Archive for 番組

6月7日(月)放送分

石巻観光ボランティア協会 斎藤敏子さん
守屋周アナウンサー取材リポート

石巻観光ボランティア協会では、石巻で震災跡地や歴史散策のガイドを、観光客や修学旅行生を対象に行っています。その際使用するパンフレットが今回リニューアルしました。これまでは、観光地やグルメが掲載されていましたが、コロナ禍で街巡りのキャンセルが相次いだこの機会に、震災被害に関する情報や、万が一の時の避難案内も一緒に掲載したものを作製したということです。
実際に新しいパンフレットは、ポイントごとに分かりやすくまとめられており、ガイドの方はこのポイントに沿って、歩きながら説明を加えていきます。現在はこうした対面での説明は減ってしまったということですが、県外の高校生に向けたオンラインでの、震災被害や復興状況の紹介を行っています。
こうした活動を通して、斎藤さんが伝えたいことは、「自分の命を守るためには何が必要なのかを日頃から考え、防災意識を学んでほしい」ということだそうです。その場に行って、地元の方の話を聞くことで、見方が大きく変わると思います。石巻の歴史や復興した様子も学んだうえで街巡りを楽しめればいいなと思いました。

6月7日(月)放送分

東北大学災害科学国際研究所 遠田晋次教授
根本宣彦アナウンサー 取材リポート

1978年の宮城県沖地震が発生して43年を迎えるのにあたり、現在の地震活動と、今後の備えについて伺いました。
東日本大震災で断層が大きく動いたことで、しばらくは大規模の地震は起きないという考え方と、逆に余効滑りと呼ばれるプレートの滑りによって、短いスパンで次の宮城県沖地震が来るかもしれない可能性もあります。
マグニチュード7前後の地震は、日本列島全体を考えても年に1回くらいしかないため、ここ数ヶ月で、宮城県で立て続けに起きているのは、異常なペースといえます。
しかし、昨今のコロナとは別ですが、クラスターといって、ある地域・ある時期に比較的集中するというのは過去にもあることのようなので、今後も引き続き注意が必要だということです。特に津波を伴う海底の浅い所で起きる地震にも気を付けていかなければいけないとのことでした。
いざというときの備えに関して、家具の転倒への対策や、大きな揺れを想定した避難経路を確認する、さらにはローリングストックといった身近にできることからやっていくべきだということです。

5月31日(月)放送分

女川町 女川みらい創造 阿部真知子さん
藤沢智子アナウンサー/守屋周アナウンサー 電話インタビュー

最近大きな地震が多いですが、その際の女川の様子を教えていただきました。5月の地震では土曜日の午前中だったため、お客さんが多かったといいます。仮に津波注意報などが出た場合には、避難を呼びかけるつもりで、お客さんに声掛けをしたところ、「車はどうしたらいいのか」といった不安が多かったそうです。命を守ることが優先なので、津波注意報などが出た場合には、車を置いてまずは避難をしてほしいと伝えたそうですが、認識のギャップを感じたそうです。シーパルピア女川では避難訓練なども行っていますが、日中にこうした観光客の方への声掛けをしたことはなかったため、良い勉強になったとお話されていたのが印象的でした。
また現在の女川について、昨年末にオープンした女川スケートパークがにぎわいを見せているようです。スケートボードやインラインスケートなどが誰でも無料で利用できます。女川には遊ぶところがないのでは、というネガティブなイメージを払拭するために、今後も多くの方に遊びに来てもらいたいとの事です。

5月24日(月)放送分

山元町 磯浜漁港
長南ディレクター 取材リポート

東日本大震災からの復興を目指し、町内の駅周辺に住民の生活環境を再編する「コンパクトシティ」を実現した山元町。そのうち、震災で大きな打撃を受けた磯浜漁港でも施設の復旧作業は完了し、震災前と同様の作業ができるようになっています。今後さらに漁獲量を増やしていきたい磯浜の漁師たちですが、福島第一原発に関する不安はぬぐえずにいます。周辺地区では依然高い放射線量が記録され、その影響による避難生活や、放射性物質を含む処理水の海洋放出といった問題があります。これにより起こる風評被害の影響は、福島県、そして山元町に限った問題ではありません。今後も放射性物質を含む処理水の海洋放出について、問題意識を持ち続けていきたいと思いました。

5月17日(月)放送分

東松島市 空の駅プロジェクト代表 武田文子さん
伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

東松島市小野駅前にある「空の駅」では、靴下を使って作られたぬいぐるみ・ソックスモンキーの「おのくん」が販売されています。
元々は、東松島市の小野駅前仮設住宅で暮らす方々が制作をはじめ、訪れた人々が「里親」となって引き取り、全国的に広がりも見せました。
この「おのくん」づくりの先頭に立ったのが武田さんです。
武田さんは元々、周囲との交流が少ないタイプだったそうですが、震災後東松島をしっかりと見てほしいという気持ちから、仮設住宅で暮らす方々に声をかけ、制作をスタートさせます。
震災後に入った避難所で、周囲の人が同じ被災者であるにもかかわらず、あたたかくしてくれたことで、自分にもできることが何かあるのではと考えるようになったそうです。
おのくん制作以外にも、武田さんは避難所で暮らす他の人に食事を作るなど、休みなく精力的に活動されていましたが、それは震災について振り返ることから離れ、気を紛らわしたかったからだと話していました。
「おのくん」を通じて徐々に前向きになれた武田さんは、携わってくれた多くの人に感謝しているといいます。里親として「おのくん」を持ち帰った人も、東松島とのつながりを得ることができます。「おのくん」が果たした役割の大きさを改めて実感しました。