4月17日(月)放送

石巻市 元石巻小学校教頭 斉藤悦美さん
災害時の小学校の防災対応について考える
古野真也アナウンサー取材リポート

 石巻市門脇町にお住いの斉藤悦美さんは、震災時は石巻市立橋浦小学校の教頭先生をされていました。地震発生時は、大きな揺れに、子供達も尋常じゃない雰囲気を感じ取っていたと、思い返します。学校からその日に両親が連れて帰った子供の中には津波で亡くなった生徒もいました。
 地震の後はそのまま橋浦小学校が避難所となり、一時300人を超える人々が学校に避難してきました。学校ではその後すぐ、地区ごとに教室を割り振っての避難生活が始まります。避難所で斉藤先生は、市役所の方々と一緒に食事の管理、運営の補助に当たります。
その中である子供たちの異変に気が付きました。黒板に地震や津波の絵をかいたり、人々が逃げたりする絵をかいて遊んでいたことです。それは、「津波ごっこ」でした。
 当時、その遊びは、居住内で子供や親族をなくされた人もいたため、不謹慎かもしれないと思い、止めるべきか心療内科医に相談します。しかし心療内科の先生は「これは、子供たちにやめさせないでほしい」と言ったそうです。この遊びを通してつらかった思いや自身の中で消化できないことを「あそび」の中でストレスの発散させている、ということでした。やめてしまったら今後に影響を及ぼしてしまう可能性があったのです。異常な状況下での生活、現在振り返ると「あの対応でよかったのか、学校としてできることがなかったのか」今でも自問自答が続いています。
 その後、斉藤さんは教壇に立つにあたり「学校として何ができるかを実行に移すのはとても難しいが、とにかく平常心で、学校は学校という環境を整えることが一番。通常の授業を変わらずに行っていくのが役割である」という思いで生徒と向き合いました。
 震災後は「経験の共有」をもつため生徒たちとたくさんの話をし、お互いの理解を深めることが「心の復興につながる」と分け隔てなく子供たちと接する時間を大切にしたそうです。現在、斉藤先生は退職されていますが震災を直接経験した子供たちの〝心を救う”大切さをひしと感じたようです。

女川町「女川桜守りの会」 藤中郁生さん
林朝子アナウンサー取材リポート

 女川町の津波で失われた桜を復活させようと活動している「女川桜守りの会」を取材しました。現在は地域住民およそ20人が参加し桜の植樹などを続けています。今回は事務局長を務める藤中郁生さんにお話を伺いました。
震災後の2011年4月に、藤中さんは女川町で「桜」を発見しました。震災後に桜の木を見つけるなんて思ってもみませんでしたが、いつかこの桜が町のシンボルになるようにとこの桜を「津波桜」と呼び、保存活動を始めます。これこそが「女川桜守りの会」の活動のはじまりとなります。津波を免れた桜の手入れをしたり、全国各地から提供された桜の苗を女川町の各所に植樹したりして活動しています。
 藤中さんはここ女川町では、町中に桜が咲いていたため、「花見」をしたことがない、する必要がなかったと振り返ります。その桜がある街の風景を復活させようと、震災前にあった当たり前の風景を取り戻そうと藤中さんはメンバーと一緒に今も尽力されています。津波桜は、枯れた桜もありましたがその「存在」を残そうとした結果、
 先月、「花咲き地蔵」として高さ40センチほどの大きさとしてシーパルピア女川の一角に安置されました。
今では、お地蔵様の隣に3mほどの桜の若木も出現し津波桜の「孫桜」が枝を伸ばし新芽をつけています。花を咲かせるのは難しいかもしれませんが、これから数年かけて立派に咲いてほしい、と女川桜守りの会の方々は願っています。
 浦宿からトンネルに入り、そこを抜けると女川町。そこにいつか桜並木のトンネルができたら、この町は”桜の町”になっていくかもしれないと期待を膨らませます。「女川の桜の町に」を合言葉に現在も精力的に植樹活動を継続しています。今後は地域の子供たちも巻き込んでいきたいと、未来への夢をお話しくださいました。

