12月10日放送

山元町 結工房
林田悟志アナウンサー取材リポート

JR山下駅前の一角にある結工房は、カフェや直売所などが入った複合施設が今年の3月11日にオープンしました。
山元町農業生産法人「山元いちご農園」が被災地支援で支援活動を続けている東京のNPO法人「高麗(こうま)」が共同で開設しました。「結(ゆい)」は助け合いの意味合いを持っています。「東北の復興なくして日本の未来はない」という信念のもと、若い人が夢と希望を持って働ける場と仕事づくりを提供しています。この工房では、イチゴ栽培時にピアノ演奏を聴かせるなど独自のシステムを導入、最初は6畳の小屋から始まりイチゴ栽培の合間にコーヒー焙煎なども手掛け、今はカフェも併設の工房となっています。
震災から7年9カ月、オープン時は人通りもまばらでしたが今では地元の人たちも利用するなど徐々にお客様も増えました。エチオピアの豆を直輸入して、コーヒーに合うようにお菓子作りを行っています。珍しい白いコーヒーもおすすめです。体に優しいコーヒーやグルテンフリーのお菓子を扱うなど工夫が施されているのがとても特徴的です。
東京生まれ東京育ちの小沢店長は、山元町の暗くて何もない状況に寂しさを感じた時期もありました。しかし結工房はまだ始まったばかり。来ただけで元気になるようなカフェを目指し、今後も山元町の発展を見守っていきたいと話してくれました。

2019ニューイヤーコンサート 石巻市立湊中学校 加藤仁久先生
藤沢智子アナウンサー取材リポート

湊中学校の加藤先生は美術の先生ですが、音楽が大好きで、ご自身もチェロの演奏や編曲を手掛けています。息子さんもプロの音楽家として活動していて、湊中学校の吹奏楽部のメンバーやOG、保護者、知り合いで「春爛漫オーケストラ」を結成しています。先生ご自身はお母さまと娘さんを震災で亡くされていますが、そのお葬式の代わりに2011年8月6日に「プレイルネッサンスよし子とあや子を心でつなぐ音楽会」を主宰しました。
その音楽会を催したことをきっかけに、多くの人からリクエストをもらい石巻市で再びコンサートを開きその後、石巻市立湊中学校の吹奏楽部の顧問になったことをきっかけに、毎年3月に希望の春爛漫コンサートを開催しています。また、自らが訪れたオーストリアでの演奏会がとても印象に残り、自主的に地元の人たちが集まって地元のために演奏するコンサートになりました。2018年のニューイヤーコンサートには250人の方が訪れ、なじみのあるクラシックやポップスの演奏を楽しみました。
2019年は1月5日(土)の開催です。場所は石巻市立渡波小学校の講堂、入場は無料となっています。皆さんもぜひ、音楽を楽しみに、加藤先生に会いに行ってみてはいかがでしょうか。

12月3日(月)放送

仙台市宮城野区 岡田小学校ハマヒルガオプロジェクト
林田悟志アナウンサー取材リポート

ハマヒルガオとは海岸の砂地に生える多年草で、震災による津波被害で東北の沿岸部は多くの地域で流出してしまいました。しかし、仙台市宮城野区岡田の新浜海岸ではその一部が残っているのが発見されたため、そのかつての自然を取り戻そうと「ハマヒルガオプロジェクト」が発足しました。岡田小学校は、仙台市内で一番海に近い小学校で、唯一津波の被害があった小学校です。地域も大きな被害に遇いました。
その岡田小学校では、2016年からこのハマヒルガオやハマナスの苗を子どもたちが育て、それを海岸に植栽して海浜植物を増やしていく活動を行っています。この活動が始まる前は、地元の海に行ったことのない児童がたくさんいました。しかし活動を通じて、海に初めて訪れた子供たちは美しさに感動し、地元の海を大切に思うようになりました。
子どもたちは「ハマヒルガオはきれいな花」「岩手から福島まで、この新浜しかハマヒルガオがないといわれて力強く生き残っているからもっと広げていこうという気持ちが強かった」など、ひとりひとりが思いを馳せてこの活動に参加しています。「小さな花」を植えていく地道な活動が地域の人を豊かにしていく…子供たちのそんな思いがつまったプロジェクト、今後も地域復興のひとつとして活動が継承されていきます。

