5月10日(月)放送分

広瀬川倶楽部 坂上満さん 悦木敏行さん
小野寺穂実ディレクター 取材リポート

広瀬川倶楽部は2000年に、「仲間を集めて楽しくお酒を飲みながら様々な情報交換をしよう」と代表の坂上さんが提案し発足しました。副代表の悦木さんは2008年から参加されたそうで、お二人はともに広島県出身です。2011年の東日本大地震を受けて、独自の支援活動を展開していきます。広瀬川倶楽部の会員の皆さんの安否を確認し、助け合うことを目的に始めた坂上さんの呼びかけがきっかけでした。この呼びかけに対し、全国から多くの支援物資が集まり、坂上さんは仮設住宅や町内会などに、それらの支援物資を直接届けてまわりました。数多くの避難所をまわるなかで始めたのが、ダーツの交流会です。被災地のコミュニティーの場を設けるため、支援物資を届けるだけではない「顔と顔が見える支援」です。
ダーツ交流会では、一回の集まりにつき、ルールを変えて4回ゲームを行います。少し高いところにあるダーツの的に当たった矢を背伸びして抜いたり、落ちた矢を拾うためにしゃがんだりと、体を使います。また、数回矢を投げた際の得点計算は自分で行わなければいけないので、頭も使います。賞の名前も面白く工夫をしたり、鳴り物を用意したりと、参加者の方を盛り上げるために、多くの工夫が見られました。
現在はコロナ禍で大変な状況の中、ボランティアでこうした活動を続けていらっしゃる坂上さんと悦木さん。お二人が二人三脚で取り組む支援だからこそ、参加されている皆さんも心の底から笑い、楽しみ、過去の経験から立ち直っていけるのだと感じました。コロナがおさまり、早くこのお二人のもとで、より多くの方がダーツを楽しめたらなと思います。

4月26日(月)放送分

東松島市 漁師民宿 桜荘 桜井賀代子さん
伊藤晋平アナウンサー 取材インタビュー

桜井さんは東松島市宮戸にある「漁師民宿 桜荘」の女将です。ご夫婦で営んでいる桜荘は、夫の幸作さんが漁師をされていて、その日に獲れたおいしい魚料理が味わえる民宿です。
東日本大震災時、桜荘は高台にあるため、津波の被害は免れましたが、震災の揺れで建物が被災します。息子さんたちからは民宿をやめ、仙台に来たらどうかという提案もあったようです。しかし、東松島市宮戸は幸作さんが生まれ育った場所であり、この地の自然や海の幸に助けられてきたといいます。賀代子さんも長年子育てをしてきた場所を離れることにためらいを感じ、震災後も民宿を続けると決めました。その後多くの常連さんが来てくれたそうです。
お客様を温かく迎え、幸作さんが獲ってきたおいしい魚料理でもてなしてきた桜荘ですが、現在はやはり、新型コロナウイルスの影響が大きいといいます。自分たちの努力ではどうすることもできず、仕事を奪われてしまっていますが、生きているから前を向いていることができると、おっしゃっていたのが印象的でした。震災を乗り越え、多くの方に喜びや楽しみを届ける桜荘。少しでも早く仕事が戻るといいなと思います。

