Archive for ラジオカー

9月4日放送分

石巻市ローズファクトリーガーデン 徳水利枝さん
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

石巻市の塾講師だった徳水さんは、高校に通う娘を迎えに行く途中に東日本大震災を経験しました。雄勝にあった自宅と実家が津波で流され母親を亡くし、その後実家の跡地にだれでも自由に楽しめる「雄勝ローズファクトリーガーデン」を開きました。亡くなった親せきや母親を弔うための庭で、6年間で100名以上のボランティアや庭園の専門家が訪れ庭園の整備などでたくさんの方々に支えられてきました。そのガーデンが今、かわり始めています。
 移転については行政側から2014年に打診され、行政側と自分達の考え方の温度差を感じ、何度も再考を検討してきてもらいました。一生懸命作ってきたものを必要ないですね、と言われているようで…移転には動じません、と以前は回答していたそうです。しかし、日照時間などを計算してもらっている造園会社の社長さんが「動かないでいるより、将来的にきみんなが寄れそしてきれいな花が咲く場所に移転を」と進言したことがきっかけで、前向きに検討することになります。
 雄勝のシンボルになりつつある「石巻市ローズファクトリーガーデン」は、行政側が市民の活動をより生かそうという復興計画にシフトしていることもあり、徳永さんは以前の場所の50mほど内陸側の土地を無償で借りることができました。今では、現在の1.5倍の広さで庭や喫茶スペースのあるガーデンを計画に盛り込む、「雄勝で足を止められる、誰かの何かの意味になる場所」に生まれ変わりはじめました。運営は徳水さんはご主人と二人で、ボランティアの力を借りて本格的な新ガーデン作りの作業に入っています。来年、バラが咲くまでには、新しい「石巻市ローズファクトリーガーデン」がお披露目されそうです。

気仙沼市 福幸酒場おだづまっこ 熊谷英二さん
林田悟志アナウンサー取材リポート

「お調子者」の意味をもつ“おだづもっこ”の気仙沼の方言“おだづまっこ”という名前の居酒屋を経営している気仙沼市の熊谷英二さんは、福幸小町という気仙沼復興飲食組合のプレハブで居酒屋営業をしています。2011年5月に組合を結成してから今までの6年間は、自分を成長させてくれた時間で自分は生かさせてもらっている、という気持ちで営業を続けてきました。
今後来年10月で土地の契約が満期になり、福幸酒場おだづまっこは本設営業の土地を見つけなければならなくなりました。今までは気仙沼市にも建築関係・土木関係の人が多く来てくれましたが街がきれいになるにつれて減ってきている現状があります。本設営業に向けて、熊谷さんはさらに腕に磨きをかけて、舌が覚える味づくりにも熱が入っています。ランチ営業と夜の居酒屋営業の2部営業を続けていますので、気仙沼市に行く際はぜひお立ち寄りください。おすすめはメカジキのカマ煮定食がおすすめです!

8月28日(月)放送

石巻市石巻観光タクシー 語り部タクシー 
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市でタクシーの運転手をしている石巻観光タクシーの高橋信悦さんは、震災当時の状況と復興の様子を話す「語り部ドライバー」をしています。会社の中では8人の語り部がいらっしゃいますが、高橋さんは震災後に語り部ドライバーとして、タクシーの運転手になりました。震災で仕事を失い、友人のタクシー運転手に、タクシーの収入が出来高制であることや自分の頑張りが反映されるシステムだったということもありこの仕事を選びました。
 被災地の現状、思いを伝えていく必要があると感じている高橋さんは、復興する街をタクシー運転手として変化を主にお客さんに伝えています。震災から立ち上がってきた人の話し方や表情を肌で感じ、生の声で伝えることにやりがいを感じています。同時に伝えることは難しいと感じていますが、それぞれの思い、考えを被災者の一人として寄り添っていくことこそが、震災を学びに来た人に伝える第一歩だと考えています。
 今後も、壊滅状態だった石巻の街が復興していく様子を、タクシーの窓から見つめ、被災した人と触れ合うことを日々続け、語り部タクシーとして1年後、2年後もずっと続けていきたいと話してくれました。