南三陸町の大工 マイケルさん
林 朝子アナウンサー 取材リポート

南三陸町に住んでいる杉原敬さん(通称マイケルさん)は、アメリカ人の母と日本人の父を持つ町の大工さんです。震災発生2か月後、設計士の知人から「応急仮設住宅建設」の手伝いを福島県でやってみないか、と誘われてから初めて東北を訪れました。
マイケルさんはその後、石巻市で雑貨や兼集会所の建物の施工に携わるようになり、5年前、埼玉県から石巻市に移住してきました。様々な復興事業に携わってきましたが、特に石巻市の漁師さんの家の施工をしている時に、生活と住居のかかわりを深く知るようになります。
震災後7年が経過し、せわしい気持ちが落ち着いてきた、と肌で感じている杉原さん。それは震災直後は駆け足状態で復興に向かっていたみなさんが、元の姿に近づきたい、早く家を直したいという気持ちから、余裕をもって「これから何がしたいか」と考えられるスタート地点に立っているように感じたからです。
現在は、緑と海の幸に恵まれた街に魅力を感じ南三陸町戸倉に移住しました。「木工房 瑞(みつ)」という自分の工房で、地域の木材を使った家具作りや伝統工法木造住宅建築を行っています。「個」の復興から「街や地域の復興」に向かう時期、マイケルさんはそのみんなのビジョンを叶えるために自分の技術を活用していきたいと思っています。

11月26日(月)放送

気仙沼市 地福寺 片山秀光さん取材リポート
古野真也アナウンサー取材リポート

般若心経をジャズ風にアレンジして音楽説法を唱える気仙沼市の地福寺の住職片山秀光さんを取材しました。
「カッサパ」という震災を伝える音楽説法グループのボーカルを務めている片山さんは、ふるさとの人々を励まし、被災された人たちを慈しんで一日も早い復興をという思いを胸に活動しています。
震災当時、片山和尚は向洋高校に一時避難し、その後、家族とともに階上中学校へ避難。震災から2日後に地福寺に戻りましたが、岩井崎から約1キロ離れた場所にあった寺は全壊していました。寺があった階上地域の住民1,456人のうち178人が亡くなり檀家さんも151名が亡くなりました。そこで片山和尚は、亡くなった人の話を聞くたびに地震の果たす役割を考えるようになりました。
自身が被災者だったからこそ、震災直後はまず死者のもとへお経を唱えに行き毎朝その日の火葬の場所や時間を確認して手を合わせに行きました。遺体は安置所からあふれるほどあり、壮絶な光景だったといいます。知福寺の復旧に関しては遺骨を置ける場所を、とお願いしてボランティアの方々に整備してもらい、震災後4日後から復旧に取り掛かりました。
以前は、仏教の教えを説くための活動でしたが、現在は被災地の現実を語り歌う「語り部」として再結成、多くの人に東日本大震災を伝えるため、日本各地、海外ではサンフランシスコ、ハワイの団体にも声を掛けられて「めげない・にげない・くじけない」を様々な地域に出向いて伝えています。現在、健康上の理由で活動を休止していますが、「気仙沼で生きる」ということを、亡くなった方の思いを伝えることを使命として活動再開に向けて過ごしています。カッサパの「陽はまた昇る」という曲は、気仙沼の人たちは「海に生かされている」ということを伝え、音楽にのせて応援していきたいという証でもあります。

11月19日(月)放送

気仙沼市 OCHACCO 代表 内藤康生さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

2018年5月1日に女川町プロムナードに商店街に店舗を構えたOCHACCO の代表 内藤康生さんにお話を伺ってきました。気仙沼市出身の康生さんが、お姉さまの裕里江さんとともに立ち上げた日本茶のフレーバーティ―ブランド「OCHACCO」は、お茶っこ飲みの現代スタイルに合わせてアレンジ、日本茶の魅力を広め、日本茶を通じて東北を盛り上げようと2017年に創業、今回女川町に店舗を構えました。
店舗内のインテリアなどは、自分たちで手掛けてきたので、女川町に新店舗が完成した時の喜びはひとしおでした。オープン後、店舗での営業は常連さんも多く、お茶っこを楽しむ人できにぎわっています。日本では珍しい炭酸入りの日本茶など、ここでしか味わえない日本茶の楽しみ方ができる場所となっています。
今後、季節毎に楽しめる「新しい日本茶の楽しみ方」をどんどん提案し、県内だけでなく日本中、世界中のお客様が訪れる日が来ることを祈っています。女川町に拠点を構えた「OCHACCO」、街の盛り上げにも一役買っていくことになっていくでしょう。

