Archive for レポート

11月26日(月)放送

気仙沼市 地福寺 片山秀光さん取材リポート
古野真也アナウンサー取材リポート

般若心経をジャズ風にアレンジして音楽説法を唱える気仙沼市の地福寺の住職片山秀光さんを取材しました。
「カッサパ」という震災を伝える音楽説法グループのボーカルを務めている片山さんは、ふるさとの人々を励まし、被災された人たちを慈しんで一日も早い復興をという思いを胸に活動しています。
震災当時、片山和尚は向洋高校に一時避難し、その後、家族とともに階上中学校へ避難。震災から2日後に地福寺に戻りましたが、岩井崎から約1キロ離れた場所にあった寺は全壊していました。寺があった階上地域の住民1,456人のうち178人が亡くなり檀家さんも151名が亡くなりました。そこで片山和尚は、亡くなった人の話を聞くたびに地震の果たす役割を考えるようになりました。
自身が被災者だったからこそ、震災直後はまず死者のもとへお経を唱えに行き毎朝その日の火葬の場所や時間を確認して手を合わせに行きました。遺体は安置所からあふれるほどあり、壮絶な光景だったといいます。知福寺の復旧に関しては遺骨を置ける場所を、とお願いしてボランティアの方々に整備してもらい、震災後4日後から復旧に取り掛かりました。
以前は、仏教の教えを説くための活動でしたが、現在は被災地の現実を語り歌う「語り部」として再結成、多くの人に東日本大震災を伝えるため、日本各地、海外ではサンフランシスコ、ハワイの団体にも声を掛けられて「めげない・にげない・くじけない」を様々な地域に出向いて伝えています。現在、健康上の理由で活動を休止していますが、「気仙沼で生きる」ということを、亡くなった方の思いを伝えることを使命として活動再開に向けて過ごしています。カッサパの「陽はまた昇る」という曲は、気仙沼の人たちは「海に生かされている」ということを伝え、音楽にのせて応援していきたいという証でもあります。

8月20日(月)放送

気仙沼市 民宿「唐桑御殿つなかん」菅野一代さん
古野真也アナウンサー取材リポート

22歳で唐桑の漁師宇野家に嫁いできた一代さんは、海の養殖の仕事をしながら3人の子供を育てました。今は民宿のおかみさんですが、もともとは民宿を生業としていなく、震災後に民宿「唐桑御殿つなかん」をはじめました。
震災時、唐桑にあった自宅は全壊、養殖業の船や設備はながされてしまい避難所での生活が長く続きました。そして津波にのまれた自宅を学生ボランティアに開放し始め、半年間で1,000人を超える学生たちが寝泊まりをしました。その経験が民宿つなかんをはじめるきっかけでした。
その後一代さんのご家族は2012年の冬、養殖業を再開しその同時期に被災した自宅を回収し民宿つなかんを開業します。しかし、2017年にわかめ漁に出かけた船が転覆し、長女が亡くなり、一代さんの旦那さんと三女の旦那さんが行方不明となりました。これをきかっけに養殖業を廃業することを決意します。大切な3人を亡くしたことで、自身の人生を見つめなおすこととなりました。
事故から4か月がたった時、たくさんの学生ボランティアだった子たちが集まってくれ「唐桑御殿つなかん」は再開、新しいスタートを切っています。つらいことだけではない、実家のような場所になれるような民宿を目指し、日々仕事に励んでいます。

「すずめ農園」鴇田美穂さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

青森で仕事をしていた鴇田さんは社会人2年目が終わろうとしていた時期に、東日本大震災に遭遇しました。震災直後は実家の仙台に帰ることを決め、兼業農家をしていた自宅に戻り、【自然栽培】で農業を行うことを決意します。
社会人経験の中、食事の大切さに気付いた鴇田さんでしたが、実際に自然栽培で農作業をしてみて感じたことは、その手法での栽培が大変難しく、自分だけではわからないことが多い、ということです。しかし、仲間からのアドバイスや講演会に参加するなどして改善を重ね、現在は、里山の大事さ、そこで生きている生物など詳しく環境について勉強したり、さまざまなイベントを主催したりなどの活動も行うまでとなりました。
今後は、食と農にプラスして、鍼灸師の資格を取った実績を加え「医+食+農」ですずめ農園を活性化していきたいそうです。「楽しみながら自然栽培」するという心がけも忘れずに、今後も前進していきます。

