2月11日(月)放送

仙台市KUWACHOCO  菊池柳秀さん
安東理紗アナウンサー取材リポート

仙台市若林区荒井で300年続く農家の13代目の菊地柳秀さん(75)。震災による津波で自宅や農地・農機具を失いましたが、翌年新たな取り組みとして桑の栽培をすることになりました。最初はとにかく津波の影響でがれきと塩水で農業を継続するのは難しいと思っていましたが、日本ハビダット協会の協力を得て、荒井の農家4軒が桑の栽培を始めます。
震災の翌年は75本桑を植えましたが、順調に成長し、今では2000本まで生産量が増えました。その桑は「桑の茶パウダー」として加工していましたが、幅広い層に桑を楽しんでほしいとの思いから、チョコレートの加工も行うことになりました。
この桑チョコ、販売委託を児童養護施設「子どもの夢ネットワーク」が行っています。チョコの包装などを施設の子供たちが手伝っています。そのアルバイト代は、そのまま報酬として子供たちが得ています。今後は施設にいる子供たちの社会勉強、収入を得る手段として役に立っています。
桑チョコは、青葉区に百貨店藤崎で2月14日まで期間限定販売です。是非お買い求めください。


石巻市のラーメン店 「浜よしのうまかべぇ~」大坂善万さん
後藤舜アナウンサー取材リポート

石巻市須江にある「浜よしのうまかべぇ~」大坂善万さんは、震災前に石巻漁港の近くで「浜よし」というラーメン店を営んでいました。妻のかよ子さんとともに二人三脚で作り上げたお店は34年間、地域の方に愛されてきました。しかし、2011年の震災で店舗と奥さんを失ってしまいます。
仮設住宅でひとりで過ごし始めた大坂さんは喪失感でいっぱいになり、お酒ばかりを飲んで食事もままならなくなってしまいました。その生活が原因で、体に異変を感じるようになったそうです。大坂さんはその境遇から逃れようと集会場へ顔を出し始め以前の自分を取り戻そうとします。自分ばかりと感じていた寂しさは、同じ境遇の方に出会うことで少しずつ前向きになっていきました。
その後、津波で失ってしまった「浜よし」の常連さんが後押しをしてくれて去年10月に震災から7年半を経てお店「浜よしのうまかべぇ~」を復活させます。昔から親しまれている味を求め、店を再開してからは以前の常連さんや地元のお客さんで活気づいています。
店の再開を亡くなったかよ子さんへも、もちろん報告しました。きっと天国で「頑張れー」と言ってくれているはずです。妻のかよ子さんのためにも今後は行列のできる店「浜よしのうまかべぇ~」になることを目標に、またラーメンを食べてくれた人がみんな笑顔になるように努めていきたいとお話ししてくれました。

1月28日放送分

塩釜市 シーフーズあかま 赤間俊介さん
増子華子アナウンサー取材リポート

みなさん、わかめはお好きですか?わかめの旬というと3,4月頃のイメージがありますが、塩釜では全国で最も早い12月から収穫されます。
今回は塩釜のワカメ漁師 赤間俊介さん(35)を取材しました。
ワカメ漁は塩釜港の東端にある漁場で行われ、その風景は七ヶ浜まで畑のように続いています。
赤間さんは、震災当日朝9時くらいまでワカメ漁に出かけていました。朝9時に漁から戻り、当時まだあった工場で加工、配送、物流の仕事に従事していました。午後2時46分の大震災で海には近づけず翌朝海岸へ向かいましたが、船は流され工場は半壊、そこには現実離れした風景が広がっていました。
すぐには漁業を再開することができず、その後、かっこいい、稼げる、革新的な漁師をつくろうと若手漁師とともに2013年に「フィッシャーマンジャパン」を立ち上げます。そして2016年には「フィッシャーマンズリーグ」という水産業をPRする団体へ進化させ、三陸というブランドを世界に発信することを目的に活動を大きく展開します。今も都内で食育活動や海外への輸出などを手掛けています。
水産業の六次化産業は、生産から販売まで共同で行う地域単位の活動です。人と人とのつながりを大事に、今後も地域の方々とパートナーシップを強めていきたいと話してくれました。

