Archive for レポート

10月9日(月)放送

石巻市アトリエらいおんどあ 宍戸紀彦さん
小笠原 遥アナウンサーリポート

大手菓子メーカーで、研究員としてお菓子の開発に携わっていた宍戸さんは、会社を退職後1998年に石巻市にお店をオープンしました。応援メッセージを刻印したクッキーやパウンドケーキなど、すべて手作りの商品を販売しています。東日本大震災では、店は被害を免れ10日後に営業を再開しました。
しかし、再開してからもその後も様々な苦労があったそうです。
震災後は、何か食べるものを提供したいと思っても、まず電気が復旧しませんでした。一番必要だったのは「主食」のため店を開けてもお菓子を求める人はいなく売り上げもお客さんも激減したことです。しかし、2011年5月から「被災地を応援したい」という方々の思い、相談を受けてから3年間継続して、避難所や幼稚園にパウンドケーキを届ける取り組みを行いました。当時は支援物資しかなく、届け先の子供たちに「お菓子だ!」と喜んでもらったのがとても印象的だったと話す宍戸さん。大手菓子メーカーでは、ヒット商品を開発してもこのように直接的な喜びを目の前で感じることができなかったため、人のためにそして人のために自分のお菓子作りが役に立ったことが大変うれしかったようです。
現在は、「アトリエらいおんどあ」ではお菓子教室も開いています。地元のコミュニティづくりにも一役かっていて、そしてその教室では”人が喜ぶお菓子作り”をする研究に余念がありません。これからも地域の人々から愛されるお店であり続けたいとお話しくださいました。

あとりえらいおんどあ
宮城県石巻市泉町1-5-3
TEL:0225-22-2135/FAX:0225-22-2135

ツールド東北 民泊提供者 東松島市 菅原かず子さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

先月中旬に行われた、「ツールド東北」で菅原さんはご自宅の一角とご自身が営む農家レストランを民泊として提供しました。第1回大会から始めたこの民泊は、被災地の宿不足を解消するための取り組みで、参加者が少しでも石巻エリアに宿泊できるようにとはじまりました。震災後の”恩返し”から民泊をはじめた菅原さんは、2年ぶりにゲストを迎え入れたそうです。
自宅の部屋、農家レストランのこあがりなどを提供していますがこの場所は、みなし仮説としてお知り合いの家族に提供したことがあり、その時に居住空間としてリフォームを施していました。今も震災を経験した地元の方々が集う憩いの場となっています。
「みんなの憩いの場」は、県外から来たゲストを息子や娘のように迎える温かい場所でもあります。菅原さんの思いがあふれる、そしてゲスト同士もコミュニケーションが生まれる、思い出深い場所となったようです。
農家レストラン 和花の里
宮城県東松島市小松字明神下205-2
TEL 0225-83-2234

9月11日放送分

七ヶ浜町Fプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

七ヶ浜町Fプロジェクトの「F」はふるさと、ふっこう、フューチャーの頭文字「F」をとってFプロジェクトと名づけられました。七ヶ浜町の向洋中学校の生徒数人と、向洋中学校教諭の瀬成田先生が中心として活動しています。誰がメンバー、などという登録制ではなく3年生5人、2年生2人の計7人のリーダーが活動計画を立ててその都度全校生徒に呼び掛けてメンバーを募集しているそうです。これまでの活動は、地域の災害公営住宅に出向き歌を歌ったり、一緒に料理したり、菖蒲田浜の清掃活動や公営住宅の周辺の雑草をとったりなど様々な活動をしています。
中学3年生の阿部花映さんは、中学生でしかできない事、中学生にもできることがあるんだな、と活動を通じて感じたそうです。活動の一環として、中学生たちが小学生に震災の記録を伝えようと活動も行っていて、自分の経験を話して東日本大震災の記憶を伝えています。
Fプロジェクトとかかわる前は、自分が一番不幸だと思ったこともありましたが、話すことで自分の心が軽くなることもありました。そして様々な被害にあった人の話を聞く中で、傷ついているのは自分だけじゃないんだと分かったそうです。子どもたち同士では、震災の話はなんとなくしない雰囲気がありそれぞれどれくらい被害があったのかということを知らなかったそうですが、一緒に活動をする友達の震災当時のことを「知る」こともできたそうです。
Fプロジェクトは、今後も3年生から2年生にリーダーを譲り活動を継続していきます。今後も中学生たちの地域活動、社会参加で成長する姿が楽しみですね。

