://www.facebook.com/fukushimaxmas/

9月11日放送分

七ヶ浜町Fプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

七ヶ浜町Fプロジェクトの「F」はふるさと、ふっこう、フューチャーの頭文字「F」をとってFプロジェクトと名づけられました。七ヶ浜町の向洋中学校の生徒数人と、向洋中学校教諭の瀬成田先生が中心として活動しています。誰がメンバー、などという登録制ではなく3年生5人、2年生2人の計7人のリーダーが活動計画を立ててその都度全校生徒に呼び掛けてメンバーを募集しているそうです。これまでの活動は、地域の災害公営住宅に出向き歌を歌ったり、一緒に料理したり、菖蒲田浜の清掃活動や公営住宅の周辺の雑草をとったりなど様々な活動をしています。
中学3年生の阿部花映さんは、中学生でしかできない事、中学生にもできることがあるんだな、と活動を通じて感じたそうです。活動の一環として、中学生たちが小学生に震災の記録を伝えようと活動も行っていて、自分の経験を話して東日本大震災の記憶を伝えています。
Fプロジェクトとかかわる前は、自分が一番不幸だと思ったこともありましたが、話すことで自分の心が軽くなることもありました。そして様々な被害にあった人の話を聞く中で、傷ついているのは自分だけじゃないんだと分かったそうです。子どもたち同士では、震災の話はなんとなくしない雰囲気がありそれぞれどれくらい被害があったのかということを知らなかったそうですが、一緒に活動をする友達の震災当時のことを「知る」こともできたそうです。
Fプロジェクトは、今後も3年生から2年生にリーダーを譲り活動を継続していきます。今後も中学生たちの地域活動、社会参加で成長する姿が楽しみですね。

山元町「学習塾よつば」 代表 宮本 匠さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

北海道札幌市の出身で、少年時代から野球に打ち込み大学は筑波大学に進学した宮本さんは、学生時代に学生ボランティアとして宮城県に何度も足を運びました。大学を卒業した後は、北海道に戻って教育関係の仕事をしていましたが、3年前に単身山元町に移り住み、学習塾を開きました。現在中学生11人、小学生2人を指導しています。
震災を経験した子供たちとともに勉強に励む日々ですが、震災を経験したことで特に変化があるわけではありません、ただ地震の話や震災の話をするときは、子供たちがとても大人のような話をすることがあり、そういった部分はとても大人びて見えるそうです。
現在3年目を迎える「学習塾よつば」では、生徒たちに教えすぎない環境を作り、自分自身で学ぶ姿勢を作っていくことが今後も長く継続することを望んでいます。学力も他地域に比べてまだまだ及ばない部分もありますが、学習環境を山元町で整えて、一生懸命やることが恥ずかしくない場所をつくってあげられたら、と毎日思って子どもたちに向き合っています。

9月4日放送分

石巻市ローズファクトリーガーデン 徳水利枝さん
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

石巻市の塾講師だった徳水さんは、高校に通う娘を迎えに行く途中に東日本大震災を経験しました。雄勝にあった自宅と実家が津波で流され母親を亡くし、その後実家の跡地にだれでも自由に楽しめる「雄勝ローズファクトリーガーデン」を開きました。亡くなった親せきや母親を弔うための庭で、6年間で100名以上のボランティアや庭園の専門家が訪れ庭園の整備などでたくさんの方々に支えられてきました。そのガーデンが今、かわり始めています。
 移転については行政側から2014年に打診され、行政側と自分達の考え方の温度差を感じ、何度も再考を検討してきてもらいました。一生懸命作ってきたものを必要ないですね、と言われているようで…移転には動じません、と以前は回答していたそうです。しかし、日照時間などを計算してもらっている造園会社の社長さんが「動かないでいるより、将来的にきみんなが寄れそしてきれいな花が咲く場所に移転を」と進言したことがきっかけで、前向きに検討することになります。
 雄勝のシンボルになりつつある「石巻市ローズファクトリーガーデン」は、行政側が市民の活動をより生かそうという復興計画にシフトしていることもあり、徳永さんは以前の場所の50mほど内陸側の土地を無償で借りることができました。今では、現在の1.5倍の広さで庭や喫茶スペースのあるガーデンを計画に盛り込む、「雄勝で足を止められる、誰かの何かの意味になる場所」に生まれ変わりはじめました。運営は徳水さんはご主人と二人で、ボランティアの力を借りて本格的な新ガーデン作りの作業に入っています。来年、バラが咲くまでには、新しい「石巻市ローズファクトリーガーデン」がお披露目されそうです。