インドネシアスンダ海峡津波について 東北大学災害科学国際研究所所長 今村文彦さん
根本宜彦アナウンサー取材リポート

インドネシア中部とジャワ島とスマトラ島の間のスンダ海峡で発生した津波から1カ月経過しました。現地調査を行った今村教授が、山の一部が大きく崩れて海に落ちた「山体崩壊」の状況について解説してくれました。
発生した津波はスピードが速く、瞬間的な破壊力が大きかったため、ジャワ島側とスマトラ島側の沿岸部で建物被害が大きく報告がありました。局所的に津波が大きく遡上した場所は、津波の高さが13m(ビル3階相当)あったそうです。
インドネシアの火山活動によって起こった山体崩壊は、噴火により110m下がって標高が噴火前の3分の1になりました。エネルギーは小さい規模でしたが部分的に集中しているため被害が大きくなったと考えられます。
住民にとっては何の前触れもない突然の山体崩壊による津波は、警報を出すには難しく、当時津波警報は出なかったとみられています。通常の地震による津波に関してはある程度警報が出ますが、それ以外は大変難しく、津波の発生をいち早くとらえて沿岸部に伝えるとなるとリアルタイムでの監視、観測体制が求められます。インドネシアの火山活動は小康状態ですが、海のそばで異変を感じたら高台などより高いところへ移動することが重要になってきます。中長期的に対応をどうするか、早く監視体制を整えることが重要だといえます。

1月21日(月)放送

亘理町 中国料理「万里」最上光三さん
藤澤智子アナウンサー取材リポート

亘理町荒浜にある中華料理の店 万里。店主の最上さんは仙台市内のホテルで総料理長を務めた後、震災の4年前に亘理町に万里を開きました。しかし、東日本大震災で店の天井まで津波が押し寄せたため、営業ができなくなりました。
その後、店の中にあった泥やがれきをきれいに片付け、8か月後の12月にお店を再開させます。現在店を始めて11年、自分を含め周囲のみなさんの高齢化が進み、自分自身がいつまで働けるか不安を感じながら過ごしているそうです。
最上さんは荒浜にあった自宅を(災害危険区域との境界線にあったため)取り壊し、今は復興住宅に住んでいます。自宅跡には食材を保管する倉庫だけがあるだけです。周りを見渡してもかつては住宅がびっしり立ち並んでいた場所にポツンポツンと再建した家があるだけで、8年経とうとしている今その空いた土地に新築の家を建てて住む人はほとんどいない状況です。
荒浜小中学校は、津波の避難を想定した新しい校舎ができていますが、これから生徒数をどう確保していくのかが課題です。荒浜の文化をどう守り継承していくかも難しい問題です。

孤立・孤独死を防ぎたい-映画完成 
豊里コミュニティ推進協議会の佐々木豊さん・集落支援員の川谷清一さん
林朝子アナウンサー取材リポート

映画「ひとりじゃない」は、震災で妻と娘を亡くした一人の男性が主人公で、石巻市からひとり豊里に移住してきた設定の物語です。津波の犠牲になった妻が残した留守電を聴くことが日課で、地域になじめず孤立した男性がある出会いを通して少しずつ前を向き始める、という内容となっています。
映画のシナリオを手がけた集落支援員の川谷さんは、被災地での「孤独死」の現場に立ち会う経験がありました。その経験をつづり、いつか映画にしたいと思って4年前から自分のノートにメモを書いていました。
以前からずっと心の中で思っていた「孤立・孤独死を防ぎたい」という思い、被災地だけの問題ではない「孤独死」をこの映画を通して感じ取ってもらいたい、という思いが詰まったストーリーです。
ロケ地としてお店などの撮影場所の交渉を行った豊里町の制作委員長 佐々木さんは、大阪から来た撮影隊の胃袋を美味しい豊里の味でいっぱいにしました。撮影隊はその人の温かさや支えがあって映画が完成したと感謝しています。

現在映画「ひとりじゃない」は、希望者に無料で貸し出しを行っています。上映時間は40分。
お問い合わせは、豊里公民館(0225-76-2237)までご連絡ください。