山元町「学習塾よつば」 代表 宮本 匠さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

北海道札幌市の出身で、少年時代から野球に打ち込み大学は筑波大学に進学した宮本さんは、学生時代に学生ボランティアとして宮城県に何度も足を運びました。大学を卒業した後は、北海道に戻って教育関係の仕事をしていましたが、3年前に単身山元町に移り住み、学習塾を開きました。現在中学生11人、小学生2人を指導しています。
震災を経験した子供たちとともに勉強に励む日々ですが、震災を経験したことで特に変化があるわけではありません、ただ地震の話や震災の話をするときは、子供たちがとても大人のような話をすることがあり、そういった部分はとても大人びて見えるそうです。
現在3年目を迎える「学習塾よつば」では、生徒たちに教えすぎない環境を作り、自分自身で学ぶ姿勢を作っていくことが今後も長く継続することを望んでいます。学力も他地域に比べてまだまだ及ばない部分もありますが、学習環境を山元町で整えて、一生懸命やることが恥ずかしくない場所をつくってあげられたら、と毎日思って子どもたちに向き合っています。

8月28日(月)放送

石巻市石巻観光タクシー 語り部タクシー 
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市でタクシーの運転手をしている石巻観光タクシーの高橋信悦さんは、震災当時の状況と復興の様子を話す「語り部ドライバー」をしています。会社の中では8人の語り部がいらっしゃいますが、高橋さんは震災後に語り部ドライバーとして、タクシーの運転手になりました。震災で仕事を失い、友人のタクシー運転手に、タクシーの収入が出来高制であることや自分の頑張りが反映されるシステムだったということもありこの仕事を選びました。
 被災地の現状、思いを伝えていく必要があると感じている高橋さんは、復興する街をタクシー運転手として変化を主にお客さんに伝えています。震災から立ち上がってきた人の話し方や表情を肌で感じ、生の声で伝えることにやりがいを感じています。同時に伝えることは難しいと感じていますが、それぞれの思い、考えを被災者の一人として寄り添っていくことこそが、震災を学びに来た人に伝える第一歩だと考えています。
 今後も、壊滅状態だった石巻の街が復興していく様子を、タクシーの窓から見つめ、被災した人と触れ合うことを日々続け、語り部タクシーとして1年後、2年後もずっと続けていきたいと話してくれました。


山元町普門寺 住職 坂野文俊さん
伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

8月26日(土)に行われた「願い ふるさとまつりおかえりまつり」を企画した山元町普門寺 住職 坂野文俊さんは、震災後「お寺災害ボランティアセンター てらせん」を立ち上げて復旧復興に尽力されてきました。きっかけは、震災後普門寺を会場に無料のカフェ「てら茶坊」を提供したことがきっかけです。始めたころはお菓子を作ってコーヒーを飲みましょうというところから始まりましたが「工芸品の展示をしたい」「ワークショップを開きたい」など人が普門寺にどんどん集まってきて今があります。
 坂野さんは場所を提供するだけでなく、ここをきっかけとして出会い、やりたいことの実現につなげていく場所を山元町につくっていきたかったそうです。それが現実になり、ここ普門寺は多くの人が集まる場所となりました。
 8月26日に行われたお祭りも、予想外の多くのお客さんが訪れスタッフも一緒になって楽しむことができたそうです。山元だけでなく九州や秋田の豪雨災害にボランティアへ参加している坂野さんは、東日本大震災で助けられた、という思いのもとに学生ボランティアなどと連携して復旧のボランティアを今も積極的に行っています。

7月31日(月)放送

亘理町長瀞 鈴木オルゴール工房 鈴木きよ子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

亘理町長瀞にある鈴木オルゴール工房の鈴木きよ子さんは大学を卒業後、結婚して亘理町に移り住み専業主婦をしていました。27年前にご主人をなくしその翌年から木工品の工房を立ち上げました。木工品の先生から「付加価値のあるものをつくりなさい」とアドバイスもあり、現在は工房でオルゴールの製作・販売をしています。
震災後は、津波で工房の機械が水につかりましたが、板をカットする「刃」が辛うじて直せたことが復活のきっかけで再出発できました。震災後3か月後に工房を再開し震災前に購入して下さったお客様のオルゴールを修理したこともありました。自分の制作したオルゴールが、もし壊れてしまってもお店で修理してずっと使ってもらう、この距離感が鈴木オルゴール工房の魅力ともいえるでしょう。


