2月15日(月)放送分

東北大学災害科学国際研究所 遠田晋次教授
根本宣彦アナウンサー 電話インタビュー

東北大学災害科学国際研究所 遠田晋次教授に、2月13日(土)に起きた最大震度6強の地震について、お話しをお伺いしました。
小刻みな揺れが特徴だった今回の地震は、揺れの範囲は北海道から広島と広範囲で、東日本大震災の余震とされています。プレートの内部で起きた地震でした。マグニチュードは7.3と大きかったですが、震源の深さが55キロと深かったため、東日本大震災のような津波が起きなかったのだろうということでした。
ですが、岩盤の中の力のバランスが崩れているため、今後も余震には細心の注意が必要です。また、今回の地震で地盤が緩んでいるところがあるので、土砂災害などにも警戒が必要です。特に地震でダメージを受けた建物は気をつけなければならないとのことでした。
今回の地震を受けて、先日の揺れがもう一度来るとイメージをし、想像力を働かせて、改めて備蓄や防災グッズを確認しましょう。

2月15日(月)放送分

亘理郡山元町
長南昭弘ディレクター 伊藤若奈ディレクター 取材レポート

2月13日(土)に起きた最大震度6強の地震では、特に震度が大きかった県南部で、建物や道路に被害を受けました。翌日の14日(日)、震度6弱を記録した山元町を取材しました。
山元町に実家のある伊藤ディレクターですが、地震が起きた時も山元町にいて部屋の中では物が床に落ち散乱しました。揺れは強く速く感じました。
取材を進めると被害の大きさが明らかになりました。断水や地割れの被害がありました。取材中にも給水作業が行われており、多くの方が給水を行っていました。断水の不便さを改めて感じたといいます。また新型コロナウイルスの対策として、手洗いうがいができないことはとても不便です。改めて、防災グッズの中にコロナ対策として、マスクや除菌シートなどを補充しなければいけないと思いました。
東日本大震災から10年を前に発生した今回の地震でしたが、改めて日頃の備えの大切さを実感した出来事となりました。

2月8日(月)放送分

気仙沼市
高前田乾隆窯 斎藤乾一さん
増子華子アナウンサー 取材リポート

気仙沼市中心部から6キロほど離れた山の中にある焼き物の工房「高前田乾隆窯」を訪れ、陶芸家の斎藤乾一さんにお話を伺いました。1942年、気仙沼市に生まれた斎藤さんは、1978年に自分の窯を持つようになってから43年間、78歳の現在も作品を作り続けています。気仙沼の土を使うことにこだわり、濃紺に近い深い青を基調とした器や花瓶、壺ン窓の作品を手がけています。
東日本大震災の時も、斎藤さんはこの工房にいました。一番心配したのは窯の状態でしたが、この揺れで壊れてしまいます。7月に修理が完了し、幸いにも残っていた作品もあったため、作品展を行いました。仮設で暮らす方々がその作品を見た時に、紙ではなく焼き物でご飯を食べたいとおっしゃっていたことが印象に残ったといいます。
震災直後、斎藤さんが一番気にかけていたのは、児童養護施設の子供たちでした。自分にもそうした子供たちのためになにかできることはないか。作品の売り上げを寄付するなど支援活動を行い、震災をテーマにした作品も作りました。
これから気仙沼がどんなまちになってほしいか伺うと、若い人が戻ってくるようなまち、自然と一体になったまちというキーワードが出てきました。まさに気仙沼の自然のパワー・土のパワーを受けている作品に、今後も注目していきたいと思います。

2月8日(月)放送分

東松島市大塩地区
イーストファームみやぎ 赤坂芳則さん
熊谷望那アナウンサー 取材リポート

実は東松島市では、コットンつまり綿花の栽培が行われています。東日本大震災をきっかけに綿花栽培をゼロから始めたイーストファームみやぎの赤坂芳則さんに取材しました。
赤坂さんが取り組むのは、東日本大震災の津波で稲作が困難になった農地で綿を栽培から販売までを一貫して行うプロジェクト「東北コットンプロジェクト」です。東北の被災地でコットンを育てて、商品化まで手掛けよう、というコンセプトのもとプロジェクトが動き出しました。誰にとっても未知のチャレンジで、赤坂さんも初めは迷いましたが、赤坂さんのモットーは有言実行。やろうと思えばできないことはない、とプロジェクトへの参加を決意しました。
手探りで綿花栽培を進め、いざ収穫となった2011年の9月。台風15号の大雨被害を受けてしまいます。その翌年は畑の面積を大幅に広げましたが、今度は長雨の影響で収穫量があがりませんでした。このような状況の中でも、赤坂さんはボランティアの皆さんの存在を支えに、綿花栽培を続けることに迷いはなかったといいます。ボランティアの人数は2年間で600人を超え、その中には音楽プロデューサーの小林武史さんや一青窈産の姿も。自分ひとりでは続けられなくても、ボランティアを始め、関わってくれた皆さんのためなら頑張れるとおっしゃっていたのが印象的でした。現在では個人のボランティアの他にも、全国的に企業単位でその輪が広がっています。
ただ、このコロナ禍で、ボランティアの数も例年に比べて半分以下、収穫祭も中止となるほど大きな影響を受けました。2月6日(土)に綿花の摘み取り作業が三蜜を避けて行われましたが、集まったボランティアは20人程でした。コロナウイルスの一日でも早い収束を赤坂さんも願います。
震災をきっかけに始まり、たくさんの思いを詰め込んで膨らんだコットンの実は、タオルハンカチやマスク、シャツといった製品で形として私たちの近くにあります。コットンは復興のシンボルだとおっしゃっていた赤坂さんの思いを私たちもしっかり受け取りたいと思いました。

2月1日(月)放送分

仙台市宮城野区 
龍これはうまい 新保敏見さん
長南昭弘ディレクター 取材リポート

宮城野区榴ヶ岡で20年以上たこ焼きのお店を営む新保敏見さんを取材しました。お店の名前は「龍(ロン)これはうまい」。福島県二本松市で生まれた新保さんは、タクシーの運転手や飲食店での勤務を経て、21年前、「龍これはうまい」を開きました。開店時間のおよそ1時間前から仕込みを始めた神保さんに、お店についてお話を伺いました。たこ焼きは20種類ものトッピングがあったり、たこ焼き以外にも焼きそばなどがメニューにあります。お店の中には、かつて来店したお客さんの写真がたくさん貼られていました。当時学生だった女性が、お母さんになった今でもお店に足を運んでいるという話を伺い、長年多くの方から愛されているお店なのだなと感じました。
東日本大震災の時は、移動中の車の中でした。幸いにも水道やガスが使えたこと、仕入れがあったことなどがあり、震災から3日後にはお店を開けました。大変な状況でしたが、あたたかい食べ物が少ないことを実感したため、お店の再開を決めたといいます。
取材中にも続々とお客さんが来て、いろんなトッピングを楽しみに、たこ焼きを買っていきました。美味しいとの噂を聞きつけて買いに来た人、懐かしの味を求めてわざわざ買いに来た人、前回売り切れてしまったので楽しみに買いに来た人。新保さんはお客さんに対して「おかえり」と声をかけたり、逆にどのお客さんも新保さんとのおしゃべりを楽しんでいました。年齢層も目的も様々なお客さんと、たこ焼きをかけ橋に繋がっているのではないかと感じました。こうした人とのつながりは、災害が起きた時にお互い支えあえる大切ものになります。「龍これはうまい」は、今後の地域づくりや人間関係が希薄となりつつある都市部における「防災」への取り組みを考える上で、人と人をつなぐ大切な拠点の役割を果たしていくと思いました。