Archive for 2017年1月30日

1月30日(月)放送

スタジオゲストインタビュー
・東北学院大学教養学部地域構想学科教授 金菱清氏

金菱先生は、東北学院大学の地域構想学科が立ち上がった2005年に東北学院大学にいらっしゃいました。大阪ご出身の先生は、阪神淡路大震災も経験され、大学では社会学を研究する学科に進みました。その後、東日本大震災に遭遇し、大事な人を失くした方々の映像やインタビューなどを通じ、震災の「記録」を辿り、社会科学の論点から震災を研究しています。
 震災で経験した事象を「聞く」作業と「書く」作業は、全く異なるもので、当事者の「書く」作業は自分と向き合い、そして亡くなった人(死者)といっしょに作り上げるもののようだと感じたそうです。「書く」作業は、津波や建物の倒壊などの描写で始まらず、亡くなった人への愛を書きとめるもので、日常生活を書きつづり、亡き人との時間、愛情であることが多かったそうです。
 金菱先生がまとめた書籍「慟哭」は、震災を知ったつもりだった私達に、新たな感情を芽生えさせ心に突き刺さる心の声、物語をおしえてくれます。亡くなった人に向き合うお話からは、思いと深さ、災害の全体像を感させるでしょう。残されてしまった人々の思いを感じて、災害が人間に残した傷を感じて頂ければと思います。

○お知らせ
「亡き人の声を感じ、生きるという力」
金菱先生は、昨年に続き2月5日(日)にシンポジウムを開催します。東日本大震災から間もなく6年を迎えようとしている今、亡き人の声を感じ、生きる力の源泉を探索し続ける分野の方々にお話しします。
・日時  2017年2月5日(日)
     14:00~17:00
・場所  東北学院大学 ホーイ記念館ホール 地下1F
・入場無料

詳しくは
・東北学院大学ホームページhttp://www.tohoku-gakuin.ac.jp/volunteer/?p=21122
をご覧ください。

1月23日放送

亘理町吉田 斎藤美智子さん
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

亘理町吉田に「お菓子のアトリエリモージュ」という小さなケーキ屋さんで、2003年開店当時から従業員として働いているのが、生まれも育ちも亘理町の斎藤美智子さんです。
津波で被災した斎藤さんは、住み慣れた故郷を離れて暮らす毎日にふと思う事があります。
震災当時、お父さんが「チリ地震では膝までしか津波は来なかった」という話を信じていたので、逃げませんでした。しかし、海から200mにあった平屋の自宅にはあっという間に波が押しよせのまれてしまい、波の中を浮いたり沈んだりして知らない方の家のカーポートに逃げ、その家で一晩を過ごしました。
 2011年の4月からは4人の息子さんと、震災後に岩沼市内のアパートを借りて過ごすようになります。しかし亘理町の自宅のような近所づきあいではなく、上の階の人には結局会う事はなかったそうです。「これが都会の生活なんだ」と驚いた、と当時を振り返ります
 その後、職場のお菓子屋へ戻り「再建」へと歩み始めます。地域の方々は親切でタオルがないと話すとタオルを下さったり、食器がないと相談すると食器を提供してくれたりと本当に親戚づきあいのような環境で、皆さんからの親切、あたたかさを更に震災後に感じるようになりました。そのおかげもあり3ヶ月後には元の場所で営業を再開することができました。
 その後旦那さんの実家のある山元町に引っ越しますが、亘理町に比べて山元町には交流の場がたくさんありました。ご主人が山元町民だったという事もありここでも大変人に恵まれました。「何もなくても人がいれば大丈夫。故郷を離れたけれども、人と人とがコミュニケーションを取り合えればうまくいく」と感じたそうです。
今後も、顔を知っている人達が何かあった時に助けてくれる地元になるようにコミュニティづくりに取り組みたいと話してくれました。

