5月14日(月)放送分

・JNN三陸支局から西島佐知浩記者
気仙沼で行われたアサリの生息調査について。

・来月に一般利用再開の東京エレクトロンホール宮城について

リポート:粟津ちひろアナウンサー

震災当日、ホールでは翌日に控えていた陸上自衛隊の定期演奏会のリハーサルが行われていました。スタッフは災害時のマニュアルに沿ってホールだけでなく、会議室など利用者を避難誘導しました。幸いにして人的被害はなかったものの建物の被害が大きく、長期間休館せざるを得ませんでした。ホールを管理する宮城文化振興財団事務局長の白石光雄さんにお話を伺いました。
震災を受けて最優先で行ったのは、予約をしている方々へ利用停止の連絡をすることだったそうです。3月に予定されていたものだけでも94件。9月末までの施設利用停止は978件に上りました。しかし、その後利用停止は12月末、更には3月末と、どんどん期間が延びていってしまいました。東京エレクトロンホール宮城は宮城県から指定管理を受けているので、その都度協議が必要だったためだそうです。
そして、長い期間を経てようやく再開。来月16日に「復興祈念コンサート」が開催されることになりました。先月20日に入場整理券を受け付けると、1日で定員の1410人に達したそうです。最初は皆さんがどのくらい来てくれるのか分からなかったが、1年以上も休館していたので、多くの方が東京エレクトロンホール宮城の再開を待ち望んでいたのではないか、と白石さんは言います。

・2年ぶりの青葉まつり開催

リポート:飯野雅人アナウンサー

若林区連坊小路で太鼓や笛、法被などすずめ踊りの道具を扱う店を営む山口俊一郎さん。震災前は宮城野区岩切に住んでいましたが、この地域は建物被害が大きく、山口さんも自宅には住めなくなってしまいました。そんな山口さんが立ち直るきっかけとなったのはすずめ踊りでした。
六軒丁睦というすずめ踊り団体の代表を務める山口さん。震災後、県外の祭に招待されることが多かったそうです。最初は被災地の踊りとして迎えられましたが、実際に踊りを披露すると、そういうことは関係なしに仙台のすずめ踊りはすごいと言ってもらえたと言います。
400年の歴史があるすずめ踊り。昭和62年から青葉まつりで披露されるようになり、広く知られるようになりました。現在は120の団体、約5000人の踊り手がいるそうですが、もっと広めていきたいと山口さん。すずめ踊りを通して元気を届けたいと、2年ぶりの青葉まつりを心から楽しみにしています。

5月7日(月)放送分

・JNN三陸支局から西島佐知浩記者
気仙沼松崎浜前浜に仮設の水産加工場が完成。

・閖上のあさり、しじみの漁について

リポート:大久保悠アナウンサー

今年2月に発足した「閖上あさり・しじみ漁業者の会」が先月13日に漁を1年1ヶ月振りに震災前と同じ名取川で再開。初日は15キロほどの漁獲。震災前の10分の1ではあったが喜びはひとしおだったそうです。会長の渡辺稔さんに話を伺ったところ、本当に獲れるかどうか、ここが一番の心配だったが、今は少しでも獲れることを心強く感じるそうです。
しかし、震災前のメンバーのうち戻ってきたのはまだ半分くらい。名取川のそばに家々が復興すれば漁にも出やすくなり、閖上に戻ってくる人たちも増えるのでは、と渡辺さんは言います。
多くの人たちが戻ってきたときに、皆で支え合って一生懸命やることが課題。そのためには街の早期復興を渡辺さんは切に願っています。

・松島遊覧船の今

リポート:飯野雅人アナウンサー

今年のゴールデンウィークは震災前と比べて9割ほど、松島遊覧船の利用客があったそうです。松島島巡り観光船企業組合の伊藤章理事長に話を伺いました。
震災前に近いくらいの観光客が松島へ来てくれたことで、まずはホッと一安心。伊藤さんは、以前に来てくれたお客さんに、帰ったら松島のPRをお願いしていたそうです。
ただ、依然として震災の影響は色濃く残っており、松島を代表する仁王島は現在も修復中のためにシートで覆われていて見ることができません。自然災害で壊れた場合、文化庁は自然の出来事ということで修復許可を出さないことが多いのですが、今回は復興のシンボルという位置づけのため、許可が下りたとの事です。
また今後に関しては、風評被害をなくすために、安全・安心を確保して少しでも不安を払拭することが大事と伊藤さんは言います。

4月30日(月) 放送分

・JNN三陸支局から西島佐知浩記者
気仙沼、まちづくりコンペについて。可動式防潮堤が支持を集める。

・言葉の壁を越えた外国人ボランティアの温かさ

リポート:林朝子アナウンサー

東松島市の仮設住宅に住む武田政夫さん。野蒜にあった自宅は津波で全壊し、奥様の行方がいまだ分かっていません。しかし、武田さんはある方との出会いがきっかけで前向きになれたと言います。
その方はカナダからボランティアで日本へ来たエリザベスさん。言葉の隔たりはあるものの、武田さんの話に耳を傾け、祭壇に手を合わせてくれたそうです。初めて触れ合う外国人の温かさに武田さんは心から感動。エリザベスさんの帰国後も文通が続いています。
これをきっかけに武田さんは自宅に閉じこもらず、積極的に外へ出て人と触れ合うようにしたそうです。すると、出会いがどんどん広がっていったそうです。
そのエリザベスさんが6月に再来日する予定とのこと。武田さんはその日を心待ちにしています。

