Archive for 2018年11月26日

11月26日(月)放送

気仙沼市 地福寺 片山秀光さん取材リポート
古野真也アナウンサー取材リポート

般若心経をジャズ風にアレンジして音楽説法を唱える気仙沼市の地福寺の住職片山秀光さんを取材しました。
「カッサパ」という震災を伝える音楽説法グループのボーカルを務めている片山さんは、ふるさとの人々を励まし、被災された人たちを慈しんで一日も早い復興をという思いを胸に活動しています。
震災当時、片山和尚は向洋高校に一時避難し、その後、家族とともに階上中学校へ避難。震災から2日後に地福寺に戻りましたが、岩井崎から約1キロ離れた場所にあった寺は全壊していました。寺があった階上地域の住民1,456人のうち178人が亡くなり檀家さんも151名が亡くなりました。そこで片山和尚は、亡くなった人の話を聞くたびに地震の果たす役割を考えるようになりました。
自身が被災者だったからこそ、震災直後はまず死者のもとへお経を唱えに行き毎朝その日の火葬の場所や時間を確認して手を合わせに行きました。遺体は安置所からあふれるほどあり、壮絶な光景だったといいます。知福寺の復旧に関しては遺骨を置ける場所を、とお願いしてボランティアの方々に整備してもらい、震災後4日後から復旧に取り掛かりました。
以前は、仏教の教えを説くための活動でしたが、現在は被災地の現実を語り歌う「語り部」として再結成、多くの人に東日本大震災を伝えるため、日本各地、海外ではサンフランシスコ、ハワイの団体にも声を掛けられて「めげない・にげない・くじけない」を様々な地域に出向いて伝えています。現在、健康上の理由で活動を休止していますが、「気仙沼で生きる」ということを、亡くなった方の思いを伝えることを使命として活動再開に向けて過ごしています。カッサパの「陽はまた昇る」という曲は、気仙沼の人たちは「海に生かされている」ということを伝え、音楽にのせて応援していきたいという証でもあります。

11月19日(月)放送

気仙沼市 OCHACCO 代表 内藤康生さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

2018年5月1日に女川町プロムナードに商店街に店舗を構えたOCHACCO の代表 内藤康生さんにお話を伺ってきました。気仙沼市出身の康生さんが、お姉さまの裕里江さんとともに立ち上げた日本茶のフレーバーティ―ブランド「OCHACCO」は、お茶っこ飲みの現代スタイルに合わせてアレンジ、日本茶の魅力を広め、日本茶を通じて東北を盛り上げようと2017年に創業、今回女川町に店舗を構えました。
店舗内のインテリアなどは、自分たちで手掛けてきたので、女川町に新店舗が完成した時の喜びはひとしおでした。オープン後、店舗での営業は常連さんも多く、お茶っこを楽しむ人できにぎわっています。日本では珍しい炭酸入りの日本茶など、ここでしか味わえない日本茶の楽しみ方ができる場所となっています。
今後、季節毎に楽しめる「新しい日本茶の楽しみ方」をどんどん提案し、県内だけでなく日本中、世界中のお客様が訪れる日が来ることを祈っています。女川町に拠点を構えた「OCHACCO」、街の盛り上げにも一役買っていくことになっていくでしょう。

石巻市鮎川 鮎川港まちづくり協議会 齋藤富嗣会長

鮎川は、今、鮎川浜拠点地区の復興に向けてたくさんの施設がオープンに向けて整備されています。
震災前を超える観光客の誘致を目指し、2019年秋に「観光物産交流センター」「ビジターセンター」、2020年秋には「おしかホエールランド」がオープンを控え、現在、3施設が建設されています。
新しい観光のスタイルを築き上げるため、体験ツアーやワークショップ、その他イベントなどで盛り上げようと、まちづくり協議会ではいろいろと準備をして大忙しです。
鮎川といえばクジラ、というイメージを大切にしつつ、牡鹿半島の自然や文化など生まれ育った町の文化を継承しながら各施設の新オープンを待っています。地域の人々との連携、つながりはどの地域にも負けません、今後も鮎川に注目してください。

11月12日(月)放送

山元町 みんなのとしょかん山元 菊池慎一郎さん
小笠原遥アナウンサー取材リポート

今回取材したのは、山元町の菊池慎一郎さん(70)です。菊池さんは震災で被災した山元町の花釜地区で「みんなのとしょかん」の館長を勤めています。この【みんなのとしょかん】は今年で設立6年目。今年6月にもともとあった場所から200m離れた場所に移設しました。新たな場所の敷地は、趣旨に賛同した元住民が被災した住宅の跡地を寄贈、現在プレハブで運営しています。
地域の自治会で、何気ない話をきっかけに【みんなのとしょかん】が生まれ、現在1万5千冊が貯蔵されています。狭い場所での運営のため、3,000冊だけがプレハブ内にあるとのことです。これまでの運営はずっと、地域住民10人のボランティア、当番制で行なわれていて、管理しているボランティアの方々の呼び名はG7(おじいさんが7人)、バーテン(おばあさんが10人)(笑)です。
60歳以上の方々ばかりなので「電子図書」などの運営の仕方がわからない、若者不足など運営には問題点もあります。
毎年3月11日に行われる行事「追悼の夜 あなたを、あの時を忘れない」は、みんなのとしょかんの大切な行事。。。プレハブ前に竹灯籠や絵灯籠や陶製の地蔵を並べ、亡くなった人たちの鎮魂を祈ります。広報活動や今後のためにも、菊池さんは若者のボランティアを切に望んでいます。気になった方は、一度ボランティアで参加してみるのはいかがでしょうか。

