Archive for 2023年5月29日

5月29日(月)放送分

仙台市防災減災アドバイザー 早坂政人さん
根本宣彦アナウンサー 電話インタビュー

今月は能登、千葉、伊豆諸島、トカラ列島など各地で震度5弱以上の地震が相次いで発生した。6月は県民防災の日、1978年宮城県沖地震から45年、岩手宮城内陸地震の発生から15年となる。いざという時の対応の仕方、日頃の地震への備えについて、仙台市防災減災アドバイザーの早坂政人さんに話をうかがった。
緊急地震速報を聞いたときは、慌てず、まずは落ち着いて身の安全を確保。自宅や建物の中では、体を低くして、机の下にもぐって揺れがおさまるまで動かないことが重要。屋外では、ブロック塀や自動販売機が倒れてきたり、看板やガラスが落下する恐れがあるため注意。屋内にいるときと同様に、体を低くして、鞄などで頭を守ってほしい。エレベーターでは、全ての階のボタンを押して、すぐに降りる。車の運転中は、急ブレーキはかけず、ゆるやかに速度を落としながらハザードランプをつけて、周りの車に注意を促すことが大切。
備蓄について、食べ物は1週間分あると安心。日常的に食べているものを少し多めに買って、食べた分だけ買い足す「循環備蓄(ローリングストック)」がおすすめ。カセットコンロや水、非常用のトイレ、スマホ用のモバイルバッテリーもあると便利。
仙台市では6月12日の県民・市民防災の日にあわせて「仙台市シェイクアウト訓練」を実施している。「シェイクアウト訓練」とは、事前に登録した方が、指定された日時に「まず低く」「頭を守り」「動かない」を合言葉にして、机の下などに潜って1分間地震から身を守る。この行動を習慣づけるための訓練だ。参加登録は、仙台市HPや仙台防災ナビのウェブサイトのほか、FAXや郵送でも受け付けている。詳しくは区役所などに置いてあるチラシやHPにご連絡ください。訓練の日時は、6月12日(月)午前9時45分に地震が発生したという想定で行う。

七ヶ浜町湊浜地区 区長 江口龍市さん
増子華子アナウンサー 取材リポート

今月14日に七ヶ浜町の湊浜児童公園で運動会が行われた。今年で69回目となる歴史ある運動会で、子どもからお年寄りまで約100人が参加。新型コロナウイルスにより、今年が4年ぶりの開催。湊浜地区の区長を務める、江口龍市さんにインタビュー。
開会の挨拶では「顔と名前をぜひこの機会に、子どものことも大人のこともおじいちゃんおばあちゃんも覚えてもらいたい」と話した。玉入れ、デカパン競争、パン食い競争など様々な競技を実施。
人口の減少は全国の様々な自治体が直面している問題。港浜地区の小学生は17人。江口区長は「地域の大事な子どもたちを守っていかなければいけない」と語る。
湊浜地区は昭和50年代に高台に移転したため、東日本大震災では死者、怪我人ともにいなかった。お年寄りが子どもを見守り、子どももお年寄りを機に掛けるようなまちづくりを目指している。

5月22日(月)放送分

東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
根本宣彦アナウンサー 取材リポート

1960年5月23日未明にチリ沖でM9.5の巨大地震が発生し、24日未明に日本の太平洋沿岸に最大で高さ6mの津波が押し寄せた。北海道や東北を中心に甚大な被害を出し、死者・行方不明者は142人、全壊家屋は約1500戸。当時はまだ防潮堤などの設備が整っておらず、遠隔地で発生した地震に伴う津波警報も発令できなかった。旧志津川町では41人が犠牲となり、宮城県内で大きな被害を受けた。南三陸町の佐藤清太郎さんに当時の様子を聞いた。津波が襲来することを知らせるサイレンが鳴る中、高台にある旧志津川高校に避難した。地震があったら津波に注意するよう言われてきた佐藤さんだが、チリ地震津波の教訓から、引き潮津波に用心しようと意識が変わった。以来、5月24日は防災の日として年に1回必ず避難訓練をしている。空振りだとしても警報が出たら高台に避難することが重要と語る。
現在は気象庁等から情報が発令されるようになっているため、避難行動をとることが大切だという。

そして今月26日には1983年の日本海中部地震の発生から40年となる。男鹿半島沖から津軽海峡の西側にかけての広い範囲を震源域とするM7.7の地震が発生した。犠牲者104人のうち100人が津波によるものだった。沿岸部に近い場所で地震が発生したため、地震発生後わずか7,8分で第1波が到達した。日本海という比較的狭いエリアともあって、津波の収束時間が非常に長い。
旅行先や海水浴に行く場合もあるため、別の地域のことだと思わず、ハザードマップなど情報を確認してほしい。海岸付近や河口付近で大きな揺れを感じたら、警報・注意報の発表を待たずに、高台など安全な場所への避難が重要です。

