1月16日(月)放送

南三陸町「創菜旬魚はしもと」 及川満さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

南三陸町さんさん商店街で昨年12月末で営業を一旦終了し、3月3日に新しく本設オープンを待つ「創菜旬魚はしもと」 及川満さんにお話を伺いました。
きらきら丼や新鮮な魚、大きなカキフライなど、お店での食事は毎回訪れるたびに満足している伊藤アナウンサーのお気に入りのお店です。今年3月からは新さんさん商店街での営業となります。きょうは、新店舗オープンの前にお邪魔してお話を伺いました。
現在は、カウンターとテーブル席で20席ほどのお店ですが、次の新店舗はより大きな場所での営業です。新しいお店では、今までよりも家賃も高く、昼間の営業と夜の営業の2部制で、特に夜の営業がメインになっていきます。
地元のお客様にも観光のお客様にも満足して頂けるよう、この休業期間はメニュー決めや料理のラインナップなどに勤しんでいます。
及川さんは、これから個人事業主として新たなスタートをきります。今回の本設ではじめて「自分のお店を持つ」、これからが本番です。

南三陸町 新コミュニティ再生へ向けて 佐藤清太郎さん
根本宣彦アナウンサー取材リポート

集団移転によって造られた新しい街でのコミュニティ再生に尽力する佐藤清太郎さんを取材しました。
やっと、自分の住居ができてうれしい反面、新しい街にはまだ生活の営みであるスーパーや商店、金融機関などの整備が途中です。
南三陸街で育った佐藤さんは、生まれ育った町に戻りましたが隣の登米市に買い物にでています。
車のない方は病院の敷地内にあるコンビニエンスストアに買出しに出ていて「買い物難民」になっている方が多いようです。
また、震災前と同じ行政区内の方が志津川に戻ってきましたが、コミュニケーションづくりをしないと孤立化するという問題も表面化してきました。佐藤さんはみんなで集まる機会をとるために、ラジオ体操をはじめたり、お茶っこ会の場を作ったりして絆の再生に勤めています。
地域の皆さんと交流を通じて健康寿命を延ばそうと思う一方、街の高齢化も心配です。震災後、少子高齢化ではなく高齢社会になったこともあり、子供の声が聞こえない、これから南三陸を担う子供たちが少ないことが気がかりです。
震災前の南三陸町の人口は1万7600人でしたが、去年12月には1万3500人となり4000人近く町民が減ってしまいました。
地元に帰りたくても、その思いは時とともに薄れ、また若い人は帰りたくても働くところがないと新たな問題も増えました。これは南三陸町に限ったことではなく、全国の過疎、高齢化の問題を抱える自治体共通の課題でもあります。今後の復興の行方弐注目していきたいですね。

1月9日(月)放送

あけましておめでとうございます、2017年も宮城県内の震災後の様子をくまなく取材していきます。どうぞよろしくお願いします。
 さて、本日は毎年恒例(!?)、岩沼市の復興に尽力されている谷地沼富勝さんに3年連続お越しいただき「岩沼の今」をお伝えいただきます。
IMG_2366

岩沼市では集団移転が行われていてコミュニティ面ではソフトの充実がさらに必要になってきました。2016年は熊本地震で被災した熊本県の益城町にも訪れ被災地同士の意見交換を行いました。岩沼市にある「みんなの家」はもともと益城町からスタートしたこともあり、交流を継続しながら支え合っています。

また、岩沼市は「みやぎしろめ」の発祥の地ということで、「岩沼みんなの家」ではクラウドファウンディングを利用して日本全国、世界へ「まめもち」を発信したいと考えています。
まだまだみなさんの力が必要です。
お力添えを頂ける皆さま、興味のある方は「岩沼みんなの家」HPまでご連絡ください!

12月26日(月)放送

今日の3.11みやぎホットラインは、「2016今年1年を振り返って」と題して放送をお送りします。

12月19日(月)放送

仙台市鳴瀬サロン 代表 高橋あきらさん
鈴木実森アナウンサー

仙台市鳴瀬サロンは、東松島市鳴瀬町で被災された方々が毎月第2土曜日に仙台市青葉区中央市民センターに集まり交流しているサロンです。仙台に定住を選んだ方や、鳴瀬町に戻った方々達が集合し、交流会は12月10日で53回目を迎えました。今回は25名の方々が参加し、近況報告や誕生日のお祝いなどを行いました。
 東松島市鳴瀬町は隣近所のつながりが強いエリアだったため、今の生活・新居での暮らしには慣れたものの淋しさが募り、参加しているという方もいらっしゃいました。
 震災から5年9か月がたちそれぞれの環境に変化がありましたが、代表の高橋さんは「1回目のサロンは、笑いが少なかった交流会も、会を重ねるうちにボランティアさん達の協力を得て参加者の笑顔も増えてきました。」と振り返ります。
今後も、毎月第2土曜日に仙台市青葉区中央市民センターで交流会は継続します。この空気感が懐かしい方の参加をお待ちしています。