ゆりあげさいかい市場 「栁屋」 栁沼宏昌さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

栁沼さんは、ゆりあげさいかい市場の振興会会長を務めています。震災前は名取市沿岸南部の北釜地区で青果物の卸売り専門として勤めていらっしゃいましたが、今は八百屋がなかったさいかい市場で出店しています。震災後、市場は間もなく5年を迎えますがまだまだたくさんのサポートをしてもらっているな、と感じるそうです。
 さて、栁屋を5年前に開業した栁沼さんですが今後の本節移転に向けて、店の営業形態をどうするか悩んでいます。本設に移転する時こそ「0」に戻れるからこそ、タイミングや店の軸(コンセプト)について真剣に考えなければ、と思っているそうです。
 近々、本設商店街が出来る予定ですが、スピード重視で利用者を置き去りにしている感じが拭えないと思っています。そこで本当に商売が成り立つのか、もっと意見を反映してくれないかなど自問自答が続きます。
悩ましい問題がすべて解決すれば、すぐに飛び込みたいとの思いがありますが自分の新しいお店の将来を考えると、何事にも慎重にしていかなければ、と思いを巡らせます。

1月16日(月)放送

南三陸町「創菜旬魚はしもと」 及川満さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

南三陸町さんさん商店街で昨年12月末で営業を一旦終了し、3月3日に新しく本設オープンを待つ「創菜旬魚はしもと」 及川満さんにお話を伺いました。
きらきら丼や新鮮な魚、大きなカキフライなど、お店での食事は毎回訪れるたびに満足している伊藤アナウンサーのお気に入りのお店です。今年3月からは新さんさん商店街での営業となります。きょうは、新店舗オープンの前にお邪魔してお話を伺いました。
現在は、カウンターとテーブル席で20席ほどのお店ですが、次の新店舗はより大きな場所での営業です。新しいお店では、今までよりも家賃も高く、昼間の営業と夜の営業の2部制で、特に夜の営業がメインになっていきます。
地元のお客様にも観光のお客様にも満足して頂けるよう、この休業期間はメニュー決めや料理のラインナップなどに勤しんでいます。
及川さんは、これから個人事業主として新たなスタートをきります。今回の本設ではじめて「自分のお店を持つ」、これからが本番です。

南三陸町 新コミュニティ再生へ向けて 佐藤清太郎さん
根本宣彦アナウンサー取材リポート

集団移転によって造られた新しい街でのコミュニティ再生に尽力する佐藤清太郎さんを取材しました。
やっと、自分の住居ができてうれしい反面、新しい街にはまだ生活の営みであるスーパーや商店、金融機関などの整備が途中です。
南三陸街で育った佐藤さんは、生まれ育った町に戻りましたが隣の登米市に買い物にでています。
車のない方は病院の敷地内にあるコンビニエンスストアに買出しに出ていて「買い物難民」になっている方が多いようです。
また、震災前と同じ行政区内の方が志津川に戻ってきましたが、コミュニケーションづくりをしないと孤立化するという問題も表面化してきました。佐藤さんはみんなで集まる機会をとるために、ラジオ体操をはじめたり、お茶っこ会の場を作ったりして絆の再生に勤めています。
地域の皆さんと交流を通じて健康寿命を延ばそうと思う一方、街の高齢化も心配です。震災後、少子高齢化ではなく高齢社会になったこともあり、子供の声が聞こえない、これから南三陸を担う子供たちが少ないことが気がかりです。
震災前の南三陸町の人口は1万7600人でしたが、去年12月には1万3500人となり4000人近く町民が減ってしまいました。
地元に帰りたくても、その思いは時とともに薄れ、また若い人は帰りたくても働くところがないと新たな問題も増えました。これは南三陸町に限ったことではなく、全国の過疎、高齢化の問題を抱える自治体共通の課題でもあります。今後の復興の行方弐注目していきたいですね。

1月9日(月)放送

あけましておめでとうございます、2017年も宮城県内の震災後の様子をくまなく取材していきます。どうぞよろしくお願いします。
 さて、本日は毎年恒例(!?)、岩沼市の復興に尽力されている谷地沼富勝さんに3年連続お越しいただき「岩沼の今」をお伝えいただきます。
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岩沼市では集団移転が行われていてコミュニティ面ではソフトの充実がさらに必要になってきました。2016年は熊本地震で被災した熊本県の益城町にも訪れ被災地同士の意見交換を行いました。岩沼市にある「みんなの家」はもともと益城町からスタートしたこともあり、交流を継続しながら支え合っています。

また、岩沼市は「みやぎしろめ」の発祥の地ということで、「岩沼みんなの家」ではクラウドファウンディングを利用して日本全国、世界へ「まめもち」を発信したいと考えています。
まだまだみなさんの力が必要です。
お力添えを頂ける皆さま、興味のある方は「岩沼みんなの家」HPまでご連絡ください!