5月15日(月)放送分

女川みらい創造 阿部真知子さん
藤沢智子アナウンサー 守屋周アナウンサー 電話インタビュー

4年ぶりに女川水産業体験館あがいんステーションの担当になった阿部真知子さん。女川のゴールデンウイークの様子について電話インタビュー。
ゴールデンウイークの女川はお客さんが多く、シーパルピアの商店街も人があふれたそう。駐車場では関東圏のナンバーの車、バイクも多くみられた。道の駅になった影響もあり、キャンピングカーなどで車中泊の方も増えてきているようだ。
海岸広場にはキッチンカーが出店し大盛況。マッシュパークパークもあり、子ども連れの家族でにぎわった。女川町海岸広場に新たな魅力をと、海を身近に楽しむためのキャビンを製作。デザインコンペを実施したところ、39件の応募があり、優秀賞2作品が選ばれた。秋の完成を目指して2棟を建設予定とのこと。
そして先月には宿泊施設「スイミー・イン・オナガワ」の竣工式が行われたそう。部屋のタイプは6種類、5棟に分かれ全204室用意。本館20室は一般宿泊、そのほかは長期滞在向けとなっている。現在すでに130人ほどが長期滞在している。長期滞在の方の町内での買い物など循環が生まれているとのこと。宿泊についてお問い合わせは0225-90-9822まで。

5月8日(月)放送分

青い鯉のぼりまつり 伊藤健人さん
守屋周アナウンサー 取材リポート

5月5日、東松島市大曲の矢本海浜緑地公園そばで「青い鯉のぼりまつり」が開催された。当日は約460匹の鯉のぼりが掲げられ、和太鼓演奏、よさこいなども披露された。もともと「青い鯉のぼりプロジェクト」として始めたのが伊藤健人さん。伊藤さんは東日本大震災で祖父母、母、弟を亡くした。震災発生後、瓦礫だらけの庭で、弟が大好きだった1匹の青い鯉のぼりを見つけた。家族に思いが届くようにと掲げ、その後「青い鯉のぼりプロジェクト」を立ち上げ、全国から青い鯉のぼりを集めて毎年5月5日に鯉のぼりを掲げることにした。この会場以外にも東松島市内で1300を超える鯉のぼりが掲げられ、県外でも同じようなイベントが行われている。
そして今年から「青い鯉のぼりまつり」と名称を変更した。これまでは鎮魂の意味合いが強かったが、これからは皆でつくりあげていく行事にし、100年先にも残していきたいと語った。

東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
根本宣彦アナウンサー インタビュー

2012年4月に東北大学の災害科学国際研究所が設立し、津波工学を専門とする今村文彦教授は2014年4月に2代目の所長に就任。3期9年務め、今年3月に退任した。
あっという間と語った9年間には、被災地の復興に尽力、国際防災世界会議で採択されたが2030年までの国際行動指針「仙台防災枠組」にも取り組んだ。
東日本大震災で特に被害をもたらした原因は津波だった。今村教授は、科学技術的な面だけでなく地域社会の面でも課題を整理しなければならないと指摘する。避難訓練や防災教育は引き続き取り組んでいく必要がある。そして新たに見えてきた課題として、心身の健康の維持を挙げる。震災発生から12年経った中でもメンタルケアは必要であるとともに、健全な健康を保つことが災害への対応の基本となる。
今後も今村教授は津波情報と避難についての研究や伝承を続けていく。南海トラフに関しても、内閣府での対策の具体的なワーキングが始まり、知見をその地域にも伝えるというのが目標と語った。

5月1日(月)放送分

東松島市 後藤水産 後藤晃一さん
藤沢智子アナウンサー インタビュー

先週、先々週と東松島市でカキの養殖を手掛ける後藤水産の二代目、後藤晃さんのインタビューを放送。極上のカキを育て続けている後藤水産は、東日本大震災では大きな被害を受け、晃さんを中心に地域の人たちで力を合わせながら、少しずつカキ養殖を再開させた。今週は、そんな父親の姿を見ながら跡を継いだ、三代目の晃一さんにインタビュー。
東日本大震災発生当時、晃一さんは大学2年生で自宅にいた。家業を継ごうと大学でもカキの養殖について学んでいたが、カキの養殖が続けられるか分からないという晃さんの助言により、東京で就職。戻る準備が整ったところで、東松島市に戻った。
小さい頃から船に乗り、中学生の頃には処理場で選別の作業をしていた晃一さん。継いでからは販路拡大のためにインターネットでの販売も始めた。毎年海の状況は変化するため、晃さんは「カキづくりは毎年1年生」といい、晃一さんもそれを実感しているそう。そんな中でも、食べた方からの「美味しい」の言葉のために質にこだわってつくっている。
今後の目標として「親父(晃さん)を超える」と掲げる。また、次の世代のために、養殖ができる環境を守り続けたいと語った。