Archive for 2017年10月30日

10月30日(月)放送

石巻市 一般社団法人石巻じちれん増田 敬会長
伊藤晋平アナウンサーリポート取材

石巻市にある石巻じちれんは、集約が始まっている仮設住宅の集約をする団体で「町内会」の活動を活性化させる役割を担って、見守りあう形の街づくりを目指しています。お互いを見守るコミュニティは、仮設から仮設へ移動してきた人たちとの人間関係を深め、復興住宅に入れない、先の見えない生活を送っている人たちの悩みや自立再建の相談を行っています。
仮設住宅に住む方々の孤立の防止、移住してきた人たちとのコミュニティを保つため、「つながりお茶っこ会」を毎週1回開催し、サポートメンバーは復興住宅へ転居したい人や仮設団地自治会役員が多くいます。
増田さんは、夏におまつりをしたいと、新蛇田1号公園にて新蛇田盆踊り大会を行いました。交流には子どもから大人まで参加し、とても楽しめたようです。今後も数多くのサークルをさらに増やし、もっともっと参加できるきっかけを増やしたいと話してくれました。

防災タウンページ仙台版について
NTTタウンページ石井 真さん

”いざ”というときに生き延びるために作成された情報冊子「仙台防災タウンページ」は、緊急連絡先メモや災害情報の入手方法、避難の手引きといった防災記事や、災害時に役立つ公衆電話の設置場所や避難場所、避難所のハザード情報を仙台市のマップ内に表示し、日々の備えから災害発生時に活用できる構成となっています。
仙台市内の全住戸、全事業所を対象にタウンページと一緒にビニール袋で包装して先月9月に68万部を発行しています。表紙には震災時の画像をバックに仙台の防災タウンページであることを大きく記載してあります。防災タウンページの特徴は見やすく、使いやすい作りとなっていて、「防災まさむね君」「タウンページ君」のキャラクターが案内する幅広い世代の方に迅速な行動がとれるようになっています。
仙台市にお住まいの方で、手元にない場合はタウンページセンター、0120-506309までご連絡ください。

10月23日(月)放送

亘理町農業法人グリーンキューブ(株) 高橋久志さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

亘理のイメージは、というとイチゴ、あと何かありますか?と話す高橋さんは、現在亘理町で農業法人グリーンキューブ(株)を経営しています。震災で農家をやめる人がいる中、イチゴ農家からコメ農家に舵を切り、除塩した田んぼで震災後翌年からコメをつくりを再開しました。農業を続けるなら規模を大きくしようと農業法人を設立し、ニンニクまで手を広げます。
ニンニクは中国の自国消費が多くなり、輸出される量が減少してきました。ここ1~2年で新潟、栃木でも栽培が盛んになり亘理町の気候にあっていることから栽培を始めましたが、栽培しはじめると土壌改良や水分補給が大変なことがわかります。
しかし、もうからないといわれている畑で、高値取引が期待できるニンニクに、今後の期待が高くなります。ゆくゆくは、亘理町と言ったら「イチゴ」「ニンニク」といわれるまでに成長させたいと話します。
そして今は「田んぼ」需要の多さと「畑」需要の低さの差に頭を悩ませますが、利用していない畑をなんとかアイディア勝負で活用させていきたいと願っています。家庭菜園でも、週末菜園でもきっかけにはこだわらず、亘理町の空いている畑を何とかしようと知恵を絞ります。最終的には、亘理町のあまっている農地をみんなに使ってもらい、たくさんの人が町に来るような仕組みづくりをしたいと思っています。「農業には十分な将来性がある」、このチャレンジ精神にあふれる高橋さんの今後が楽しみです。


多賀城市 とんかつとんちん館 桜井一欽さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

震災から6年半が経過し、今も多賀城でとんかつ屋を営む桜井さんは、多賀城の出身で震災後もお店を再開し多賀城の街に賑わいを取り戻したいと一生懸命考え行動されている方です。震災当時は他のお店よりも再開が早かったとはいえいつも不安を抱えながら仕事をしていたそうです。周囲のお店が震災前の通りにまた再開してくれるという希望を持ちながらの経営です。
自分自身のお店が軌道にのってはいるものの、多賀城市内の賑わいは果たしてどうなのか、現状に疑問を感じた日もあったそうです。
街は時間の経過とともに復興していきましたが、震災を伝えていく必要性も感じています。生まれ育った多賀城の街にいつ賑わいが戻るのか、一度足を運んでくれた人がもう一度来てもらえるようになるにはどうしたらよいのか、試行錯誤していますが、思いはひとつ「食べに来てくれた人が笑顔になれる場所に」その目標に向けて、今も多賀城で営業を続けます。