7月9日(月)放送

東松島市 写真で伝える被災地 中村綾杜さん
藤沢智子アナウンサー取材リポート

震災当時、小学校5年生だった中村さん。活動は東松島市野蒜を中心に、震災時から被災地の写真を撮り続け、高校生になってから「写真で伝える被災地」を本格的に立ち上げました。高校を3月に卒業した中村さんは介護の仕事をしながら、今も「写真で伝える被災地」を継続して行っています。
今月には、社会人になってからはじめて東松島市野蒜市民センターでイベントを行います。今まで取り続けた写真の掲載や、あの日の現状を詳しく話すトークイベントなど、盛りだくさんです。

■写真で伝える被災地
日時
平成30年7月15日(日)午前10時~午後5時
場所
東松島市野蒜市民センター会議室2.3
内容
写真展示、パノラマ写真展示、おちゃのみコーナー、震災関連コーナー、非常食・段ボールベット展示、体験コーナー

また、今後の活動への支援・ご協力していただける方も募集中です。東日本大震災を記憶し継承していくのは、おそらく中村さんの年代が最後かと思います。継承していくために話せる世代がいない時代が間もなくやってくるかもしれません。活動にご賛同いただける方には、下記ホームページよりご支援いただければと思います。https://syasinndetutaeruhi.wixsite.com/syashin-hisa…/blank-4

山元町 バーCOZY 向井康治さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

埼玉県で造園業を営む向井康治さんが月に4回だけ開いていた、山元町花釜地区の一軒家「バーCozy」をご存知ですか?
現在はバー併設のシェアハウス「CozyHouse」としてありますが(1月オープン)、以前は、ノンアルコールのカクテルなどを作り地元の方々が集まる憩いの場として存在していました。そこから、向井さんと地元の方とで飲み物を通したコミュニケーションが始まり、今も山元町の様々な出会いの場となっています。
週末に、埼玉から宮城県に車でやってきて、バーはもちろん田んぼの生き物調査や様々な活動に参加している向井さん。震災前、全くゆかりのなかった場所、山元町に今も通い続けているのはなぜでしょう。その原動力は、山元町のみなさんと地元埼玉の友人以上に濃厚な時間を過ごし、深い関係ができあがっていることだと話してくださいました。「人生の中でもらったものを返す」、そんな気持ちが向井さんを駆り立てています。
「バーCozy」は、月に4回、週末の金・土曜日に開店しています。時間は夕方6時から10時ころまでですので、興味がある方はぜひお立ち寄りください。

バーCozy

https://www.facebook.com/コージーハウス-974718889353215/

10月9日(月)放送

石巻市アトリエらいおんどあ 宍戸紀彦さん
小笠原 遥アナウンサーリポート

大手菓子メーカーで、研究員としてお菓子の開発に携わっていた宍戸さんは、会社を退職後1998年に石巻市にお店をオープンしました。応援メッセージを刻印したクッキーやパウンドケーキなど、すべて手作りの商品を販売しています。東日本大震災では、店は被害を免れ10日後に営業を再開しました。
しかし、再開してからもその後も様々な苦労があったそうです。
震災後は、何か食べるものを提供したいと思っても、まず電気が復旧しませんでした。一番必要だったのは「主食」のため店を開けてもお菓子を求める人はいなく売り上げもお客さんも激減したことです。しかし、2011年5月から「被災地を応援したい」という方々の思い、相談を受けてから3年間継続して、避難所や幼稚園にパウンドケーキを届ける取り組みを行いました。当時は支援物資しかなく、届け先の子供たちに「お菓子だ!」と喜んでもらったのがとても印象的だったと話す宍戸さん。大手菓子メーカーでは、ヒット商品を開発してもこのように直接的な喜びを目の前で感じることができなかったため、人のためにそして人のために自分のお菓子作りが役に立ったことが大変うれしかったようです。
現在は、「アトリエらいおんどあ」ではお菓子教室も開いています。地元のコミュニティづくりにも一役かっていて、そしてその教室では”人が喜ぶお菓子作り”をする研究に余念がありません。これからも地域の人々から愛されるお店であり続けたいとお話しくださいました。