・石巻市・十三浜地区の取材

リポート:藤沢智子アナウンサー

先週26日(木)に石巻市北上町の宮城県漁協十三浜支所で漁業資材の贈呈式が行われました。支援された資材、箱メガネや浜ポール等を手にした漁師さん達は嬉しそうな表情をしていました。
ちょうど十三浜ではこの日、ワカメの出荷作業が行われていました。十三浜支所運営委員長の佐藤清吾さんに話を聞いたところ、ワカメは順調とのこと。現在は80人ほどで作業をしており、5月10日に最終入札が行われるそうです。十三浜のワカメは健在!と言っていいのではと思いました。

・JNN三陸支局から西島佐知浩記者
気仙沼湾の海底調査について。

・気仙沼大川さくらまつりが2年ぶりに開催中。
気仙沼大川さくらまつり実行委員長・気仙沼大川桜並木を保全する会会長 橋本恒宏さん(電話インタビュー)

色んな方たちの力で2年ぶりにお祭りが開催できました。そして、来場の方たちは皆さん笑顔で喜んでくれました。
お祭りは29日まで。多くの方たちに桜を見てもらいたいです。

・七ヶ浜町 七の市商店街「夢麺」

リポート:飯野雅人アナウンサー

津波被害が大きく、がれき置き場も山になっている七ヶ浜町。あまり買い物をする場所がない中、昨年末に中央公民館敷地内に仮設商店街がオープンしました。その中でラーメン店を営む岩本喜治さんに話を伺いました。
岩本さんはトラックの運転手でした。しかし、津波で家を流され現在は仮設住宅で生活しています。ご両親が菖蒲田浜で飲食業をしていたこともあり、いずれは店を持ちたいと思っていたところ震災が発生。これを機に店をオープンすることを決めました。
幼稚園のお遊技台を使って小上がりにしたり、水道管の工事経験があるボランティアの人たちに力を借りたりと極力経費を抑え、開店に至りました。
震災を経験したことで人生観が180度変わったと岩本さん。かつては人に頭を下げることが苦手だったが、今は人と人との結びつきが大切と言います。
将来的には町が菖蒲田浜近辺に商業施設を作る構想もあるそうで、そこで本格的に店を開きたいと岩本さんは考えています。また、5月3日には七の市商店街でイベントを企画。冷やし中華の早食い競争などが行われるそうです。

4月16日(月)放送分

・JNN三陸支局から西島佐知浩記者
22日の日曜日から大川さくらまつりが2年ぶりに開催予定。
高知県黒潮町からの視察団について。南海トラフを震源とする巨大地震と津波に備え、危機管理を担当する職員が派遣されています。

・塩釜「しおクローバー」 リーダー鈴木千夏さんへの取材

リポート:菊地舞美アナウンサー

子育て中のママ4人で結成されたグループ「しおクローバー」。知り合いなどから届く支援物資を、動けるママ同士で避難所だけでなく自宅で頑張るママたちへ届ける「支援物資配布会」を行っていました。震災から1年が経過し、鈴木さんは支援物資の配布に区切りをつけ次のステップに進む決断をしました。これからママになる人たちのために自分たちの体験談を含めた「こどもたちを守るために~あの時のママと子ども達の声~」という冊子を作ることです。
この冊子を作って初めてメンバーの方たちは当時を振り返って涙を流したと言います。1年間、家族の前で涙を流さず、弱音を吐かず走り続けたお母さんたちが「書く」ことによって、自分たちの頑張りを認めてほしいと表現。そして誰かに「頑張ったね」と言ってもらうことでようやく前に進むことが出来たそうです。

・集団移転対象外区域・若林区種次の現状

リポート:飯野雅人アナウンサー

仙台東部道路の東側、東六郷小学校から少し南に行った種次地区にお住まいの大友さんご夫妻。この地域は津波被害が大きく、大友さんの自宅も1階が浸水してしまいました。娘さん夫婦が暮らす泉区から種次に掃除をしに通い、昨年5月に戻ってきました。しかし、避難所や仮設住宅と違って支援物資は届かず、泥カキなどもボランティアに頼らず家族で片付けたそうです。
この地域は集団移転対象区域外ではあるものの、90世帯あったうちの15~16世帯しか戻ってきていません。大友さんも最初は怖かったものの、住み慣れた家だけに徐々に慣れていったそうです。しかし、以前はお客さんがたくさん家に来てくれましたが今はほとんど来客がなく、寂しいと話しています。一刻も早く護岸工事や土地のかさ上げをして、皆が戻ってきて安心して暮らせることを望んでいます。