4月10日(月)放送

どっとなとり閖上会 説明会
古野真也アナウンサー取材リポート

名取市で活動を行っている「どっとなとり」が閖上在住者を対象に先月3月16日に仮設の閖上公民館で「閖上会」が開催されました。
「閖上会」は、地元出身の大友貞子さん(91)が先生として、そして閖上にゆかりのある地域住民の方々が参加し、漁師町をなつかしみ、閖上大漁節などの民謡や三味線などを楽しみました。この会では6年ぶりに再開する住民の方々もいらっしゃり、始終閖上地区の震災前の思い出を共有するような、懐かしいメンバーとの再会に、笑顔と笑い声で会場は包まれました。
参加された方の中には「戻れなくても閖上に戻れない」「移り住んだところで生活の基盤が出来てしまった」などさまざまな事情を抱える人もいて、自身が抱える悩みなどを聴く、話すなどコミュニティの場としても活用されました。
次回は、4月20日、仮設の閖上公民館で開催が予定されています。閖上にゆかりのある方ならどなたでも参加可能です。閖上での「お茶っこ」へ是非参加してみてはいかがでしょうか。

石巻のシンガーソングライター 萌江(もえ)さん
林 朝子アナウンサー取材リポート

石巻市出身のシンガーソングライター 萌江(もえ)さん、現在22歳でシンガーソングライターとして活躍しています。趣味から始めた音楽でしたが、大学を卒業を機に、シンガーソングライターの道を選び活動を本格的にスタートさせました。
石巻市の街ナカイベントなどで積極的に歌を披露してきました。そして、この度3月にワンマンライブを行う程になりました。ワンマンライブは高校生からの夢だったそうで、石巻の市民の皆さんの暖かい声援にはげまされて開催にこぎつけました。
ワンマンライブのほかにも、仙台からライブ会場の石巻市まで走ってその途中で歌を披露する「マラソンライブ」などの企画も行ってきました。
萌江さんは、東日本大震災時に感じた「音楽の存在」を改めて感じ、本格的に音楽の道へ進むことを決めました。高校生だった当時の石巻市の風景が一瞬でなくなってしまった経験は今の自分の強さ、原動力になっているそうです。
そして完成した曲「いしのまきのうた」。歌詞の一部「いいところだよ 幸せな町 のんびり時間が流れていくよ 負けはしないよどんな試練にも きずなと笑顔で結ばれているから」は“いしのまき”の頭文字で始まっています。
今後も、地元石巻に、たくさんの人が来てまた笑顔があふれる街に復興していくことを目標に、これからも歌い続けます。

◆LIVE情報◆
萌江(もえ)さんが出演するLIVEは、
・日時  2017年4月11日(火) 午後6時~
・場所  仙台MACANA   で行われます。
「いしのまきのうた」は手売りでCD販売されます!

4月3日(月)放送

今夜は、3月11日(土)の東日本大震災特別番組「絆みやぎ明日へ」から、「震災6年の手紙」と題していただいたお便りを紹介します。
(読み手)
藤沢智子アナウンサー
伊藤晋平アナウンサー

3月27日(月)放送

東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校
鈴木実森アナウンサー取材リポート

3月4日、5日に「東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校」という防災、減災に関する活動発表会やワークショップが行われました。多賀城高校災害学科は、去年の春に新設された学科で全国2番目、宮城県内初の学科設置となりました。
この日は、北海道から青森兵庫など日本各地の高校生が参加し、被災地をバスツアーで案内する催しもありました。多賀城高校の生徒はお手製の街歩きマップを作成し、それを元に中高生60名を案内したそうです。
兵庫県から参加した高校生は、阪神淡路大震災を経験していない世代で「復興」した神戸の街しか見たことがない生徒ばかり。今、私達が出来る事は何かを、多賀城高校の生徒から学んだようです。
薄れゆく震災の記憶を風化させないために、多賀城高校の生徒たちは今後もたくさんの人たちに東日本大震災を伝えていきます。

第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞受賞
宮城県農業高校 食品化学科2年 金山澤杏朱さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