4月19日(月)放送分

東松島市 青い鯉のぼりプロジェクト代表 伊藤健人さん
閃雷プロデューサー 千葉秀さん
野口美和アナウンサー 取材リポート

東日本大震災以降、毎年3月11日には、東松島市大曲浜で青い鯉のぼりが揚がります。この「青い鯉のぼりプロジェクト」の震災10年の歩みを取材しました。
プロジェクトの代表、伊藤健人さんは震災当時高校2年生で、家族4人を亡くしました。震災から数日後、自宅があった場所から、亡くなった弟が大好きだった青い鯉のぼりを見つけ、掲げるようになったのがプロジェクトの始まりです。その後、全国からたくさんの使わなくなった青い鯉のぼりが寄せられるようになりました。
幼いころから和太鼓を続けていた伊藤さんは、震災から2週間後、追悼コンサートで和太鼓を演奏してほしいと、和太鼓ユニット「閃雷」に依頼のメールを送ります。このメールを受け取った閃雷のプロデューサー・千葉秀さんとの出会いが、プロジェクトを大きく成長させます。
青い鯉のぼりを見た瞬間に、何か気づいて共感したり、たくさんの人との繋がりを感じることができたりするからこそ、孤独ではないことを実感できると、千葉さんは言います。青い鯉のぼりが、復興へのシンボルとなり、みんなの気持ちをひとつにしているのだと思います。
この青い鯉のぼりプロジェクトは、参加するひとりひとりが、1年間の気持ちをリセットする場であり、参加者全員のためのプロジェクトだと感じました。全国から集まった多くの青い鯉のぼり、それを見に来た人たち、和太鼓を演奏する方々を見てそう思いました。

4月12日(月)放送分

関西学院大学 金菱清教授
藤沢智子アナウンサー 守屋周アナウンサー 電話インタビュー

関西学院大学・金菱清教授と河北新報社が、東日本大震災から10年を前に実施したアンケートについて、インタビューしました。
アンケート調査は、昨年11月~今年2月、河北新報社の記者が対面で、158人の遺族から、聞き取りを行いました。心の復興を示すアンケートではなく、生の声を聴く、内容を重視したアンケートです。各項目について、数値化することでみえてきたこと、があったといいます。
特に行方不明者の家族が、落ち着くことができないケースが多いということです。人が亡くなる場合、段階があって、死を受け入れていきますが、行方不明者の場合は、まだどこかで生きているかもしれないという思いを10年前から持ち続けているため、区切りをつけることへの罪悪感を感じているということです。物の整理や、携帯電話の使用料を払い続けるについても同様で、処分したりやめてしまうことへの気持ちの踏ん切りがつかないのです。
また、東日本大震災においては突然津波が来たわけではなく、地震が起き、時間が経って、津波が押し寄せました。その時の時間を振り返り、「あの時どのような行動をとっていたのか」「最後に何を考えていたのか」といったことが多く思われています。
私たちは、どれだけ想像力をもって考えることができるかが重要になると思います。東日本大震災だけでなく、最近ではコロナウイルスで亡くなられている方も多いです。「人を失う」ことへの向き合い方に正解はありませんが、しっかりと事実を受け止め、向き合っていかなければ行けないと思います。

4月5日(月)放送分

山元町 宮城面友会 沼田松政さん
伊藤若奈ディレクター 取材リポート

山元町の花釜地区にある「宮城面友会」は、日本の伝統芸能の能の仮面を作る教室です。主催するのは能面氏の沼田松政さん84歳。横浜に住んでいた若い時から能面に興味があり、能面の面打ち師範の免状を取得。ご自身の定年退職を機に、山元町に教室を開きました。 
山元町の花釜地区は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。海からおよそ1キロの場所にあった沼田さんのご自宅、隣接していた教室も流失しまいた。自宅には2メートル20センチの高さの津波が押し寄せ、多くの面や道具がだめになってしまいました。幸いにも柱だけは残っていたため、大工であった一番弟子に自宅を再建してもらったということです。
震災から半年で教室を再開し、再出発を試みます。面を打つことに対して、気持ちが戻ることは大変だったとお話してくださいました。健康に気を付けて、動ける間は能面作りを続けていきたいとのことでした。
また、取材中に、三坂三というお弟子さんも一緒に作業をされていました。三坂さん震災当時、中浜地区に住んでおり、自宅はすべて流されてしまいましたが、大好きな能面作りを現在でも続けていらっしゃいます。今後も亘理の悠里館での展示を励みに、能面を続けていきたいということです。
これらの能面は主に観賞用ですが、ひとつひとつ表情が違い、作り手の気持ちやお人柄がにじみ出ているように見えました。東日本大震災で辛い思いをされてこられたと思いますが、能面作りという打ち込めるものがあり、その思いを和らげたのかなと感じました。じっと見ていると心が落ち着く、そんな能面の不思議な魅力を、今後も伝え続けてほしいと思いました。