10月15日放送分

中野ふるさと学校 佐藤雅信さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

中野ふるさと学校 は宮城野区高砂市民センター(仙台市宮城野区)で活動しています。東日本大震災でばらばらになった元中野地区の住民たちで構成され、代表は南相馬市出身、30年中野地区に住んでいた佐藤雅信さんが勤めています。
活動内容は、震災前の街並みを模型で再現するなどのジオラマづくり、ふるさと山学校などの企画があり、中野地区が自分たちのふるさとであることを再認識し、周辺住民とのつながり、元の中野地区の記憶を継承しています。
震災後、中野地区は大半が災害危険区域に指定され、住民全員がふるさとに住み続けることはできなくなってしまいましたが、今も元の住民との交流の場を設け、地域の防災を今後につなげるために語り継いでいます。
そのほかふるさと学校では、「日本一低い」日和山登山、などの行事を企画しています。興味のある方は高砂市民センター022(258)1010までご連絡ください。

七ヶ浜町きずなFプロジェクト 元光洋中学校 紀野国七海さん
古野真也アナウンサー 取材リポート

元光洋中学校の卒業生、紀野国七海さんは春の中学校卒業とともにFプロジェクトを離れましたが、今も何らかの形でFプロジェクトに関わりたいと思い、新しい団体を卒業生有志とともに『きずなFプロジェクト』を立ち上げました。2か月に1回のペースで会議を重ね8月13日に初の室外活動を行いました。
フィールドワークにはメンバー7人が参加し、七ヶ浜町内の語り部ボランティアに所属する二階堂修さんと一緒にバスで町内を移動しながら当時の話を聞きました。目の前にあるきれいな景色とは結び付かない七ヶ浜の町におこった震災の話を聞きながら改めて震災について考えました。
町内の避難路を説明を聞きながら歩き、気が付いたことが「津波到達の看板」が見えにくくなっていることです。震災から7年がたち、高校生になって気が付くことも増えました。町内の人にも伝わる防災情報、人の命をどう守るかを目標にオリジナルのハザードマップの作成や避難路の入口に花を植えるなどのアイディアがでました。今後も活動が楽しみです。

9月17日(月)放送

多賀城市 居酒屋「浜の宴」店主 樋渡 忠弘さん
林 朝子アナウンサー 取材リポート

多賀城市桜木にある居酒屋「浜の宴」店主 樋渡 忠弘さんを取材しました。JR多賀城駅の多賀城図書館側の出口を出て、砂押河を渡った先に続く商店街の並びにあります。もともと石巻市の牡鹿半島・荻浜出身の樋渡さんは、料理人としてこれまで仙台や松島、多賀城のホテルや飲食店で働いてきました。
しかし、15年前の結婚をきっかけにお嫁さんの実家のある多賀城に店を構え、その後2011年に東日本大震災に遭遇してしまいます。店で仕込みをしていた途中ですが、幼稚園に通う子供たちといっしょに車で逃げ、迫りくる津波にのまれそうになりながらも命からがら逃れ、事なきを得ました。
自宅は無事だった一方で、店は津波にのまれましたが、生活のために2011年12月に同じ場所でお店を再開し現在まで7年という年月が経過しました。今も再建のためにかかった費用を返済しながらの営業です。
そして、多賀城市もあの日からだいぶ街並みが変わりました。その中で今も自分の家族、子供たちの将来、お客様のために毎日営業を続けています。

居酒屋「浜の宴」
宮城県多賀城市桜木3-2-46
022-367-4288

関東大震災から95年 東北大学 遠田晋次教授
根本宜彦アナウンサー取材リポート

9月1日は「防災の日」。
1923年(大正12年)に関東大地震が発生した日で、二百十日にあたり、台風シーズンを迎える時期でもあります。1959年9月26日には「伊勢湾台風」によって東海地方を中心に甚大な被害を受けたこともありました。発生から95年が経過した関東大地震とはどのような地震災害だったのか遠田教授に伺いました。
関東大震災は、言ってしまえば311と同じ海溝型地震と言われ、陸側の首都圏プレートとフィリピン海プレートが滑り込んでいった地震です。その部分が大きくずれて関東一円が大きく揺れました。今後ワンランク規模が小さい首都圏の直下地震は千葉市あたりの真下で起きるのではないかと考えられていて、おそらく震度6以上になるのではと危惧されています。
過去の災害を知り、学んで将来に備えること、教訓を次世代に伝えることは大変重要です。ハザードマップなどでしっかり確認してそれをもとに対策を考え、普段から災害に備えるトレーニングが必要だと考えます。

9月10日(月)放送

石巻カフェ「」(かぎかっこ)閉店 代表 神澤祐輔さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

石巻市役所の1階で6年間にわたり営業を続けてきたいしのまきカフェ「」(かぎかっこ)。高校生がゼロからカフェづくりをするプロジェクトでしたが、先月8月20日をもって閉店しました。閉店を決断した理由は、震災があってできたこのカフェが7年という時間の経過を経て、高校生たちの震災に対する思い(ソフト面)と建物のハード面の両面で、活動に一区切りついたと判断したからです。
カフェは閉店しますが、この活動の別「高校生百貨店」という派生プロジェクトが現在、都市部などで石巻の魅力を発信しています。高校生たちが地元の魅力ある商品を百貨店などの催事で販売しているもので、勉強以外の夢中になれることをそれぞれの能力を発揮できる場所がもう一つ増えました。
今後、 代表の澤祐輔さんは「高校生や「」(かぎかっこ)を卒業したOG,OBのみんなが石巻を離れ、もう一度戻ってきたいと思える仕掛けも作っていきたい」と話してくれました。

