Archive for 2017年12月25日

12月25日放送

今夜の3.11 みやぎホットラインは、2017年の宮城の復興の歩みをニュースの音声素材を交えて振り返ります。
なおユーストリームでの配信は、お休みです。

12月18日(月)放送

大学間連携災害ボランティアシンポジウム
尚絅学院大学 伊藤ちひろさん
元 名取市愛島東部仮設団地自治会役員 長沼 俊幸さん
古野真也アナウンサーリポート

東北大学で開催された平成29年度大学間連携災害ボランティアシンポジウム「被災地支援に期待される学生ボランティアを考える」を取材しました。
関西大学や中央大学をはじめ11大学の学生が被災地支援の活動内容や現状について考えるシンポジウムは、「宮城県名取市における地域コミュニティ再生の試み」という市民フォーラムで長沼 俊幸氏(元 名取市愛島東部仮設団地自治会役員)さんなどをはじめ、地域のみなさんと尚絅学院大学が名取市での地域の現状と課題について考えました。
現在は、地域コミュニティにこそ学生ボランティアが必要と語る長沼さんは、学生に安心できるコミュニティづくりのきっかけを作ってほしいと願っています。ボランティア期間が去っても、つながりがなくなってしまうのが残念、離れていても一緒に寄り添って歩んでいってほしいと考えています。
伊藤さんも、地域の方々に必要なのは寄り添うこと人と人をつなぐ安心した町へのサポートが必要では、と考えています。


気仙沼市移住定住支援センター MINATO 千葉可奈子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

気仙沼市移住定住支援センター MINATO で働く千葉可奈子さんに伺いました。千葉さんは、東京築地で仕事をしていましたが、今年4月に故郷気仙沼に帰ってきました。気仙沼のよい思い出、そのころ出会った人たちを思うと、自分の人生をかけて気仙沼市を見ていきたいという気持ちが強かったのがきっかけでした。
しかし、自分の中に迷いがあり、すぐに気仙沼には戻れず、戻るまでには6年という歳月時間がかかりました。そして今年4月に念願の気仙沼市に戻り、いよいよ決まった移住、定住を支援する仕事は簡単ではありません。戻ってきたときの自分の思っていた良い意味でのギャップがあったからです。
今は気仙沼市のために尽力されている人々のエネルギー、気仙沼市への思い、自分の思いを自己実現させたいという方のお手伝いをたくさんしていきたいと話す千葉さん。気仙沼市にお住いの方々を尊敬しながら、もっともっと気仙沼市に人が増えて、さらに街が盛り上がっていくようにサポートしていきます。

12月11日(月)放送

仙台市 ハム・ソーセージ専門店アインベルク
小笠原遥アナウンサー取材リポート

仙台出身の店主・松本力さんはサラリーマン生活をやめて、かねてから希望していた食肉加工会社でソーセージを作る仕事、職人になるために茨城県守谷市で修業を積んで、食肉加工技術を学びました。
2011年には静岡県御殿場市にあるハム・ソーセージ専門店の責任者として仕事をしていましたが東日本大震災の発生から、生まれ故郷の仙台に戻りたい気持ちが強くなり、念願かなって今年9月に故郷・仙台で自身のお店をオープンしました。

宮城仙台の名物、練り物文化のひとつである「笹かま」もソーセージ作りと一緒。地元で受け継がれてきたシンプルな笹かま作りには、自分が思う「職人のココロ」に共通点があると考えています。震災後、自らが大切にしてきた故郷仙台で念願のヨーロッパの技術を用いたこだわりのハム・ソーセージ専門店をオープンできたことに喜びを感じながら、宮城産の新たな名物になるよう、日々ハム・ソーセージづくりに精進しています。

女川町 鷲神大道地区「串焼きたろう」千葉静郎さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

女川ポスター展で有名になった「ツイッター?やってないけど、つぶ焼くよ」のキャッチコピーのポスターで一躍有名になった、女川町の串焼き屋さんの店主千葉さんは、現在、新しい店舗での営業に向けて準備をしています。
これまで千葉さんはきぼうの鐘商店街で営業を続けてきましたが、商店街が終了する2年前に自宅を石巻に構えたことをきっかけに、夜の営業をやめてテイクアウト専門店として営業を続けてきました。
きぼうの鐘商店街で営業していた時は、ポスターのキャッチコピーに魅せられて日本中からお客さんも立ち寄ってくれてうれしかった、と語る千葉さん。震災が無かったら…そう思う日もあったそうです。しかし、今後は女川に生まれ育ち、もらった命だからこそ女川の街のためにこれから恩返しの真似事でもできればな、とつぶやきます。
9月30日をもって商店街は終了となりましたが、震災7年目を迎える年明けに「串焼きたろう」は新店舗で店を続けることに決まりました。今後も、その人懐っこい笑顔に会える場所ができるのが楽しみですね。

12月4日(月)放送

亘理町 サーフショップトリトン 高城定さん
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

亘理町長瀞でサーフショップ「トリトン」を営む高城定さん(49)は、白石市出身で地元に一番近いという理由で、亘理町でサーフィンをはじめ、以後32年間この道一筋、仙台のサーフショップに勤務した後、独立して亘理町に移住しました。
現在の場所に「トリトン」を開店して12年です。震災で自宅と店舗が被災したものの、お店はその年の夏に元の場所で再開しました。今回はそのお店「トリトン」でサーフィンとの出会い、魅力をお伺いしました。
一目ぼれしたサーフィンと出会ったのは、高校の時です。波がくるかもわからないものを待って波に乗る…海に出向かないとわからない景色と、海から見る景色に魅せられたのがサーフィンとの出会いです。
震災でお店は被災、サーフィン仲間は2人亡くなってしまい、大津波の被害の大きさを目の当たりにしました。もちろん亘理の海にも入れない期間が続きその後、自粛期間を待ってサーフィンを始めたときは、波が津波に見えて恐ろしく感じたこともあったそうです。しかし、サーファー仲間の支援を経て「トリトン」は亘理町長瀞で再開することができました。
佐々木アナは、高城さんに海はこわくないのですか、と質問をぶつけたところ、「怖くないって言ったらウソになっちゃいますけど、海に助けられてもきているので…あの日海に裏切られたくらいです。仲間がいるという素晴らしさ、団結力は震災がなかったら感じられなかった」とお話しくださいました。今後も高城さんは、震災の教訓を分かち合い、宮城の海のすばらしさについて発信し続けていきたい、とも話してくれました。

津波のあとの十三浜 -復興への祈り- 佐藤清吾さん
藤沢智子アナウンサー取材リポート

昨日12月3日(日)に石巻市で行われた「津波のあとの十三浜 -復興への祈り-」の出版記念パーティに取材に出かけました。佐藤清吾さんは、昭和16年十三浜大室で生まれ、家業は半農半漁、昭和42年に分家になり山林田畑を譲られるも漁船に乗り、その後会社勤務を経て十三浜漁協代表理事組合長になりました。
この「津波のあとの十三浜 -復興への祈り-」は、佐藤清吾さんが直面した震災直後の思いや、浜や地域の復興の道のりについての貴重な記録です。本には震災後から、復興これまでの道のりを詳しく記してあり、亡くなった家族、親せき、友人のために記録に残したそうです。震災時には、大事な家族(妻と孫)が津波にのまれてしまい最愛の家族を失います。失意の中、現在までを残した書籍は、下記にて取り扱いを行っています。

〒986-0017 石巻市不動町1-10-10
TEL(FAX)0225-96-2008 090-2950-6176
担当:齋藤みや子さん