12月9日(月)放送

スタジオゲスト
宮城学院女子大学 「いつか君の花明かりには」~地域に届ける防災映画上映会~
一般教育部教授 天童睦子先生 / 4年生 高橋茉莉奈さん

きょうはスタジオにゲストお2人をお招きしています。宮城学院女子大学 一般教育部教授 天童睦子先生 / 4年生 高橋茉莉奈さんです。
東日本大震災を契機とする<地域子ども学>の構築、子供の視点に立ったコミュニティ研究の拠点形成に携わる天童先生と、ウガンダ共和国に留学中に「いつか君の花明かりには」という防災啓発ドキュメンタリー映画に出会った高橋さんのお話です。
宮城学院女子大学は、文部科学省選定 2018-2020年度 私立大学研究ブランディング事業の支援対象校に選定されていて、天童先生は、東日本大震災後の地域社会の復興、特に子供・子育てに関わる問題を専門的に扱う「地域子ども学研究センター」のプロジェクトリーダーを務めています。
被災地にある大学として、地域復興を強く推進してきた実績とともに「学習支援」「食育」「子どもの居住・生活環境」、子供の視点に立ったコミュニティ研究の拠点形成を目指すことを目標として活動していらっしゃいます。
そのゼミの生徒の一人、高橋茉莉奈さんはウガンダ共和国に留学して「いつか君の花明かりには」の映画を制作した小川光一監督と知り合い、宮城県でもドキュメンタリー映画を上映したい強い気持ちが生まれました。小学生の時にお父様を病気で亡くされたこと、中学生の時に東日本大震災に遭遇したことの2つの経験から「後悔する人を救いたい」と心から思ったからです。
そんな2人の強い思いは、2つの研究発信をする目的で、「子供の居場所を科学する「音環境の課題」」「いつか君の花明かりには」(上映会)として開催されます。

◇「いつか君の花明かりには」(上映会)※学生プロジェクト
日時・・・12月12日(木)14:40-16:10
場所・・・宮城学院女子大学C202 ※申込要 022-277-6207
上映会には、防災映画ドキュメンタリーを制作した小川光一監督もいらっしゃいます。
この機に防災について改めて学んでみてはいかがでしょうか。

◇子供の居場所を科学する「音環境の課題」
日時・・・2020年1月16日(木)12:30~
場所・・・宮城学院女子大学C202 ※申込要 022-277-6207

12月2日(月)放送

石巻市 おにぎり 野田や 野田恵一さん
後藤 舜アナウンサー取材リポート

「いしのまき元気いちば」から西に徒歩5分ほどの場所にある「おにぎり 野田や」の野田恵一さんです。
創業38年のお店は奥様と2人で経営していますが、元は2代続いていた下駄屋でした。好きだった料理を仕事にしたいという思いから思い切って業種転換したそうです。朝6時から開店していて、朝は通勤・通学のお客さんと昼は休憩中のサラリーマンが多く訪れます。
2011年の東日本大震災では、広報車の「津波が来るから逃げろ」という警告で(来ないと思っていたが)店の2階に避難したのですが体は水に漬かってしまい部屋のカーテンに包まって1日過ごし、その後日和山のお姉さんのところに避難したそうです。お店も津波にのまれてしまいました。
絶望の中にいた日から今まで8年8か月。。。お弁当を購入しに来てくれる常連さんやボランティアの方々が手伝い・差し入れを申し出てくれた人たちのこと、あの日を思い出すと言葉が詰まります…。「おにぎり野田や」は、震災発生から半年後にもとの場所で営業再開、今も笑顔でお客様を迎えています。
最後に、野田さんはご自身の引退を85歳と決めていて、これからの10年を大切にし「美味しいものを作ることが恩返し」という目標をもって今日もお店に立っています。愛情のこもったおにぎりと店自慢のお惣菜、カレーを是非一度買いに立ち寄ってほしいお店です。

ISHINOMAKI2.0 阿部拓郎さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

石巻市月島出身の阿部さんは東日本大震災をきっかけに石巻に戻り、自宅・家族の復旧・復興をすることを決めました。幼い頃の体験をきっかけに「石巻のことが好きじゃない」と言う思いを持ち、仙台の大学を出た後は東京で生活を送っていた、そんな阿部さんを取材しました。
いろりカフェの運営から、いしのまき学校、移住ガイド事業など様々なことを手掛けているISHINOMAKI2.0の中で、阿部さんはコミュニティー事業を担っています。働き始めておよそ3年。試行錯誤しながら仕事を続けていますが、コミュニティづくりという仕事にやりがいを感じつつも、難しさも感じています。
もともと土地の縁でつながっていた場所が震災で崩壊し、全く新しい人たちとこの場所でつながりをつくる…。まだまだ「石巻を好きになっている途中」と話していますが、人と人を繋いでいく仕事に楽しさを感じている様子が伝わってきます。現在、以前勤めていたDVDレンタルショップの経験を活かし、映画を通したコミュニティづくりを手掛け、さらに石巻でのつながりの場の提供を行っています。
次のイベントは12/21(土)、旧観慶丸商店で映画の上映会を開催します。自分自身も石巻を楽しんでさらに面白い場所になれるように日々奮闘中です。