山元町普門寺 住職 坂野文俊さん
伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

8月26日(土)に行われた「願い ふるさとまつりおかえりまつり」を企画した山元町普門寺 住職 坂野文俊さんは、震災後「お寺災害ボランティアセンター てらせん」を立ち上げて復旧復興に尽力されてきました。きっかけは、震災後普門寺を会場に無料のカフェ「てら茶坊」を提供したことがきっかけです。始めたころはお菓子を作ってコーヒーを飲みましょうというところから始まりましたが「工芸品の展示をしたい」「ワークショップを開きたい」など人が普門寺にどんどん集まってきて今があります。
 坂野さんは場所を提供するだけでなく、ここをきっかけとして出会い、やりたいことの実現につなげていく場所を山元町につくっていきたかったそうです。それが現実になり、ここ普門寺は多くの人が集まる場所となりました。
 8月26日に行われたお祭りも、予想外の多くのお客さんが訪れスタッフも一緒になって楽しむことができたそうです。山元だけでなく九州や秋田の豪雨災害にボランティアへ参加している坂野さんは、東日本大震災で助けられた、という思いのもとに学生ボランティアなどと連携して復旧のボランティアを今も積極的に行っています。

7月31日(月)放送

亘理町長瀞 鈴木オルゴール工房 鈴木きよ子さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

亘理町長瀞にある鈴木オルゴール工房の鈴木きよ子さんは大学を卒業後、結婚して亘理町に移り住み専業主婦をしていました。27年前にご主人をなくしその翌年から木工品の工房を立ち上げました。木工品の先生から「付加価値のあるものをつくりなさい」とアドバイスもあり、現在は工房でオルゴールの製作・販売をしています。
震災後は、津波で工房の機械が水につかりましたが、板をカットする「刃」が辛うじて直せたことが復活のきっかけで再出発できました。震災後3か月後に工房を再開し震災前に購入して下さったお客様のオルゴールを修理したこともありました。自分の制作したオルゴールが、もし壊れてしまってもお店で修理してずっと使ってもらう、この距離感が鈴木オルゴール工房の魅力ともいえるでしょう。


深沼海水浴場 限定で再開
荒浜地区 佐藤 豊さん(80)
林 朝子アナウンサー取材リポート

仙台市若林区にある深沼海水浴場が震災後初めて試験営業を行いました。地元七郷小学校と蒲生小学校の児童と保護者を対象に600人の参加を募る予定でしたが初日は雨のためイベントはすべて中止、昨日も台風による高波の影響で遊泳はできませんでした。しかし昨日は雨にほとんど打たれることなく訪れた100人近くの親子連れが砂浜やビーチバレーですいか割りなどを楽しみました。
かつて荒浜地区に住んでいた佐藤豊さんは、津波で自宅を流され現在は仙台市に暮らしながらも荒浜に足しげく通い変わりゆく景色を「定点撮影」しています。さらに震災後から月に1度行われてきた深沼海水浴場の清掃活動にも参加し続けてきました。その時すでに海水浴場の限定オープンが決まっていたこともあり、今月9日の清掃活動にも参加しました。
荒浜地区は、震災直後にこの町に戻りたいと思った住民、そうでない住民が葛藤を抱えた町でもあります。そんな地区の人々が同じ「故郷」を再び思うためにも「海がかつてのように再開すること」が一番だと佐藤さんは話します。これからも佐藤さんは、海水浴場近くで住民たちと思い出話ができる憩いの場、思い出を語る日が来る日を待ち続けます。毎月第二日曜日、深沼海水浴場近くの荒浜ロッジでお茶飲み会や海岸清掃を実施します。だれでも気軽に参加できますのでご都合があればみなさん、ご参加ください。
また、8月6日(日)~20日(日)までは、深沼海岸で「海辺の写真展」を開催しています。佐藤さんがこれまで撮影してきた荒浜の写真、海水浴場の写真、2017年度のイベントの写真も展示する予定です。

7月3日(月)放送

石巻市渡波 写真家 平井慶祐さん
古野真也アナウンサーリポート

石巻市で写真家として活躍する平井慶祐さんは、東日本大震災後、大阪から石巻市に移住してきました。現在は「海とともに生きる人」をテーマに水産業で働く方々を撮影しています。
ボランティアスタッフとして石巻市渡波に入ってから、海苔漁師の相沢さんという避難所の代表者と知り合い石巻に残ることを決意しました。相沢さんは津波で漁船や機械を失い、周囲の人たちから少し遅れて仕事を再開しました。準備期間は、ちょっと取り残された感もあったようですが、周囲の人達と同様に今は生き生きと仕事をされています。相沢さんをはじめ、漁師の方々が海で仕事をしている姿はとてもカッコいい、と写真家の平井さんはたくさんの写真を撮影し、その姿を多くの人たちに知ってほしいとインターネットで公開しています。
 漁師の方々は「海は悪くない、津波が悪いんだ」と口をそろえていうそうです。津波と海の違いを、地元渡波の漁師さんから教わり、「外からきたからこそみえること、果たす役割がある」と信念をもって写真を撮り続けています。震災を機に石巻に来た人が、地元の人に受け入れられていくこと、新しい縁で人の温かさと地域の魅力にふれていくことを含め、今まで見たことのなかった海の男たち、石巻渡波の魅力を、写真で表現し発表していきます。

