Archive for 2017年3月27日

3月27日(月)放送

東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校
鈴木実森アナウンサー取材リポート

3月4日、5日に「東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校」という防災、減災に関する活動発表会やワークショップが行われました。多賀城高校災害学科は、去年の春に新設された学科で全国2番目、宮城県内初の学科設置となりました。
この日は、北海道から青森兵庫など日本各地の高校生が参加し、被災地をバスツアーで案内する催しもありました。多賀城高校の生徒はお手製の街歩きマップを作成し、それを元に中高生60名を案内したそうです。
兵庫県から参加した高校生は、阪神淡路大震災を経験していない世代で「復興」した神戸の街しか見たことがない生徒ばかり。今、私達が出来る事は何かを、多賀城高校の生徒から学んだようです。
薄れゆく震災の記憶を風化させないために、多賀城高校の生徒たちは今後もたくさんの人たちに東日本大震災を伝えていきます。

第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞受賞
宮城県農業高校 食品化学科2年 金山澤杏朱さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

金山澤さんは、被災した塩害農地でそばを育てた「そば」を利用したボランティアで、「第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞」を受賞しました。塩害農地で育てた「そば」を打って、仮設住宅でふるまいコミュニケーションをとりながら仮設住宅を訪問するボランティアです。
仮設住宅の訪問前には、住んでいる人たちが「暗い生活をしているのではないか、元気がないのではないか」というイメージを持っていたそうです。金山澤さん自身、引っ込み思案で人見知りのためうまく自分を出せないのでは、と考えていたからです。
しかし、その悩みも活動を行っていくうちに、仮設住宅に暮らす方々から逆に元気をもらったり勇気づけられたりと、活動の過程の中で自分が「成長」していったそうです。今では、この活動を伝えたい、後輩にも引き継いでほしいという思いで溢れています。
全国1700件のボランティア活動の中から、最高位の賞をとれたのもまだ実感がないと話す金山澤さ。、残る高校生活1年の中でも積極的に活動を行い、県外の大学へ進学しても「いつかは、地元宮城で活躍したい」と考えています。

3月13日(月)放送

石巻市「」(かぎかっこ)プロジェクト 高校生百貨店
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市で活躍しているNPO法人「」(かぎかっこ)プロジェクトの取組を取材しました。「」プロジェクトは、高校生(男子3人、女子10人、先輩大学生5~6人)、運営スタッフ3人で構成されています。
石巻市への「地元愛」を探してもらいながら、高校生が自分達で企画したイベントや商品開発を行っています。
石巻出身の高校1年生、千葉さんは中学校3年生の時に友人から誘われたのがきっかけで参加しています。プロジェクトのひとつ「高校生百貨店」は、高校生がバイヤーとなり石巻圏域の東松島市、女川の地域商品を仕入れ、仙台市や東京など各地のイベントに参加し店頭販売なども行っています。
 生産者の声も添えて商品をPR販売することは、地元、石巻市のことも知っていなければなりません。また、生産者の方についても詳しく知っていなければなりません。仕入れの段階から生産者の方々とコミュニケーションをよくとり、対面式の販売では物の良さだけではなく、人が見えるような話をしていきたいということです。
イベント会場では「石巻市の被災の状況」をもよく聞かれるそうです。涌谷出身の熊谷君が伝えたい、高校生目線の石巻市の魅力とは、“石巻市は「被災した街」だけではない、力強い街であることを強く印象付けたい”と思いを持っています。
3月18日(土)からは東京で販売会がはじまります。そしてはじめて、商品のひとつに東松島市のソックモンキー「おのくん」が加わります。宮城県、そして石巻市の現状を東京でたくさんの方に伝えてきて欲しいですね。

TTT(つなぐ・ティーンエイジャー・ツアーガイドオブ野蒜)尾形祐月さん
高校を卒業して、今思うこと。
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

高校生活の多くの時間を注いできた「語り部」の活動を、この春の高校卒業とともに一区切りさせた仙台白百合高等学校卒業生、尾形祐月さんにTTT(つなぐ・ティーンエイジャー・ツアーガイドオブ野蒜)の活動を振り返ってもらいました。
2011年3月11日は、野蒜小学校からの帰宅途中に尾形さんは地震、津波に遭遇しました。この日は「野蒜駅前商店街マップ」が完成し授業で発表が終わって「野蒜の街の役にに立てる仕事ができたのかな」と思っていた矢先での被災でした。この日を境に、街の景色が一変してしまいます。
尾形さんは、その「野蒜駅前商店街マップ」を手に東松島市野蒜地区でガイドを続けてきました。発表の日には形のあった町並みが今はそのガイドマップにしか残っていない現実。東松島市野蒜地区を訪れる人々には、そのガイドマップを見せながら「ここは今、更地にしか見えませんが、本当はこんなに住宅があって、こんなお店や生活があったんです」と説明した事が多くありました。
目に見える風景と、思い出に残る風景の違いを説明するのは大変難しいことでしたが一生懸命話すことでたくさんの皆さんに野蒜を知ってもらうことが出来た、と話してくれました。
これからは、関東地域での新たな大学生活が始まりますが、今までの経験、そして震災、防災への思いは消える事はありません。新生活で新たに出会う人たちと話すことで、より深い思いや考えが浸透してほしいものです。

3月6日(月)放送

本日は、特別ゲスト「ゆず」の北川悠人さん、岩沢厚治さんがスタジオにいらっしゃいました!
 
東日本大震災後、宮城へたくさん足を運んでいるゆずのお2人は、TBCラジオを通じて被災地にメッセージと歌声を届けてくれました。本日はその2人が震災から丸6年を振り返りお話してくださいます…

震災時は、全国的に自粛ムードで「ここで歌っていいのか」と2人は考え、葛藤し迷いながらライブに臨んでいたと振り返ります。しかしいつもと変わらない声援やみんなの笑顔に、「歌をうたうことで東北の皆さんと気持ちを共有できたのかな」と改めて思うことができました。

最初は東北の方々がライブでも静かなため「本当に歓迎されているのかなぁ」と心配になることが多かったそうです。しかし現地で、空間を共有することで心と心のつながりを感じ、デビュー当時の路上ライブに近い、不思議な気持ちになったそうです。宮城県に限らず、東北の被災地で演奏することでテレビでは掴めなかった感覚を、現地で共有することで「絆」を感じる事ができ、また被災地でライブを重ねる事により距離感が縮まることを実感しました。

そして「また会おう」という言葉の意味が、「希望」にかわること、無理せず時間をかけながら東北、宮城に寄り添うことを今後もじっくり続けていきたいと話してくれました。この6年、被災地に何度も足を運んでいた中で、街並みが復興復旧しているスピードに驚きつつも、進まない「心の傷」を考えることも必要ではないか、あの時に戻れない哀しみもあるのではないかと感じる事もあります。みなさんの気持ちを思ってまた、ずっと足を運びたいと思っています…

 いつの間にか、TBCラジオが「親戚の家に戻るような気持ち」になったとお話し下さったゆずのお2人。いつでも遊びにいらっしゃってください。お待ちしております…