10月9日(月)放送

石巻市アトリエらいおんどあ 宍戸紀彦さん
小笠原 遥アナウンサーリポート

大手菓子メーカーで、研究員としてお菓子の開発に携わっていた宍戸さんは、会社を退職後1998年に石巻市にお店をオープンしました。応援メッセージを刻印したクッキーやパウンドケーキなど、すべて手作りの商品を販売しています。東日本大震災では、店は被害を免れ10日後に営業を再開しました。
しかし、再開してからもその後も様々な苦労があったそうです。
震災後は、何か食べるものを提供したいと思っても、まず電気が復旧しませんでした。一番必要だったのは「主食」のため店を開けてもお菓子を求める人はいなく売り上げもお客さんも激減したことです。しかし、2011年5月から「被災地を応援したい」という方々の思い、相談を受けてから3年間継続して、避難所や幼稚園にパウンドケーキを届ける取り組みを行いました。当時は支援物資しかなく、届け先の子供たちに「お菓子だ!」と喜んでもらったのがとても印象的だったと話す宍戸さん。大手菓子メーカーでは、ヒット商品を開発してもこのように直接的な喜びを目の前で感じることができなかったため、人のためにそして人のために自分のお菓子作りが役に立ったことが大変うれしかったようです。
現在は、「アトリエらいおんどあ」ではお菓子教室も開いています。地元のコミュニティづくりにも一役かっていて、そしてその教室では”人が喜ぶお菓子作り”をする研究に余念がありません。これからも地域の人々から愛されるお店であり続けたいとお話しくださいました。

あとりえらいおんどあ
宮城県石巻市泉町1-5-3
TEL:0225-22-2135/FAX:0225-22-2135

ツールド東北 民泊提供者 東松島市 菅原かず子さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

先月中旬に行われた、「ツールド東北」で菅原さんはご自宅の一角とご自身が営む農家レストランを民泊として提供しました。第1回大会から始めたこの民泊は、被災地の宿不足を解消するための取り組みで、参加者が少しでも石巻エリアに宿泊できるようにとはじまりました。震災後の”恩返し”から民泊をはじめた菅原さんは、2年ぶりにゲストを迎え入れたそうです。
自宅の部屋、農家レストランのこあがりなどを提供していますがこの場所は、みなし仮説としてお知り合いの家族に提供したことがあり、その時に居住空間としてリフォームを施していました。今も震災を経験した地元の方々が集う憩いの場となっています。
「みんなの憩いの場」は、県外から来たゲストを息子や娘のように迎える温かい場所でもあります。菅原さんの思いがあふれる、そしてゲスト同士もコミュニケーションが生まれる、思い出深い場所となったようです。
農家レストラン 和花の里
宮城県東松島市小松字明神下205-2
TEL 0225-83-2234

10月2日(月)放送

10/8(日)開催!女川ファッションショー2017
林田悟志アナウンサーリポート

プロのモデル、2012年のミスユニバースジャパンの原綾子さんもイベントプロデューサーとして参加する「女川ファッションショー2017」が10/8(日)に開催されます。一般公募のキッズ・ティーン女子が秋物ファッションに身を包み、JR女川駅前のレンガみち・シーパルピアのランウェイを歩くということで全国から、このランウェイを目指して神奈川や秋田からオーディションに参加する子どもたちもいました。
実行委員長の崎村周平さんは、生まれも育ちも女川町でグラフティアートを仕事にしています。女川町は崎村さんにとって大事な街。昔から思い描いていた「楽しめる場所」を今、自分で切り開き先陣を切って手掛けています。バー「sugar shack」はその地元に対して何かしたいという思いの第一歩で、今後は女川町が楽しい町にできるかどうかをもっと真剣に考えていきたい、そうしなければならないと心に決めてバー経営と、街に活気をもたらす仕事を手掛けています。10/8(日)は、その思いがこもったファッションショーを間近に見てほしいものです。


「防災ネットワーク」(石巻市) 当時の状況と今後の課題
林朝子アナウンサー取材リポート

東日本大震災時当時、旧北上川沿いにある八幡町で行われていたもので、地区で長年民生委員を務める蟻坂隆さんに、当時の状況と今後の課題を聞きました。蟻坂さんは住民を助ける役割でしたが、仙台市内に所要のため出かけていて石巻を留守にしすぐに駆け付けることができませんでした。そのあとすぐに津波が発生することが推測できたため、すぐに石巻市へ戻り、支援の必要な人達を助けに駆け付けます。
しかし、要援護者として登録されていた方々のうち助けられたのは登録者17人のうち、4世帯5人の方でした。この経験から、ネットワークの課題を見つけることができました。
要援護者1人1人の病状や、避難の想定をもっと細かくしておくこと、日々の訪問活動で現状を把握すること、移動が困難な方々への対応などです。同じ地域の方々をもっと知って、防災を意識することをしなければ今後も防災ネットワークが活きないと思っています。
現状、防災ネットワークは機能しておらず、また地区の住民は震災前の4割の140世帯ほどになりました。蟻坂さんは現在「みんなと行兵衛茶屋」を立ち上げ、月に一度ほど地元の福祉会館などで様々な活動を行っています。高齢化も課題のひとつですが今後は若い世代が参加できるような内容にしていきたい、と意気込みを話してくれました。同じ地域で暮らす方々のことを知り、関係を深めあう…そんな「情」=思いやりを深めて、互いに救う力を養うことが重要だと感じました。