石巻市「イシノマキフィルム」 映画製作プロジェクト
嶋脇 佑さん

 7月1日から、石巻で映画製作スクールを開講している嶋脇 佑さんは、アメリカ出身のジェフェリー・ジョーさんと一緒に映画製作プロジェクトを行っています。八戸出身の嶋脇さんは、もともと通信系の会社で機械に囲まれて人とのつながりを持たずに仕事をしていましたが、震災を機に自分の中にあった、忘れていた「人とのつながり」をドキュメンタリー映画製作を通じて、かつての自分を取り戻しているそうです。
 人と出会い、人と接することで得た経験を映画製作に生かし、「伝える」ことの大切さを実感しながら今、参加者とプロセス(過程)を共有しています。映画製作で共有した時間や人への思いに対して湧き出した人間らしい感情や思いを、みんなでシェアしながら、映画完成までの時間をも楽しんでいます。自分のありのままの姿をさらけ出して、得るものがいったいどんなものなのか、今後、映画を発表する瞬間まで参加者といっしょにじっくり楽しんでいきたいと話してくれました。発表会は7月29日、プレナミヤギホールで行われます。

6月19日(月)放送

南三陸町 平成の森球場改修終了 猪股猪一郎さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

きのう、東北楽天ゴールデンイーグルスVS北海道日本ハムファイターズ戦(イースタンリーグ公式戦)の試合が行われた「南三陸町 平成の森球場」は、1991年に完成し、震災後「三陸地方の野球のメッカになるように」と町と応援職員が一体となって、3月に改修工事を終えて再オープンしました。
その中心人物、南三陸町の建設課の猪股猪一郎さん(71)は、球場の大規模改修が決定したのちに町の職員として採用されました。大手ゼネコン、岩手県の山田町の地元球場改修工事などに携わった後に、南三陸町の平成の森球場の復活に尽力しました。「甲子園球場」や「コボパーク宮城」と同じ種類の黒土と芝を使った球場にしたいと、水はけ低下などの悩みを改善しながら設計改修に励みました。
 南三陸町の佐藤町長が「被災した町で辛抱強く頑張っている球児のために、甲子園の土を入れたい」と希望を伝えたことから、「コスト面」と「みんなの夢」を叶えるために、試行錯誤しながら作り出しました。土は鹿児島県から持ってきた黒土、岩手県の火山灰を混ぜた土を混ぜての混合土。バランスを見極めて土づくりを行いました。もちろん、その土の上にはコボパーク宮城と同様のきれいな緑の天然芝が敷き詰められています。
 南三陸町の子供たちが、将来”この球場で野球をしたい”という夢をはぐくみながら、仲間とプレーする姿をみたい、と猪股さんは願っています。

気仙沼コヤマ菓子店 電話取材
藤沢智子アナウンサー

 コヤマ菓子店は、「はまぐりもなかクッキー」で有名な気仙沼の菓子店です。「かわりない」とは言えどもここ数年は、小さな変化がたくさん見られました。仮設から本設へ商店を移す経営者や、新たに店を再建する事業主の方々が新しいお店の設計を始めたりと一歩一歩それぞれの状況を踏み出しています。コヤマ菓子店の小山裕隆さんも新しいお店の再建に、なんと浜松まで出かけて新店舗の設計を相談するということで新しい街づくり、お店作りをしようと前進しています。
 以前から継続して行っている「気楽会」も35回を迎えました。気楽会の観光案内課ひとめぐりツアーは、〜初夏の内湾、美味しいカツオと共に〜というタイトルで6月11日に行われました。「何度でも通いたくなる旅」をテーマに行い今回は、観光まちあるきツアーで今が旬の鮮度抜群の美味しいカツオを食べました。
次回は、7月9日(日)9:00から、集合場所は気仙沼市民会館です。夏の気仙沼をみんなで先取りしませんか?もちろん地元に移住してきた皆さんもOK!参加費は2000円(昼食代別)です。とっておきの気仙沼をみんなで探して、その楽しみ方を伝授します。お問い合わせはkesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp までお願いします。

※来週の「3.11みやぎホットライン」は、野球中継のためお休みです。