北海道胆振東部地震 現地取材リポート
根本宜彦アナウンサー

今月9月10日に発生した北海道胆振東部地震。北海道胆振東部地方を震源とするM6.7の地震が発生し、札幌市内は市民生活や経済活動に大きな影響を及ぼしました。停電や余震が続く中、根本アナウンサーが現地取材を行っていると7年前の東日本大震災と同様の現象が見られました。
スーパーやコンビニの商品が品薄になり店の前に行列、ガソリンスタンドにも行列、防災グッズコーナーに人だかり。。。札幌市内で列に並んでいる方にインタビューをしたところ、スマホの充電や予備電池の購入にとても苦労したという声が大変多くありました。
また観光都市札幌ということもあり、韓国や中国からの旅行者が避難所に多く身を寄せていたことも印象的です。交通機関がストップし移動できなくなった外国人旅行者のために、外国人通訳の方が避難所に来ていました。情報提供のためです。
明日で東日本大震災から7年6カ月。あの時どう行動したか忘れることもありますので、今回の地震災害から思い出したこと、新たに気付いたことを次に起こりうる災害に備えて、自分のこととしてとらえ再確認していくことが重要だと感じました。

9月3日(月)放送

女川向学館 放課後学校 副拠点長 吉岡孝将さん
小笠原遥アナウンサー取材リポート

2011年7月に女川町に設立された放課後学校、NPO法人カタリバが経営する「女川向学館」を取材しました。
吉岡さんは、2011年の東日本大震災時、モザンピークで物理の先生をしていました。当時の様子はブラジルのテレビ番組で放送されていて、仙台空港の震災の映像で被害を知りました。「地球の裏側で何をしているのだろう」と疑問を抱き、【自分の足で被災地を歩き、自分に何ができるかを考える】ことを選択し帰国しました。
帰国後は、女川町内の学校への通学が遠く時間がかかる生徒たちを見て「放課後の時間を大事にしてあげたい」と女川向学館の放課後学校の活動に取り組みます。親や先生とは違う「ちょっとした先輩のような関係」ななめの関係を築き、震災後の子供の成長に寄り添い、よき理解者として放課後学校に携わりました。その後は熊本地震のあとも自分自身熊本に入り、女川向学館と同じ放課後学校「ましき夢創塾」を設立、春まで現地の生徒たちをでサポートしました。
卒業した学生は、社会人になっても女川向学館に出向き、現在所属している後輩の生徒たちの面倒をみることもあり、その姿に成長を感じています。今後も「震災を経験した子供たちが失ったものを取り戻すだけではなく、将来の夢や目標を持てる未来をつくれるか、またそれを提供できる環境が築けるかどうか重要となるので、この場所で引き続き頑張っていきたい」と伝えてくれました。

気仙沼市田中前 「福幸酒場 おだづまっこ」熊谷恵さん
林朝子アナウンサー取材リポート

2011年の12月に、再スタートを切った「福幸酒場 おだづまっこ」は、気仙沼市でお店を開いていましたがオープン1年半で被災しました。
「酔えばみんなでおだづまっこ」になる、という感じでとても楽しい店でしたが、今まで7年という月日が経過し、今年10月が最後の期限を迎えます。もともとあった港町は復旧が遅くこの7年は本当にあっという間でしたが、60~70軒くらいの被災したお店が集まって仮設店舗、復興商店街という形で延長に延長を重ねて営業を続けてきました。
次の移転先がようやく決まった6月末、新しい場所での営業が¥きまりました。新店舗は、気仙沼市神山、今の商店街から歩いて10分ほどです。これからも震災を語る地元の店として頑張っていきたいと話してくれました。

8月27日(月)放送

名取市閖上港朝市に新店舗福島から「復興ワインバー カミヤファクトリー」
安藤理紗アナウンサーリポート

名取市閖上港朝市に6月オープンした「復興ワインバーカミヤファクトリー」の相澤俊一さんにお話を伺いました。オープン当初は、国産のグラスワインをメインにおつまみなどを販売していたカミヤファクトリーですが、現在は、ノンアルコールカクテルなど閖上の車で訪れるお客さん向けに提供し、メニュー作りを行っています。
福島でトラック部品製造業「神谷製作所」を経営している相沢さんは、福島市のワイン人気店を経営していたオーナーの宇津木さん(震災後閉店)との出会いからこの店舗の経営をはじめました。福島県の復興を掲げ、県外にお店を出店している民間の力、ひとりだけで商売をしている人はいないため、この経営に力を注いでいます。

震災から9日後に救助された青年の今 阿部 任さん
後藤舜アナウンサー取材リポート

7年前、東日本大震災発生から9日後に石巻市で16歳の男子高校生と80歳の祖母が救助されたというニュースを覚えている人もいるかと思いますが、その男子高校生が今、語り部として活躍しています。
寒さからの左足の凍傷(壊死寸前)、食料不足など本当に9日間はつらい時間だった話す阿部さんは今年23歳です。
大学を卒業した後に阿部さんは「石ノ森萬画館」に就職しましたが、就業中は震災当時の経験が阿部さんにとってつらいものであり、これまで語れずにいました。しかし今年に入り公益社団法人「みらいサポート石巻」の紳士の聞き取り調査に協力したことをきっかけに気持ちが一転し、自分が家に閉じ込められ、生き延びた経験を震災伝承に生かそうと思いました。
【若い世代こそ、震災を語り記憶をつなぐ責任がある】という信念のもとに、自らの体験を話す中で、「震災を自分自身のことのように受け止めてほしい」と語り部として活躍しています。
今後も、震災を知らない世代にも自分自身の経験を知ってもらい、今後起こりうるかもしれない災害の教訓として“奇跡の生還”ではない、失敗談として聞いてほしいと思っているそうです。