あとりえらいおんどあ
宮城県石巻市泉町1-5-3
TEL:0225-22-2135/FAX:0225-22-2135

ツールド東北 民泊提供者 東松島市 菅原かず子さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

先月中旬に行われた、「ツールド東北」で菅原さんはご自宅の一角とご自身が営む農家レストランを民泊として提供しました。第1回大会から始めたこの民泊は、被災地の宿不足を解消するための取り組みで、参加者が少しでも石巻エリアに宿泊できるようにとはじまりました。震災後の”恩返し”から民泊をはじめた菅原さんは、2年ぶりにゲストを迎え入れたそうです。
自宅の部屋、農家レストランのこあがりなどを提供していますがこの場所は、みなし仮説としてお知り合いの家族に提供したことがあり、その時に居住空間としてリフォームを施していました。今も震災を経験した地元の方々が集う憩いの場となっています。
「みんなの憩いの場」は、県外から来たゲストを息子や娘のように迎える温かい場所でもあります。菅原さんの思いがあふれる、そしてゲスト同士もコミュニケーションが生まれる、思い出深い場所となったようです。
農家レストラン 和花の里
宮城県東松島市小松字明神下205-2
TEL 0225-83-2234

9月11日放送分

七ヶ浜町Fプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

七ヶ浜町Fプロジェクトの「F」はふるさと、ふっこう、フューチャーの頭文字「F」をとってFプロジェクトと名づけられました。七ヶ浜町の向洋中学校の生徒数人と、向洋中学校教諭の瀬成田先生が中心として活動しています。誰がメンバー、などという登録制ではなく3年生5人、2年生2人の計7人のリーダーが活動計画を立ててその都度全校生徒に呼び掛けてメンバーを募集しているそうです。これまでの活動は、地域の災害公営住宅に出向き歌を歌ったり、一緒に料理したり、菖蒲田浜の清掃活動や公営住宅の周辺の雑草をとったりなど様々な活動をしています。
中学3年生の阿部花映さんは、中学生でしかできない事、中学生にもできることがあるんだな、と活動を通じて感じたそうです。活動の一環として、中学生たちが小学生に震災の記録を伝えようと活動も行っていて、自分の経験を話して東日本大震災の記憶を伝えています。
Fプロジェクトとかかわる前は、自分が一番不幸だと思ったこともありましたが、話すことで自分の心が軽くなることもありました。そして様々な被害にあった人の話を聞く中で、傷ついているのは自分だけじゃないんだと分かったそうです。子どもたち同士では、震災の話はなんとなくしない雰囲気がありそれぞれどれくらい被害があったのかということを知らなかったそうですが、一緒に活動をする友達の震災当時のことを「知る」こともできたそうです。
Fプロジェクトは、今後も3年生から2年生にリーダーを譲り活動を継続していきます。今後も中学生たちの地域活動、社会参加で成長する姿が楽しみですね。

山元町「学習塾よつば」 代表 宮本 匠さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

北海道札幌市の出身で、少年時代から野球に打ち込み大学は筑波大学に進学した宮本さんは、学生時代に学生ボランティアとして宮城県に何度も足を運びました。大学を卒業した後は、北海道に戻って教育関係の仕事をしていましたが、3年前に単身山元町に移り住み、学習塾を開きました。現在中学生11人、小学生2人を指導しています。
震災を経験した子供たちとともに勉強に励む日々ですが、震災を経験したことで特に変化があるわけではありません、ただ地震の話や震災の話をするときは、子供たちがとても大人のような話をすることがあり、そういった部分はとても大人びて見えるそうです。
現在3年目を迎える「学習塾よつば」では、生徒たちに教えすぎない環境を作り、自分自身で学ぶ姿勢を作っていくことが今後も長く継続することを望んでいます。学力も他地域に比べてまだまだ及ばない部分もありますが、学習環境を山元町で整えて、一生懸命やることが恥ずかしくない場所をつくってあげられたら、と毎日思って子どもたちに向き合っています。