石巻市鮎川 鮎川港まちづくり協議会 齋藤富嗣会長

鮎川は、今、鮎川浜拠点地区の復興に向けてたくさんの施設がオープンに向けて整備されています。
震災前を超える観光客の誘致を目指し、2019年秋に「観光物産交流センター」「ビジターセンター」、2020年秋には「おしかホエールランド」がオープンを控え、現在、3施設が建設されています。
新しい観光のスタイルを築き上げるため、体験ツアーやワークショップ、その他イベントなどで盛り上げようと、まちづくり協議会ではいろいろと準備をして大忙しです。
鮎川といえばクジラ、というイメージを大切にしつつ、牡鹿半島の自然や文化など生まれ育った町の文化を継承しながら各施設の新オープンを待っています。地域の人々との連携、つながりはどの地域にも負けません、今後も鮎川に注目してください。

11月12日(月)放送

山元町 みんなのとしょかん山元 菊池慎一郎さん
小笠原遥アナウンサー取材リポート

今回取材したのは、山元町の菊池慎一郎さん(70)です。菊池さんは震災で被災した山元町の花釜地区で「みんなのとしょかん」の館長を勤めています。この【みんなのとしょかん】は今年で設立6年目。今年6月にもともとあった場所から200m離れた場所に移設しました。新たな場所の敷地は、趣旨に賛同した元住民が被災した住宅の跡地を寄贈、現在プレハブで運営しています。
地域の自治会で、何気ない話をきっかけに【みんなのとしょかん】が生まれ、現在1万5千冊が貯蔵されています。狭い場所での運営のため、3,000冊だけがプレハブ内にあるとのことです。これまでの運営はずっと、地域住民10人のボランティア、当番制で行なわれていて、管理しているボランティアの方々の呼び名はG7(おじいさんが7人)、バーテン(おばあさんが10人)(笑)です。
60歳以上の方々ばかりなので「電子図書」などの運営の仕方がわからない、若者不足など運営には問題点もあります。
毎年3月11日に行われる行事「追悼の夜 あなたを、あの時を忘れない」は、みんなのとしょかんの大切な行事。。。プレハブ前に竹灯籠や絵灯籠や陶製の地蔵を並べ、亡くなった人たちの鎮魂を祈ります。広報活動や今後のためにも、菊池さんは若者のボランティアを切に望んでいます。気になった方は、一度ボランティアで参加してみるのはいかがでしょうか。

NPO法人 アスヘノキボウ インターン生 川瀬由紀子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

京都大学の学生、川瀬由紀子さんは大学で国際教養を学び高校時代を含めボランティアで何度も東北を訪れています。大学生活も終盤になり、就職活動を考える中で今回、大学を休学して女川町にやってきました。親せきが宮城県松島市野蒜地区にいらっしゃったご縁もあり、小さいころから宮城県には遊びに来ていたそうです。
川瀬さんが中学3年生の時に東日本大震災が発生、親せきのおじさんといとこ2人が震災の津波の犠牲になりました。京都で震災のニュースを見聞きした川瀬さんは、そのすざましさの記憶、親せきの方々との思いが原動力となってボランティアを始め、現在も継続的に宮城県へ訪れています。この宮城県で何があったのか知りたい、という思いが川瀬さんを動かし、その中で出会った人たちとの交流から東北に魅力を感じて足を運んでいます。
女川町でのインターンは来年2月まで続きます。女川で、街の魅力を知り、その土地の人たちと心を通わせて今後数カ月を過ごします。その間、女川の復興の裏側をじっくり見て「震災復興」のスピード感、歩みを感じたいと話してくれました。