Archive for ラジオカー

3月30日(月)放送分


2020年3月11日(水)放送
東日本大震災特別番組「絆みやぎ明日へ」ダイジェスト
佐々木淳吾アナウンサー 東松島市・取材リポート
古野真也アナウンサー  若林区荒井・中継リポート

佐々木アナは東松島市赤井に住む黒田みえ子さんにお話を伺いました。
長年幼稚園の先生をした黒田さん。震災後は市のまちづくり復興推進員
や主任児童委員などの活動を通して子育て中の母親への支援の必要性を
強く感じていました。
震災当時、自宅は1階部分が浸水し、近くの体育館で避難生活を送りま
したが、地域のまとめ役として見回り活動なども行う中、母親同士が触
れ合える場所づくりを始めます。そして「ママサロン」を開設。SNS
等でその存在を知った特に若い母親が次々に集まってきました。行政と
も連携し「学びの場」を設けるなど、工夫を凝らしながら震災を乗り越
えようとしている母親達と接してきた黒田さん。母親達の見守りを通し
て、そのネットワークこそが将来の災害を乗り越える力となっていると
感じていると話してくれました。

古野アナは津波被害が大きかった仙台市若林区荒浜「海辺の図書館」か
ら中継リポート。2012年3月11日から繋がりが失われた街にもう
一度笑顔や思いを共有する「荒浜HOPE FOR project」を取材しました。
荒浜の海岸に慰霊などで参列した方々と花の種を入れた風船を被災地の
空へ飛ばす企画を準備していた代表の高山智行さんと末永新さんにお話
を伺いました。その後2時46分、犠牲になった方々に黙とうを捧げ、
その後海岸の堤防に集まった人達が手にした風船を虹のかかった青空に
飛ばしました。

3月23日(月)放送分

東日本大震災特別番組「絆みやぎ明日へ」ダイジェスト
安東理紗アナウンサー 石巻市・取材リポート
林田悟志アナウンサー 亘理町・中継リポート

おととし11月、石巻市にカフェを構えた千葉牧子さんを安東アナが取材。東日本
大震災でご主人を失いました。悲しみに暮れる千葉さんを勇気づけてくれたのは、
当時小学生だった2人の子供でした。牧子さんは震災から3年後、自宅の隣にかね
てからの夢だったカフェをオープンさせようと一歩を踏み出します。子供の教育と
カフェを結びつけた活動をしていきたい。そして、夢は実現します。
カフェの名前は「SUU」。呼吸の「吸う」と数字の「数」をかけました。呼吸の
ように自然に吸収出来るような学びを実現させていきたいとの思いが込められてい
ます。カフェと集まってくる人達と共に、千葉さんは今を賢明に生きています。

続いて亘理町「亘理アセロラ園」からの林田アナの中継リポートを紹介しました。
室温30度のビニールハウスで2000年から本州で唯一、酸味系の「アセロラ」
を本格的に栽培している伊藤正雄さん。東京の大田市場などにも出荷しています。
東日本大震災で2メートルの津波が押し寄せ、ハウスにも大きな被害がありました。
その後、発見した新芽70本を活かして再び栽培をはじめます。正に「希望の光」
となりました。今後は後継者である息子さんにしっかりバトンタッチしていける様、
農業を続けていきたいと語ってくれました。
アセロラ酢、アセロラジャム、アセロラジンジャーシロップなどの加工品も積極的
に作っています。是非ご賞味下さい。

12月23日(月)放送分

石巻市 焼鳥と精肉のお店 やまだ(立町店)
粟津ちひろアナウンサー取材リポート

大正7年創業の焼鳥と精肉のお店 やまだは、100年の歴史がある精肉店です。
たれと塩の焼き鳥のテイクアウトもできるこのお店は、自家製のたれが自慢のお店で、地元の主婦たちに人気のお店です。震災時、津波の水はすぐに引いて、大きな被害はなかったためその後は炊き出しなどの手伝いを行っていました。ただ、取引先や業者の方々が被災状況がわからず当時は、差し入れを持ってきて安否確認などをしてくださったそうです。
8年8カ月経過した今、石巻市では若者が去ったり、新しく移住してきた方が増えたりと「すごく微妙」な感覚を覚えたそうです。今後の石巻市の再建、街づくりに期待も不安もある状況で、これからの街の再建を静かに見守っていくようです。

石巻市 老舗のお餅屋 二色餅
粟津ちひろアナウンサー取材リポート

3代目の西川さんは、震災時の「揺れ」の大きさに驚きました。最後にお店を見た時はショーケースの商品がバラバラになって飛び散っていたそうですが地震後すぐに日和山に避難していたため状況が把握できずにいたそうです。その後避難してきた人に「お店が流されていた」という情報をもらい、数日後に確認したところお店も自宅も津波で流されていて、気持ちがとても落ち込み、不安な気持ちを抱えて過ごしました。
その後駅前に店を再建しますが、当時のことを思うと今も心が痛むそうです。創業から90年を超える老舗店「二色餅」は今後もお客さんのニーズにこたえていけるよう、研究を続け腕を磨く毎日だそうです。