気仙沼市 福幸酒場おだづまっこ 熊谷英二さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

「お調子者」の意味をもつ“おだづもっこ”の気仙沼の方言“おだづまっこ”という名前の居酒屋を経営している気仙沼市の熊谷英二さんは、福幸小町という気仙沼復興飲食組合のプレハブで居酒屋営業をしています。2011年5月に組合を結成してから今までの6年間は、自分を成長させてくれた時間で自分は生かさせてもらっている、という気持ちで営業を続けてきました。
今後来年10月で土地の契約が満期になり、福幸酒場おだづまっこは本設営業の土地を見つけなければならなくなりました。今までは気仙沼市にも建築関係・土木関係の人が多く来てくれましたが街がきれいになるにつれて減ってきている現状があります。本設営業に向けて、熊谷さんはさらに腕に磨きをかけて、舌が覚える味づくりにも熱が入っています。ランチ営業と夜の居酒屋営業の2部営業を続けていますので、気仙沼市に行く際はぜひお立ち寄りください。おすすめはメカジキのカマ煮定食がおすすめです!

8月28日(月)放送

石巻市石巻観光タクシー 語り部タクシー 
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市でタクシーの運転手をしている石巻観光タクシーの高橋信悦さんは、震災当時の状況と復興の様子を話す「語り部ドライバー」をしています。会社の中では8人の語り部がいらっしゃいますが、高橋さんは震災後に語り部ドライバーとして、タクシーの運転手になりました。震災で仕事を失い、友人のタクシー運転手に、タクシーの収入が出来高制であることや自分の頑張りが反映されるシステムだったということもありこの仕事を選びました。
 被災地の現状、思いを伝えていく必要があると感じている高橋さんは、復興する街をタクシー運転手として変化を主にお客さんに伝えています。震災から立ち上がってきた人の話し方や表情を肌で感じ、生の声で伝えることにやりがいを感じています。同時に伝えることは難しいと感じていますが、それぞれの思い、考えを被災者の一人として寄り添っていくことこそが、震災を学びに来た人に伝える第一歩だと考えています。
 今後も、壊滅状態だった石巻の街が復興していく様子を、タクシーの窓から見つめ、被災した人と触れ合うことを日々続け、語り部タクシーとして1年後、2年後もずっと続けていきたいと話してくれました。


山元町普門寺 住職 坂野文俊さん
伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

8月26日(土)に行われた「願い ふるさとまつりおかえりまつり」を企画した山元町普門寺 住職 坂野文俊さんは、震災後「お寺災害ボランティアセンター てらせん」を立ち上げて復旧復興に尽力されてきました。きっかけは、震災後普門寺を会場に無料のカフェ「てら茶坊」を提供したことがきっかけです。始めたころはお菓子を作ってコーヒーを飲みましょうというところから始まりましたが「工芸品の展示をしたい」「ワークショップを開きたい」など人が普門寺にどんどん集まってきて今があります。
 坂野さんは場所を提供するだけでなく、ここをきっかけとして出会い、やりたいことの実現につなげていく場所を山元町につくっていきたかったそうです。それが現実になり、ここ普門寺は多くの人が集まる場所となりました。
 8月26日に行われたお祭りも、予想外の多くのお客さんが訪れスタッフも一緒になって楽しむことができたそうです。山元だけでなく九州や秋田の豪雨災害にボランティアへ参加している坂野さんは、東日本大震災で助けられた、という思いのもとに学生ボランティアなどと連携して復旧のボランティアを今も積極的に行っています。