1月14日(月)放送

ごはんと麺の店 美晴 山川みゆきさん
林田悟志アナウンサー 取材リポート

亘理町荒浜で民宿「美晴」を経営していた山本さんに取材しました。
震災で全壊した民宿は閉店、のち2015年6月亘理町東郷に場所を移しご飯と麺の店「美晴」として復活、民宿時代からのお馴染みさんと山元町の新規のお客様でにぎわっています。
2011年から2015年の4年間、山川さんは福祉関係で作業指導員の仕事をしていました、それはお店を再開できると思っていなかったからです。震災後ご主人も亡くなってしまい、今後の人生は民宿とは別の仕事をして生きていくと思っていました。
しかしお店再開について息子さんに相談したところ、店を気にしていたご主人の気持ちを大切にしたいという思いがけない返事が返ってきました。息子の弘嗣さんも結婚をし人生の転機を迎え、いろいろな感情が入り混じっていた頃だったようです。
現在、亡くなったご主人の意思「何か荒浜らしいラーメンを作りたい」という言葉の通り「鳥の海ラーメン」を開発、お店の看板メニューになりました。お店の場所が東郷に変わっても、民宿時代のお客様がはらこ飯を堪能しに来てくれています。これからもお客様といっしょに荒浜の変わらぬ味を守り、提供していきます。

ごはんと麺の店 美晴
亘理町東郷147-7 電話: 0223-36-9909

気仙沼支局 重富記者 電話インタビュー
スタジオ生電話

気仙沼の2019年は「繋がる年」。三陸自動車道が早ければ来月にも気仙沼市南部の本吉町と仙台港北ICが繋がります。3月は気仙沼光洋高校校舎が震災遺構として開館するほか、魚市場が整備されます。
そのほか、気仙沼大島大橋が4月7日に開通、現在2400人が暮らす大島と本土が繋がります。今までフェリーで片道25分かけて島民のみなさんは移動していましたが、悪天候で島が孤立してしまう危険性をはらんでいました。その島民の「命の橋」が、「復興のシンボル」として誕生します。
島の方々の中には治安や環境の変化に対して不安の声もありますが、救急車の緊急搬送や本土との行き来が楽になるなどメリットもあり、これからは気仙沼大橋開通に向けて島民の方々も心の準備、橋をうまく活用するための心構えをしていきます。

2019年1月7日(月)放送

亘理町 安住いちご園 安住 巌さん
藤沢智子アナウンサー 取材リポート

藤澤アナウンサーが亘理町へ取材に出かけました。
亘理町長瀞のイチゴ農家、安住 巌さんは震災時にハウスも自宅も流されてしまいましたが、従来の土で作る土耕栽培にこだわりボランティアの皆に手伝ってもらいながらイチゴ栽培を継続してきました。従来、水耕栽培でイチゴを育てている農家が多い中での作業です。
当初イチゴの栽培に不可欠な地下水は津波の影響で、長く塩分濃度の高い状態が続きました。今までの7年間、タンクで水を他の場所から汲んできてイチゴに与えていましたが、最近地下水が復活したそうです。作付面積を減らし奥様と2人で土づくりから始めたイチゴ栽培は、震災前のように地下水をくみ上げての栽培へ戻りました。今後も、夫婦2人で「健康第一」、皆様に喜んでいただけるようなおいしいイチゴづくりを続けていきたいと話してくれました。

女川水産業体験館 あがいんステーション
スタッフ 阿部真知子さん 電話インタビュー

2019年は、1月2日からあがいんステーションがオープンしました。里帰りで帰ってきた人たちがお土産を購入していく風景が毎年みられましたが、今年はそれほどではありませんでした、しかし、地元の人々が年末年始のご挨拶に贈答品を購入したり、食事処を利用したりと違いが見えてくる年末年始でした。
年末年始と言えば、阿部さんは大晦日に女川町でカウントダウンイベントに参加し、初日の出も女川で見たそうです。今年は災害公営住宅のベランダから初日の出をみたという方もいらっしゃったそうでそれぞれの地元での過ごし方にも変化が見えてきました。震災から間もなく8年を迎える2019年、昨年は日本中で災害も多く起こりましたが、良い年になるように願うばかりです。