多賀城市復興商店街から自立再建「居酒屋CHA-CHA」
林 朝子アナウンサー

 陽気な音楽が流れる飲食店「居酒屋CHA-CHA」は、JR仙石線の多賀城駅から徒歩1分の場所にあります。11月にオープンした、オールドアメリカンの雰囲気が印象的なお店です。以前は仮設商店街「わいわい村」で店舗を構えていましたが、商店街が去年6月に入居期限となった事を機に、1年半かけて「本設」移転を果たしました。
 居酒屋CHA-CHAは、40年前に菊地さんのお父様が「小料理茶々」として開いたお店でした。父の仕事に憧れて店を継ごうと決めた矢先の東日本大震災。「いつかはお店を」という気持ちを持ちながら、仮設商店街が閉店してから銀行の融資700万円を経て、念願かなっての店舗再開です。
 以前の復興商店街「わいわい村」には24店舗が入居していましたが、現在20店舗程のお店が自立しているとのこと。自治会長を務めていた菊地さんが最後の出店になったそうです。
 宮城県内各地の復興商店街が期限を迎え、各々が旅立つ時期(自立再建)の節目に面していることについて「被災された店主の皆さんも再出発は本当に大変だと思います。体力も気力も必要な大変なことだと思いますが、前向きにみんなが前進していければうれしい」と話してくれました。

12月12日(月)放送

石巻婦人防火クラブ 佐藤君子さん(71)
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

 石巻市雄勝町 佐藤君子さん(71)は、地域の防災活動に尽力し、東日本大震災発生から今もなお地域の防災活動に尽力しています。
 震災当日、石巻市に出かける予定だった佐藤さんご夫妻は、牡鹿半島の高台桑野浜にある自宅で被災します。強い揺れがおさまるのを待ち、みんなが避難している一時避難場所に婦人防火クラブ会長として向かいます。崖崩れのため、一車線になった道路を走り、二次避難場所の高台にある大須小学校へ向かいました。そこから避難所生活が続きます。
 多い時は700人以上が避難した大須小学校では、婦人防火クラブ歴15年の経験を生かして避難所経営に携わります。子供も大人も立場が一緒の避難所で文句ひとつ言わず、手袋もしないでプールからトイレへ水を運ぶ子供のふるまいに心を打たれ、津波で自宅が流され自暴自棄になっていた大人たちに叱咤激励をしたこともありました。
そんな中、佐藤さん自身も震災から1週間以上、娘と孫の生存確認が取れず避難所で夜を過ごします。昼間は気丈に過ごしていましたが、実は布団をかぶって声を押し殺して泣いていたそうです。その後娘さんたちの無事は確認できましたが涙は落ちませんでした。
 現在は公演活動等で忙しく走り回る佐藤さん。津波の恐ろしさを伝えるのではなく、避難所運営の経験から、いざという時の心の団結を伝えたいと話します。震災後、お年寄りが多く残った石巻市。婦人防火クラブの存続も解散するより、存続・継続を選択しボランティアを続けながら、クラブの後継者探しも始めました。
 取材を通して、佐藤さんの責任感の強さ、リーダーシップ力などを垣間見ることができ、本当に貴重な人材だと感じさせられました。

南三陸古民家再生 高橋未來さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

 南三陸町に住む東京出身の高橋未來(みく)さんは、南三陸町で「夢のおもてなしのできる宿」、住まい兼民宿を探していました。その時一目ぼれした住宅が、今回お邪魔した南三陸町祓川にある古民家です。
 自然豊かなこの地で古民家を修復しながら、夢の民宿経営をするために、ご主人と2人で過ごしています。2011年の8月にボランティアで訪れた南三陸町。もともと住んでいた住民の方とかかわり、出会いが忘れられずに、4年前に仕事を辞め南三陸町に移り住みました。移住後は観光協会などで仕事をしながら町の復興に協力してきました。
 現在は、民宿オープンまでまだまだ作業が続きます。進捗状況は全行程の10%、作業は進んでいません。しかしのんびり南三陸のまちの皆さんとふれあいながらスローライフを満喫しています。南三陸町の魅力もSNSなどで発信しています。今後が楽しみですね。