Archive for 2023年6月19日

6月19日(月)放送分

栗原市栗駒 「駒の湯温泉」菅原恵美さん
東北大学災害科学国際研究所 遠田晋次教授
栗原市花山村 早坂絹子さん
元くりこま耕英震災復興の会 会長 大場浩徳さん

2008年6月14日に発生した「岩手・宮城内陸地震」から15年。M7.2の地震が発生し、栗原市、岩手県奥州市で震度6強、大崎市で6弱、仙台市でも5強を観測した。17人が亡くなり、6人が行方不明になった。特に荒砥沢ダム周辺で大規模な地滑りは、移動した土砂の量が7000万立法メートルに達し、東京ドーム56杯分に相当する国内最大級の地滑りとなった。
東北大学災害科学国際研究所の遠田晋次教授によると、栗駒火山周辺には以前大きな活断層はなく、ノーマークの地域での地震だったとのこと。山の方で起こる直下型地震だったため、斜面の崩壊箇所は4000以上、それによって川を塞ぐ河道閉塞が発生。すると天然のダムができ、決壊しないように作業が必要となった。
栗原市は2015年に、貴重な自然遺産が残る公園「ジオパーク」としての認定を受けた。
被災地のひとつ、栗原市花山地区では土砂崩れが相次いで発生。2001年に当時の花山村浅布地区に移り住んだ主婦の早坂絹子さんは、地肌が見えている山々を見ると地震が蘇って気持ちが落ち着かないと話す。現在、高齢化が進んでいることを課題にあげ、コミュニティを大切にしていきたいと語った。
一方、栗駒山の中腹にある栗原市耕英地区は市街地に通じる道の路面が崩壊し、大きな土砂崩れで通行できずに孤立状態に。生業であるイワナの養殖や農業、観光などに大きな爪痕を残した。元くりこま耕英震災復興の会・会長の大場浩徳さんはイチゴの栽培をしていたが、避難を余儀なくされ、2年間農作業ができなかった。内陸地震以前は、イチゴの露地栽培をしている農家は7軒あったが、現在は大場さんのみ。
そして耕英地区では秋にイワナ祭りを開催していた。今年は久しぶりに観光施設「山脈ハウス」の前で小さく、イワナ祭りを行いたいと話す。

6月12日(月)放送分

東北大学災害科学国際研究所 遠田晋次教授、佐藤健教授
仙台市防災減災アドバイザー 早坂政人さん
根本宣彦アナウンサー 取材リポート

1978年に宮城県沖地震が発生してから45年。宮城県沖を震源とするM7.4の地震が発生し、仙台、石巻、福島で当時の震度階級で震度5、盛岡、山形、水戸、東京などで震度4を観測。県内では27人が亡くなり、そのうち17人は倒れてきたブロック塀の下敷きになった。また、電気やガス、水道などのライフラインがストップ。当時50万人以上の都市が初めて経験した「都市型地震」といわれた。
東北大学災害科学国際研究所の遠田晋次教授によると、38年周期で繰り返し発生している宮城県沖地震の震源域は、12年前の東日本大震災で次の地震の発生が早まった、しばらく起こらない、と研究者の間でも意見が分かれているようだ。東日本大震災の地震によりプレートのバランスが崩れた状態で、地震が多く発生しやすい状況が続いている。地震発生から時間が経つと、日頃の防災意識が薄れてしまうが、地震が多く起きる地域であることを意識し、再確認して備えておくことが重要である。
1978年の宮城県沖地震がきっかけで建築基準法が改正され、ブロック塀の高さの上限は3mから2.2mに引き下げられた。しかし2018年6月に発生した大阪府北部を震源とする地震では違法建築の高さ3.5mのブロック塀の倒壊で通学中の女子児童が犠牲になった。その後効率学校を中心に校地内、敷地内のブロック塀の全数点検が進められている。
仙台市では行動や指定通学路を対象とした実態調査を実施し、特に危険と認められるブロック塀について、改善を実施するまでの間、通行人などの安全を確保する目的でホームページ上で情報提供し広く注意を促している。今年1月末時点で、特に危険なブロック塀などの数は市内で257か所。仙台市では除去工事を行う場合、工事費用の一部の補助を行っている。詳しくは区役所街並み形成課、もしくは仙台市ホームページでご確認を。
周辺に配慮したブロック塀の事例について、東北大学災害科学国際研究所の佐藤健教授にうかがった。南相馬では、ブロック塀が道路境界線から一定の間隔をとって設置されている場所がある。倒壊しても道路への影響は少なく、余裕のある部分に生垣が設けられれば緑も提供できて一石二鳥。大人も子どもも一緒に学びながら地域ぐるみの防災の取り組みが広がっていけば、と佐藤教授は語った。

6月5日(月)放送分

石巻市 水月堂物産 社長 阿部荘達さん
守屋周アナウンサー 電話インタビュー

石巻市流留にある水月堂物産は、ほや、牡蠣などの水産物を使った商品を製造・販売しており、ほやの燻製「ほや酔明」はお土産としてもおなじみ。東日本大震災で渡波にあった工場が被災し、様々な苦労を経て復活したものの、新幹線の車内販売廃止によって、「ほや酔明」の販路を失った。販路拡大のため努力を重ねたが、コロナ禍で土産需要が激減。コロナ禍で販売が出来ず、時間ができたことを逆手に取り、鮭や牡蠣、ホタテといった、「ほや酔明」の兄弟商品や、ほやご飯、牡蠣ご飯の素など新商品を開発。
その後の水月堂物産について、この6月に社長に就任したばかりの阿部壮達さんにインタビュー。
10月に入ってから旅行者が増え、売り上げも回復してきた。5月には「宮城げんき市・ほやレシピグランプリ」で「ほや酔明炊き込みごはん」が金賞に輝いた。そしてあわび、からすみ、ふかひれといったプレミアムシリーズも発売した。高級な商品を若い人たちにも食べてほしいと、手が届く価格帯に設定した。変化を求められている水産業の中で、仲間とともに乗り越えていきたいと語った。

仙台市若林区 震災遺構・荒浜小学校
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

仙台市若林区にある震災遺構・荒浜小学校。荒浜小学校は東日本大震災で高さ4.6mの津波に襲われ、児童や教職員、地域の人たち、計320人が屋上に避難して救助された。震災発生後は東宮城野小学校の校舎を間借りして授業が行われていたが、2016年に閉校、2017年から震災遺構として一般公開が開始された。最上階の4階の教室が展示室になっている。
今年1月には子ども向けの展示が4階の教室の1つに新設された。大きなパネルには、架空の街の地図とそこに暮らす人々が、可愛らしいイラストがセリフ付きで描かれている。吹き出しについた小さなふたを開けて答えを探す、といった、親しむための工夫がされている。仙台市防災環境推進室・主任の片桐充博さんは「こどもたちが「大人が助けてくれる」と思わず、ひとりでも命を守れるように考えてほしい。震災を経験していない人たち自分事にしてもらえるようにしてほしい」と話す。