金山澤さんは、被災した塩害農地でそばを育てた「そば」を利用したボランティアで、「第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞」を受賞しました。塩害農地で育てた「そば」を打って、仮設住宅でふるまいコミュニケーションをとりながら仮設住宅を訪問するボランティアです。
仮設住宅の訪問前には、住んでいる人たちが「暗い生活をしているのではないか、元気がないのではないか」というイメージを持っていたそうです。金山澤さん自身、引っ込み思案で人見知りのためうまく自分を出せないのでは、と考えていたからです。
しかし、その悩みも活動を行っていくうちに、仮設住宅に暮らす方々から逆に元気をもらったり勇気づけられたりと、活動の過程の中で自分が「成長」していったそうです。今では、この活動を伝えたい、後輩にも引き継いでほしいという思いで溢れています。
全国1700件のボランティア活動の中から、最高位の賞をとれたのもまだ実感がないと話す金山澤さ。、残る高校生活1年の中でも積極的に活動を行い、県外の大学へ進学しても「いつかは、地元宮城で活躍したい」と考えています。

3月13日(月)放送

石巻市「」(かぎかっこ)プロジェクト 高校生百貨店
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市で活躍しているNPO法人「」(かぎかっこ)プロジェクトの取組を取材しました。「」プロジェクトは、高校生(男子3人、女子10人、先輩大学生5~6人)、運営スタッフ3人で構成されています。
石巻市への「地元愛」を探してもらいながら、高校生が自分達で企画したイベントや商品開発を行っています。
石巻出身の高校1年生、千葉さんは中学校3年生の時に友人から誘われたのがきっかけで参加しています。プロジェクトのひとつ「高校生百貨店」は、高校生がバイヤーとなり石巻圏域の東松島市、女川の地域商品を仕入れ、仙台市や東京など各地のイベントに参加し店頭販売なども行っています。
 生産者の声も添えて商品をPR販売することは、地元、石巻市のことも知っていなければなりません。また、生産者の方についても詳しく知っていなければなりません。仕入れの段階から生産者の方々とコミュニケーションをよくとり、対面式の販売では物の良さだけではなく、人が見えるような話をしていきたいということです。
イベント会場では「石巻市の被災の状況」をもよく聞かれるそうです。涌谷出身の熊谷君が伝えたい、高校生目線の石巻市の魅力とは、“石巻市は「被災した街」だけではない、力強い街であることを強く印象付けたい”と思いを持っています。
3月18日(土)からは東京で販売会がはじまります。そしてはじめて、商品のひとつに東松島市のソックモンキー「おのくん」が加わります。宮城県、そして石巻市の現状を東京でたくさんの方に伝えてきて欲しいですね。

TTT(つなぐ・ティーンエイジャー・ツアーガイドオブ野蒜)尾形祐月さん
高校を卒業して、今思うこと。
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

高校生活の多くの時間を注いできた「語り部」の活動を、この春の高校卒業とともに一区切りさせた仙台白百合高等学校卒業生、尾形祐月さんにTTT(つなぐ・ティーンエイジャー・ツアーガイドオブ野蒜)の活動を振り返ってもらいました。
2011年3月11日は、野蒜小学校からの帰宅途中に尾形さんは地震、津波に遭遇しました。この日は「野蒜駅前商店街マップ」が完成し授業で発表が終わって「野蒜の街の役にに立てる仕事ができたのかな」と思っていた矢先での被災でした。この日を境に、街の景色が一変してしまいます。
尾形さんは、その「野蒜駅前商店街マップ」を手に東松島市野蒜地区でガイドを続けてきました。発表の日には形のあった町並みが今はそのガイドマップにしか残っていない現実。東松島市野蒜地区を訪れる人々には、そのガイドマップを見せながら「ここは今、更地にしか見えませんが、本当はこんなに住宅があって、こんなお店や生活があったんです」と説明した事が多くありました。
目に見える風景と、思い出に残る風景の違いを説明するのは大変難しいことでしたが一生懸命話すことでたくさんの皆さんに野蒜を知ってもらうことが出来た、と話してくれました。
これからは、関東地域での新たな大学生活が始まりますが、今までの経験、そして震災、防災への思いは消える事はありません。新生活で新たに出会う人たちと話すことで、より深い思いや考えが浸透してほしいものです。