NPO法人 アスヘノキボウ インターン生 川瀬由紀子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

京都大学の学生、川瀬由紀子さんは大学で国際教養を学び高校時代を含めボランティアで何度も東北を訪れています。大学生活も終盤になり、就職活動を考える中で今回、大学を休学して女川町にやってきました。親せきが宮城県松島市野蒜地区にいらっしゃったご縁もあり、小さいころから宮城県には遊びに来ていたそうです。
川瀬さんが中学3年生の時に東日本大震災が発生、親せきのおじさんといとこ2人が震災の津波の犠牲になりました。京都で震災のニュースを見聞きした川瀬さんは、そのすざましさの記憶、親せきの方々との思いが原動力となってボランティアを始め、現在も継続的に宮城県へ訪れています。この宮城県で何があったのか知りたい、という思いが川瀬さんを動かし、その中で出会った人たちとの交流から東北に魅力を感じて足を運んでいます。
女川町でのインターンは来年2月まで続きます。女川で、街の魅力を知り、その土地の人たちと心を通わせて今後数カ月を過ごします。その間、女川の復興の裏側をじっくり見て「震災復興」のスピード感、歩みを感じたいと話してくれました。

11月5日(月)放送

気仙沼市 じもと○○ゼミ 「まるオフィス」根岸えまさん
古野真也アナウンサー取材リポート

根岸さんは、震災を機に東京から気仙沼市に移住し、2015年にまるオフィスを立ち上げに関わりました。現在は海の市の2階に窓口を設け、地域教育事業・移住推進事業・若者支援事業を軸に活動しています。まるオフィスの主な活動のひとつ、じもと○○ゼミを取材しました。中高生に地元気仙沼市の産業を実際に体験してもらう地域活動教育は、今回は唐桑地区で開催されました。
生まれた地域の良さを知り、将来的には地域に帰ってきてほしいという思いの元活動しているまるオフィスは、地域の大人が先生になって子供たちに魅力を伝えています。今回は、気仙沼市唐桑地区で1軒しかない農家の千葉正樹さんの協力のもと、唐桑中学校から4人の中学生(男子)が参加しました。
参加したなかのひとり、中学2年生の小松創くんは、今回20回目を超える参加です、土を触るのが大好きな小松君は、一生懸命稲刈りに取り組みました。この活動を通し、【農家になる】、という職業選択肢が増えたそうです。
この取り組みは、2‐3年で結果が出ることはありませんが、長期的な取り組みとして今後もいろいろなアイディアが生まれそうです。今、気仙沼市を離れている若い世代が、今後気仙沼市の産業に関るというのも、そう遠くはありません。システム作りなどまるオフィスでは新プログラムも考えていくようです。

山元町 佐藤蒟蒻店 代表 佐藤剛さん
林 朝子アナウンサー取材リポート

山元町や蔵王町など、仙南地域では「こんにゃく芋」栽培の北限と言われています。去年までは、こんにゃく芋の栽培から製造までを手掛けていましたが、今年からは県内の生産者から芋を仕入れ加工しています。生産者ひとりひとりに代表の佐藤さんが直接訪れ値段交渉、さくっとした感触の優しい舌触りに仕上がるような素材を仕入れています。
震災前までは、自社工場で加工などを行っていましたが、従業員が沿岸部に配達に出て行っていて安否が気遣われました。しかし、全員の無事がわかり一安心。工場は破損しましたがおよそ4か月の時間を費やし、事業を再開しました。
その後、販路が経たれたり、風評被害で売り上げがダウンしたりしましたが、無我夢中で販路を開拓、遠くは沖縄県の方など「復興需要」で販路に変化を持たせる中、一生懸命営業を続けました。現在、スーパーなどの量販店での販売は減少しましたが、産直市場での販路が中心になり活気づいています。
佐藤蒟蒻店は、震災という大きな出来事を経てなお、この街で蒟蒻づくりを続けています。震災で広がった様々な縁を機に、これからも山元町で頑張っていきます。震災時、まだ未成年だった次男は佐藤蒟蒻店の跡継ぎです、今後もみなさんに愛される蒟蒻づくりを行っていきます。

【販売先】
山元町真庭字浅生126 佐藤蒟蒻店 工場まで