5月14日(月)放送

松島町でタケノコ  丹野隆子さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

タケノコの季節です。宮城県でタケノコと言えば丸森町を思い出す方も多いと思いますが、ここ松島町でもタケノコの収穫ができるのです。「松島町でタケノコ」というと地元の方も驚く、ということです。丹野さんは震災前に牡蠣の養殖や稲作中心の農業「半農半漁」を行っていましたが、稲作に塩水、津波で養殖の牡蠣を全部流されてしまい、当時勤めていた仕事を早期退職し、3年前からタケノコの収穫を行っています。
名籠という小さな漁港に家があった丹野さん。自宅は目の前にありましたが、辛うじて津波が防潮堤を超えることはありませんでした。17軒あった牡蠣養殖業者は3軒に減少、震災後丹野さんも牡蠣の養殖を諦めて今はタケノコ収穫、収穫したものを水煮に加工する「たけのこ工房 吉左衛門」を立ち上げました。
この加工場は、宮城県地域活性化モデル事業に応募して支援を受け、さらにクラウドファンディングで支援を募り事業費を集めることに成功しました。また松島町の緊急雇用対策事業「里山の再生」も活用し、町民のみなさんと仕事を進めることができました。2年目はタケノコが不作で赤字になってしまったそうですが、松島町が「海の街」だけでない「里山の魅力の街」として前進しています。丹野さんのタケノコの水煮は根回地区の「ねまわりの野菜畑」で購入することができます。是非ご賞味ください。


「岩沼みんなの家」菅原真季さん
小笠原遥アナウンサー取材リポート

岩沼市恵み野のある「岩沼みんなの家」は、岩沼市の農業復興を支援するために作られたコミュニティで、2013年にカフェの運営がスタートとなりました。2015年からは「岩沼復興アグリツーリズム」という活動に変化し、大阪や東京からなど全国からの参加者が”植樹して収穫をする”アグリツーリズムを実施しています。
菅原さんは仙台市の出身、震災を仙台の自宅で経験してから「いつかは地元で役に立ちたい」という気持ちを持って過ごしていたそうです。東京で就職してからも気持ちが強くかわらず、その後Uターン就職で岩沼市に戻りました。特に活動の中の「商品企画」に携わることは長年の夢だったそうで、この仕事ができるという利用が決め手となり「岩沼みんなの家」での活動を決めました。

現在岩沼の農業は、生産地が「岩沼」であることがうまくアピールできていないのが課題だと話す菅原さん。塩害による被害を乗り越えたこの岩沼の地で、美味しい野菜がつくられていることが知られていない現状が「悔しい」と話してくれました。
今後も地域の農家さんが育てた野菜をもっともっと魅力あるものだと伝えていきたいと思っています。自治体との連携企画「そばのジェラート」は、菅沼さんの企画した商品で、開発から販売まで携わりました。この商品をきっかけに「とにかく岩沼に来てほしい」と願っています。

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