深沼海水浴場 限定で再開
荒浜地区 佐藤 豊さん(80)
林 朝子アナウンサー取材リポート

仙台市若林区にある深沼海水浴場が震災後初めて試験営業を行いました。地元七郷小学校と蒲生小学校の児童と保護者を対象に600人の参加を募る予定でしたが初日は雨のためイベントはすべて中止、昨日も台風による高波の影響で遊泳はできませんでした。しかし昨日は雨にほとんど打たれることなく訪れた100人近くの親子連れが砂浜やビーチバレーですいか割りなどを楽しみました。
かつて荒浜地区に住んでいた佐藤豊さんは、津波で自宅を流され現在は仙台市に暮らしながらも荒浜に足しげく通い変わりゆく景色を「定点撮影」しています。さらに震災後から月に1度行われてきた深沼海水浴場の清掃活動にも参加し続けてきました。その時すでに海水浴場の限定オープンが決まっていたこともあり、今月9日の清掃活動にも参加しました。
荒浜地区は、震災直後にこの町に戻りたいと思った住民、そうでない住民が葛藤を抱えた町でもあります。そんな地区の人々が同じ「故郷」を再び思うためにも「海がかつてのように再開すること」が一番だと佐藤さんは話します。これからも佐藤さんは、海水浴場近くで住民たちと思い出話ができる憩いの場、思い出を語る日が来る日を待ち続けます。毎月第二日曜日、深沼海水浴場近くの荒浜ロッジでお茶飲み会や海岸清掃を実施します。だれでも気軽に参加できますのでご都合があればみなさん、ご参加ください。
また、8月6日(日)~20日(日)までは、深沼海岸で「海辺の写真展」を開催しています。佐藤さんがこれまで撮影してきた荒浜の写真、海水浴場の写真、2017年度のイベントの写真も展示する予定です。

7月24日(月)放送

東松島市 大曲浜獅子舞保存会 伊藤泰廣さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

東松島市の大曲浜には300年以上昔から伝わる伝統の獅子舞があり、旧正月に各家庭を回って披露されてきました。昭和48年に住民による保存会が設立され、今も20~80代のおよそ40人の会員が舞い続けています。今回は保存会の前会長で相談役の伊藤泰廣さんにお話を伺いました。伊藤さんは大曲浜の出身で地元で介護施設を経営されています。

伊藤さんご自身は、大街道で被災しました。介護施設でも8人、ご両親(母親)が津波の犠牲になってしまいました。大曲浜地区ではおよそ550世帯1700人のうち震災でおよそ350人の方がなくなり大きな被害が及びました。そんな中、地元の人のひとりが遺体安置所をめぐっている間に突然「獅子舞はどうするのか」と疑問を投げかけてきました。しかし当時はそれどころではなくやっと落ち着いた2011年8月頃に伊藤さん自身の会社の再建と獅子舞の存続を検討しはじめます。

大曲浜獅子舞保存会でも4人がなくなり、神社に保管していた獅子頭、笛、太鼓も流されてしまいました。しかし、復活を模索し始めたときにがれきの中から獅子頭を見つけ、やっと「また獅子舞できるな」と、なんとも言葉にならないような感じが心に湧き出したそうです。結局、見つかった獅子舞は4体。練習を再開し、2012年の正月には大曲浜伝統の獅子舞が復活しました。初めての演舞の際は地元の方々が何百人と集まって涙を流して鑑賞してくれました。

復興をアピールするために舞う、大曲浜の獅子舞は多い時で1年に40~50回かい披露されますが、大曲浜にはもう住むことができません。今は若者に代を譲り小学校などで獅子舞の魅力を伝える活動を活発化させています。門外不出、と言われていた伝統を柔軟に改めながら後世に伝統を残しています。

南三陸町サンオーレ袖浜海の家「浜の屋」高橋正人さん
古野真也アナウンサー 取材リポート

南三陸町のサンオーレ袖浜海水浴場が7月15日に7年ぶりにオープンしました。高橋さんが経営する飲食店「浜の屋」は、震災前の10月にオープンしましたが、立てたばかりのお店は震災による津波で流されてしまいました。町が様変わりしてしまって、茫然自失になっていたところに、奇跡的に「浜の屋」の看板ががれきの中から見つかりました。高橋さんはこの看板を見たときに、この先何10年も再開できないかもしれない不安を感じましたが、復興への強い気持ちを、看板を見た瞬間、奮い立たせられたそうでその後2年をかけて「浜の屋」を再生させることができたのです。

今年本格オープンした袖浜海水浴場が「復活」を遂げるまでの様子を長く見守ってきた高橋さん。がれきやコンテナに埋もれていた袖浜がみんなの協力で再生したことが強く心に響き、もう一度この袖浜海水浴場に店舗のほかに海の家「浜の屋」を出したいと思い始めます。それは高橋さんの生きがい、やりがい、心の思いに直結していました。

震災から7年を迎えて自分と人とのつながりを大切にする、そんな生き方を選んだ高橋さんは一度諦めかけた海の家「浜の屋」再建をこの夏に形にしました。自分の元気な姿を、浜の屋を通して伝えたい思いであふれています。サンオーレ袖浜海水浴場は7月15日から8月20日まで開設しています。是非元気な高橋さんの「浜の屋」を訪ねて、7年ぶりに復活した海水浴場を満喫ください。