11月25日(月)放送

世界防災フォーラム前日祭 きずなFプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

世界防災フォーラムとは、東日本大震災の教訓をもとに防災の取り組みや研究成果を報告する国際会議です。11月9日(土)~12日(火)の4日間、仙台国際センター会議棟や東北大学 川内萩ホールを会場に行われました。、世界40以上の地域から900人が参加し、行政・大学・民間企業の関係者たちが知恵や技術を学び、犠牲者と被害の縮小につなげていくことを目標に話し合いの場が持たれました。
会議の中では、閖上太鼓の力強い「絆」の演奏や、きずなFプロジェクトの高校生の「紙芝居」など東日本大震災を題材にした発表がなされました。震災を継承することは大変難しいことですが、仲間とのつながりを大事に今後も10年、30年と世代を超えて語り継ぐことが期待されます。
番組で継続取材をしているきずなFプロジェクトの高校生たちの次なる目標は「震災を経験していない世代への伝承」。神戸学院大学との意見交換の場もあり、1995年に起こった阪神・淡路大震災の防災への向き合い方も大変勉強になったようです。
(きょうは、きずなFプロジェクトの生徒たちを中学校時代から支えてきた名取第二中学校の瀬成田先生と電話を繋ぎ感想を伺いました。)
「世界の舞台での教え子たちの活躍、大変頼もしいです。今後も紙芝居を通して、震災を知らない世代に向けて伝えていくアクションの手助けをしていきたいです。世界へ防災を“伝えていく”という使命、今後も活動が楽しみです」とお話しくださいました。

11月18日(月)放送

石巻市 豆腐のはやし屋 林光二郎さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

石巻市中央で豆腐店「はやし屋」を営む林光二郎さんにお話を伺いました。お店は創業100年の老舗の豆腐屋さんで、木綿豆腐・絹ごし豆腐・がんも・厚揚げ、お惣菜などを販売しています。とくに「飛龍豆」という珍しい種類のがんもは、本来精進料理として使われていた甘みがあるもので、子供でも食べやすく人気の商品となっています。
「はやし屋」は震災の前の年に建物を直したばかりですが、震災の津波で1階が全滅してしまい、2011年の7月に直して営業を再開。先月は台風19号の影響で製造場が冠水するなど2度の災害を乗り越えての営業です。今まで紡いできた100年の歴史の中で3代目を任された林さんは、「手間」にこだわり現在もとうふ作りに励んでいます。
震災後は横浜国立大の生徒と「石巻となりの窓プロジェクト」や石巻専修大の生徒との「石巻おでん」など、この街をどうやって作り直すかを若者たちと一緒に考え、「外から来た人が見つける価値」を見出す活動も行っています。ちょっと元気のない石巻市の今後について真摯に向き合っています。

「赤飯まんじゅう」甘陣本舗 千葉寿子さん、中村きみこさん、娘のゆみさん
林田悟志アナウンサー取材リポート

以前は大手町で甘党の本陣を、との思いで菓子店「甘陣本舗」という洋・和菓子店を営業していた千葉さんは、現在お店を構える石巻市大街道で被災しました。お店は壊滅状態だったため、震災当時にはお店をたたむことを考えましたが、ご主人が「震災で食べ物が亡くなった今こそ、もち米を使った甘いもので勝負したい」という執念のもと、もち米を使ったまんじゅう(生姜ぶかしまんじゅう・白ぶかしまんじゅう・赤飯まんじゅう)3種類だけで、今もお店を経営しています。
石巻のソウルフード的な要素もある「赤飯まんじゅう」は、もち米に甘さと少し塩分を加えそれを蒸かして握る、薄皮で包んだものです。まんじゅうといえどもあんこは入っていません。本来あんが入っている部分がすべて赤飯になっているめずらしいもののため、東京からわざわざ買いにくるお客さんもいらっしゃいます。
残念ながら、赤飯まんじゅうを考案したご主人はお亡くなりになりましたが、今も家族で「父が残した味」を守っています。皆さんもぜひ一度味見してみてはいかがでしょうか。

 

11月11日(月)放送

南三陸町歌津 自然卵農園 大沼清功さん
安東理紗アナウンサー取材リポート

南三陸町歌津にある養鶏場自然卵農園は、田束山麓で養鶏をはじめて今年で7年目を迎えました。歌津生まれの大沼さんは東日本大震災時気仙沼で働いていましたが、歌津の自宅は流され、仕事は業務縮小に伴い解雇、避難所生活を送ることとなります。その後避難所生活中に娘3人が震災後「海をみたくない」と訴えたため一旦北海道江別市に移住しました。
移住先では「やりたいことは何か」を突き詰めた結果、大沼さんは「卵」に着目し養鶏の勉強を開始します。しかし、歌津のお父様が具合を悪くしたためまた南三陸町に震災後2年という短い期間で地元に戻ることとなってしまいました。2013年からは養鶏事業が本格化、奥さんが経営するクレープ屋で使用する程まで良い卵を育てることに成功し、現在も自然なスタイルで鶏を育てています。
さて、震災時に「海をみたくない」と訴えた娘のほのかさん、当時小学6年生だった彼女は宮城県の農業大学校を卒業し成人しました。現在は南三陸町の入谷地区で農業を始めています。栗の農園づくりを目標としクラウドファウンディングで事業費を獲得、自分の夢である農園を持つことになりました。まだ苗木の注文が済んだばかりですが、夢へ向けて1歩1歩近付いています。
震災後帰りたくなかった南三陸町でしたが、地元の方々にアドバイスなどをもらい、支えられ、親子そろって新たなチャレンジを楽しんでいます。今後とも、大沼さん一家を応援、取材していきたいと思います。