Archive for 2019年11月25日

11月25日(月)放送

世界防災フォーラム前日祭 きずなFプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

世界防災フォーラムとは、東日本大震災の教訓をもとに防災の取り組みや研究成果を報告する国際会議です。11月9日(土)~12日(火)の4日間、仙台国際センター会議棟や東北大学 川内萩ホールを会場に行われました。、世界40以上の地域から900人が参加し、行政・大学・民間企業の関係者たちが知恵や技術を学び、犠牲者と被害の縮小につなげていくことを目標に話し合いの場が持たれました。
会議の中では、閖上太鼓の力強い「絆」の演奏や、きずなFプロジェクトの高校生の「紙芝居」など東日本大震災を題材にした発表がなされました。震災を継承することは大変難しいことですが、仲間とのつながりを大事に今後も10年、30年と世代を超えて語り継ぐことが期待されます。
番組で継続取材をしているきずなFプロジェクトの高校生たちの次なる目標は「震災を経験していない世代への伝承」。神戸学院大学との意見交換の場もあり、1995年に起こった阪神・淡路大震災の防災への向き合い方も大変勉強になったようです。
(きょうは、きずなFプロジェクトの生徒たちを中学校時代から支えてきた名取第二中学校の瀬成田先生と電話を繋ぎ感想を伺いました。)
「世界の舞台での教え子たちの活躍、大変頼もしいです。今後も紙芝居を通して、震災を知らない世代に向けて伝えていくアクションの手助けをしていきたいです。世界へ防災を“伝えていく”という使命、今後も活動が楽しみです」とお話しくださいました。

11月18日(月)放送

石巻市 豆腐のはやし屋 林光二郎さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

石巻市中央で豆腐店「はやし屋」を営む林光二郎さんにお話を伺いました。お店は創業100年の老舗の豆腐屋さんで、木綿豆腐・絹ごし豆腐・がんも・厚揚げ、お惣菜などを販売しています。とくに「飛龍豆」という珍しい種類のがんもは、本来精進料理として使われていた甘みがあるもので、子供でも食べやすく人気の商品となっています。
「はやし屋」は震災の前の年に建物を直したばかりですが、震災の津波で1階が全滅してしまい、2011年の7月に直して営業を再開。先月は台風19号の影響で製造場が冠水するなど2度の災害を乗り越えての営業です。今まで紡いできた100年の歴史の中で3代目を任された林さんは、「手間」にこだわり現在もとうふ作りに励んでいます。
震災後は横浜国立大の生徒と「石巻となりの窓プロジェクト」や石巻専修大の生徒との「石巻おでん」など、この街をどうやって作り直すかを若者たちと一緒に考え、「外から来た人が見つける価値」を見出す活動も行っています。ちょっと元気のない石巻市の今後について真摯に向き合っています。

「赤飯まんじゅう」甘陣本舗 千葉寿子さん、中村きみこさん、娘のゆみさん
林田悟志アナウンサー取材リポート

以前は大手町で甘党の本陣を、との思いで菓子店「甘陣本舗」という洋・和菓子店を営業していた千葉さんは、現在お店を構える石巻市大街道で被災しました。お店は壊滅状態だったため、震災当時にはお店をたたむことを考えましたが、ご主人が「震災で食べ物が亡くなった今こそ、もち米を使った甘いもので勝負したい」という執念のもと、もち米を使ったまんじゅう(生姜ぶかしまんじゅう・白ぶかしまんじゅう・赤飯まんじゅう)3種類だけで、今もお店を経営しています。
石巻のソウルフード的な要素もある「赤飯まんじゅう」は、もち米に甘さと少し塩分を加えそれを蒸かして握る、薄皮で包んだものです。まんじゅうといえどもあんこは入っていません。本来あんが入っている部分がすべて赤飯になっているめずらしいもののため、東京からわざわざ買いにくるお客さんもいらっしゃいます。
残念ながら、赤飯まんじゅうを考案したご主人はお亡くなりになりましたが、今も家族で「父が残した味」を守っています。皆さんもぜひ一度味見してみてはいかがでしょうか。

 

11月11日(月)放送

南三陸町歌津 自然卵農園 大沼清功さん
安東理紗アナウンサー取材リポート

南三陸町歌津にある養鶏場自然卵農園は、田束山麓で養鶏をはじめて今年で7年目を迎えました。歌津生まれの大沼さんは東日本大震災時気仙沼で働いていましたが、歌津の自宅は流され、仕事は業務縮小に伴い解雇、避難所生活を送ることとなります。その後避難所生活中に娘3人が震災後「海をみたくない」と訴えたため一旦北海道江別市に移住しました。
移住先では「やりたいことは何か」を突き詰めた結果、大沼さんは「卵」に着目し養鶏の勉強を開始します。しかし、歌津のお父様が具合を悪くしたためまた南三陸町に震災後2年という短い期間で地元に戻ることとなってしまいました。2013年からは養鶏事業が本格化、奥さんが経営するクレープ屋で使用する程まで良い卵を育てることに成功し、現在も自然なスタイルで鶏を育てています。
さて、震災時に「海をみたくない」と訴えた娘のほのかさん、当時小学6年生だった彼女は宮城県の農業大学校を卒業し成人しました。現在は南三陸町の入谷地区で農業を始めています。栗の農園づくりを目標としクラウドファウンディングで事業費を獲得、自分の夢である農園を持つことになりました。まだ苗木の注文が済んだばかりですが、夢へ向けて1歩1歩近付いています。
震災後帰りたくなかった南三陸町でしたが、地元の方々にアドバイスなどをもらい、支えられ、親子そろって新たなチャレンジを楽しんでいます。今後とも、大沼さん一家を応援、取材していきたいと思います。