5月21日(月)放送

亘理町 亘理アセロラ園 伊藤正雄さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

宮城県内で唯一亘理町で栽培されている「亘理アセロラ園」は、震災後津波の被害を受けましたが現在も同じ場所で栽培されています。順調であれば、今のこの季節に収穫ができるそうです。寒い場所での栽培には向いていなく、沖縄など温かい場所が栽培の主流となっています。
アセロラとの出会いは1994年、たまたま親戚の方がブラジルへ行くことになり、「何か良いものがあったら見つけてきて欲しい!」というリクエストをしたところブラジルからアセロラの苗が10本来たそうです。最初の苗はすべて枯れてしまったのですが、反省点を活かし、1995年再度ブラジルから持ち込み、その後苗が根付きました。しかし2011年に東日本大震災でハウスが壊滅、泥にかぶったアセロラハウスは赤旗を立てて「処分」の意思を表していました。
しかし、アセロラの苗は強い生命力で2ヵ月後の5月中旬、新芽が出てきた場所を発見しました。アセロラの生きようとする力は伊藤さんの心を大きく動かし、伊藤さんはヘドロとガレキを除く作業に取り掛かり、奇蹟的に助かった芽を育てていきました。現在は震災を乗り越えて栽培、加工品販売と実績を作りアセロラの経営を柱と据えたそうです。


山元町 思い出サルベージ 溝口佑繭さん 新藤祐一さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

思い出サルベージとは、山元町で津波に流され持ち主不明となった写真およそ80万枚を洗ってデジタル化して、元の持ち主にお返しする活動で2011年4月末から始まっています。溝口さんは震災当時大学院生で、パソコンやインターネットの研究をしていていて、先輩から「山元町という場所で情報発信が足りていないので、何かできないか探しに行こう」と誘われて山元町に入ったのがきっかけでした。
実際にがれきの中から見つかった写真もあれば、ネガの状態で流されて現像したもの、卒業アルバム、賞状などがありました。これらは震災直後に自衛隊や消防団の人があつめたものを体育館で展示していたものもあります。現在は、「思い出サルベージ」で6割程度の44万枚を持ち主へお返しすることができました。
出張返却会が行われた4月30日、震災から7年経っても探しに来る方がいらっしゃいました。スタッフの一人新藤さんは「絶対持ち主に返却し、返却できる体制をずっと整えていかなければならない」と強く思ったそうです。返却会場は明るく、写真をさがしに来た方々の嬉しそうな様子を見ていると、この活動はまだまだあと3年、10年後の2021年までは継続して行いたいな、と思ったそうです。残りの写真の在庫がなくなるまで(ゼロは難しいと思いますが)、できる限り続けていきたいと思いを語ってくれました。

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