石巻市 えび志
粟津ちひろアナウンサー取材リポート

そば処えび志は、昔ながらの中華そばを提供しているお店です。
震災時、店は2Ⅿ50㎝の津波で大きな被害を受けましたが、ボランティアの方々に泥のかき出し、店の整備を手伝ってもらいきれいに片付きました。その方々には今も感謝の気持ちでいっぱいですが、今後の店の発展・利用を考えるとリフォームをあきらめ、解体しなければなりませんでした。
2014年に新たに店を再建し現在も営業を継続している「そば処えび志」、昭和の雰囲気が漂う店内で、おいしいサービス満点の食事が提供されます。お近くに立ち寄った際は、是非その味に舌鼓を打ってみるのも良いでしょう。中華そば定食はボリューム満点ですよ。

12月16日(月)放送

石巻市3.11みらいサポート 福田貴史さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

今年4月から石巻市の3.11みらいサポートに就業している福田さんです。台湾の大学に在学中は、主に観光業に関わる勉強をしていました。台湾に4年長期滞在する中で、違う国籍の人たちと考え方が違う中で観光業を学べたことが大きかったそうです。お互いの文化を知り、尊重するのが大きなポイントとなり、今その経験を活かし仕事をしています。
そんな福田さんがなぜ、石巻とつながったのか?そのきっかけは台湾の大学に在学中、中国国内でのインターンをするのが難しかったため、教授のすすめで石巻市の3.11みらいサポートでインターン経験をしたことです。1人の日本人として、震災を知っておくべきではないかという思いそして、滞在中、被災地である石巻市の復興の過程を垣間見れたこと、石巻市に滞在してその場所が「好きになれた」ことがこの地で仕事をする決め手となりました。
台湾は台風・災害が多く津波にあまり遭遇しないという状況で、防災に関する意識・自分の身を守る行動について体感したことがない、イメージがわかないなど問題点も見えてきました。外国人に防災について話すということは、色々な角度から災害を考えることが必要なんだということなど、気づきもあったようです。
「震災の教訓を伝えていく」…。大変難しい課題ですが、大学で学んだ中国語を活かし、海外から石巻に訪れる方に震災を伝えていくことが今の福田さんの使命・課題となっているようです。

スタジオゲスト
公益法人仙台男女参画財団 粥川登紀子さん

災害時に起こるストレスや戸惑い、不安・つらさなど女性特有の気持ちの電話相談を受けつけている公益財団法人せんだい男女共同参画財団から粥川さんにお越しいただきました。今回、10/12、13にかけて大きな災害が発生した台風19号における悩み相談など、臨時の電話相談をはじめました。
災害時に女性の声が上がりにくい、と言うことは東日本大震災の発生時にも同様のことがありました。被災されて子育て・介護、仕事・人間関係の軋轢など女性特有の悩みを打ち明けられない方が多かったためです。
東日本大震災の教訓や経験から、女性スタッフが親身になって電話で相談を受けています。被災時からの時間の経過、格差問題、人間関係の変化など様々な悩みを電話にて相談を受け付けています。期間は2020年の2月21日までの限定3カ月、電話番号は080-2845-1270です。月曜から金曜の10時から16時までとなっています。「こんなことぐらいで・・・」とためらわずお電話ください。

11月18日(月)放送

石巻市 豆腐のはやし屋 林光二郎さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

石巻市中央で豆腐店「はやし屋」を営む林光二郎さんにお話を伺いました。お店は創業100年の老舗の豆腐屋さんで、木綿豆腐・絹ごし豆腐・がんも・厚揚げ、お惣菜などを販売しています。とくに「飛龍豆」という珍しい種類のがんもは、本来精進料理として使われていた甘みがあるもので、子供でも食べやすく人気の商品となっています。
「はやし屋」は震災の前の年に建物を直したばかりですが、震災の津波で1階が全滅してしまい、2011年の7月に直して営業を再開。先月は台風19号の影響で製造場が冠水するなど2度の災害を乗り越えての営業です。今まで紡いできた100年の歴史の中で3代目を任された林さんは、「手間」にこだわり現在もとうふ作りに励んでいます。
震災後は横浜国立大の生徒と「石巻となりの窓プロジェクト」や石巻専修大の生徒との「石巻おでん」など、この街をどうやって作り直すかを若者たちと一緒に考え、「外から来た人が見つける価値」を見出す活動も行っています。ちょっと元気のない石巻市の今後について真摯に向き合っています。

「赤飯まんじゅう」甘陣本舗 千葉寿子さん、中村きみこさん、娘のゆみさん
林田悟志アナウンサー取材リポート

以前は大手町で甘党の本陣を、との思いで菓子店「甘陣本舗」という洋・和菓子店を営業していた千葉さんは、現在お店を構える石巻市大街道で被災しました。お店は壊滅状態だったため、震災当時にはお店をたたむことを考えましたが、ご主人が「震災で食べ物が亡くなった今こそ、もち米を使った甘いもので勝負したい」という執念のもと、もち米を使ったまんじゅう(生姜ぶかしまんじゅう・白ぶかしまんじゅう・赤飯まんじゅう)3種類だけで、今もお店を経営しています。
石巻のソウルフード的な要素もある「赤飯まんじゅう」は、もち米に甘さと少し塩分を加えそれを蒸かして握る、薄皮で包んだものです。まんじゅうといえどもあんこは入っていません。本来あんが入っている部分がすべて赤飯になっているめずらしいもののため、東京からわざわざ買いにくるお客さんもいらっしゃいます。
残念ながら、赤飯まんじゅうを考案したご主人はお亡くなりになりましたが、今も家族で「父が残した味」を守っています。皆さんもぜひ一度味見してみてはいかがでしょうか。