Archive for ラジオカー

11月13日(月)放送

名取市愛島 プレワーカーズ須永 力さん
伊藤晋平アナウンサー取材

今回話を伺ったのは、一般社団法人プレワーカーズの代表 須永力(つとむ)さんです。須永さんは25年以上子供に遊びを提供するプレワーカーを務めています。プレワーカーズは震災以降被災した各地で、遊びを提供する活動をしていましたが、今年の7月に須永さんは名取市愛島に子どもたちに遊びを提供する拠点を作りました。名前は「○○(まるまる)」で、お庭と縁側のある家です、その施設の中ではゲーム機ではなく野球盤や自分たちで木を切って作ったオリジナルのおもちゃがありました。
「ぶんちゃ」と生徒から慕われる須永さんは、震災当時は静岡にいましたがその仕事の区切りをつけて被災地に入り、子供たちに遊びを提供しようとプレーカーという車に道具を積み込んで各地に出向きます。子どもたちは震災直後は荒っぽく、激しい喧嘩も良くありました、何かを壊してストレスを解消しているようでした。その後は、だんだん落ち着きを取り戻してきましたがそれは、子供たちのやり場のない気持ちの現われだったのかもしれません。本当に深く心に傷を負った子供たちは、その遊び場にさえもでてこれない状況でした。須永さんはそんなみんなが、遊び場に出てこられるまでやり続けたいと話します。
出張で、よそ者として遊びを提供してきた須永さんは、今回名取市に腰を据えて市民としても生活しています。よそ者ではなく、地域の人間として周囲の方々と協力して、楽しく今後も活動を続けていきたいと話してくれました。各地域、各学校のそばに1軒「○○」のような施設ができることを強く願います。

女川あがいんステーションスタッフ 阿部真知子さん
電話インタビュー

9月の初めに、女川駅前に「女川交番」ができました、仮設だった銀行や郵便局などが本設として新たなスタートをきりました。最近は、宿泊施設のトレーラーハウスが周囲に建ち、女川の夜もにぎわってきています。ゆっくり宿泊して夜の街を探検するのも面白いですよ。今なら女川のさんまも食べられますので、それも楽しみにお越しください。
また、浦宿浜の仮設商店街「きぼうのかね商店街」が9月30日で営業を終え、2,3店舗が新たな仮設店舗で営業再開、その反面これを機にお店を閉めたお店もあります。災害公営住宅も85%ほどが完成し、平成30年3月には、集合や戸建てを含めすべてが完成する予定です。また、女川駅庁舎も役場が来年9月完成予定で建設されています。

10月30日(月)放送

石巻市 一般社団法人石巻じちれん増田 敬会長
伊藤晋平アナウンサーリポート取材

石巻市にある石巻じちれんは、集約が始まっている仮設住宅の集約をする団体で「町内会」の活動を活性化させる役割を担って、見守りあう形の街づくりを目指しています。お互いを見守るコミュニティは、仮設から仮設へ移動してきた人たちとの人間関係を深め、復興住宅に入れない、先の見えない生活を送っている人たちの悩みや自立再建の相談を行っています。
仮設住宅に住む方々の孤立の防止、移住してきた人たちとのコミュニティを保つため、「つながりお茶っこ会」を毎週1回開催し、サポートメンバーは復興住宅へ転居したい人や仮設団地自治会役員が多くいます。
増田さんは、夏におまつりをしたいと、新蛇田1号公園にて新蛇田盆踊り大会を行いました。交流には子どもから大人まで参加し、とても楽しめたようです。今後も数多くのサークルをさらに増やし、もっともっと参加できるきっかけを増やしたいと話してくれました。

防災タウンページ仙台版について
NTTタウンページ石井 真さん

”いざ”というときに生き延びるために作成された情報冊子「仙台防災タウンページ」は、緊急連絡先メモや災害情報の入手方法、避難の手引きといった防災記事や、災害時に役立つ公衆電話の設置場所や避難場所、避難所のハザード情報を仙台市のマップ内に表示し、日々の備えから災害発生時に活用できる構成となっています。
仙台市内の全住戸、全事業所を対象にタウンページと一緒にビニール袋で包装して先月9月に68万部を発行しています。表紙には震災時の画像をバックに仙台の防災タウンページであることを大きく記載してあります。防災タウンページの特徴は見やすく、使いやすい作りとなっていて、「防災まさむね君」「タウンページ君」のキャラクターが案内する幅広い世代の方に迅速な行動がとれるようになっています。
仙台市にお住まいの方で、手元にない場合はタウンページセンター、0120-506309までご連絡ください。

10月23日(月)放送

亘理町農業法人グリーンキューブ(株) 高橋久志さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

亘理のイメージは、というとイチゴ、あと何かありますか?と話す高橋さんは、現在亘理町で農業法人グリーンキューブ(株)を経営しています。震災で農家をやめる人がいる中、イチゴ農家からコメ農家に舵を切り、除塩した田んぼで震災後翌年からコメをつくりを再開しました。農業を続けるなら規模を大きくしようと農業法人を設立し、ニンニクまで手を広げます。
ニンニクは中国の自国消費が多くなり、輸出される量が減少してきました。ここ1~2年で新潟、栃木でも栽培が盛んになり亘理町の気候にあっていることから栽培を始めましたが、栽培しはじめると土壌改良や水分補給が大変なことがわかります。
しかし、もうからないといわれている畑で、高値取引が期待できるニンニクに、今後の期待が高くなります。ゆくゆくは、亘理町と言ったら「イチゴ」「ニンニク」といわれるまでに成長させたいと話します。
そして今は「田んぼ」需要の多さと「畑」需要の低さの差に頭を悩ませますが、利用していない畑をなんとかアイディア勝負で活用させていきたいと願っています。家庭菜園でも、週末菜園でもきっかけにはこだわらず、亘理町の空いている畑を何とかしようと知恵を絞ります。最終的には、亘理町のあまっている農地をみんなに使ってもらい、たくさんの人が町に来るような仕組みづくりをしたいと思っています。「農業には十分な将来性がある」、このチャレンジ精神にあふれる高橋さんの今後が楽しみです。


多賀城市 とんかつとんちん館 桜井一欽さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

震災から6年半が経過し、今も多賀城でとんかつ屋を営む桜井さんは、多賀城の出身で震災後もお店を再開し多賀城の街に賑わいを取り戻したいと一生懸命考え行動されている方です。震災当時は他のお店よりも再開が早かったとはいえいつも不安を抱えながら仕事をしていたそうです。周囲のお店が震災前の通りにまた再開してくれるという希望を持ちながらの経営です。
自分自身のお店が軌道にのってはいるものの、多賀城市内の賑わいは果たしてどうなのか、現状に疑問を感じた日もあったそうです。
街は時間の経過とともに復興していきましたが、震災を伝えていく必要性も感じています。生まれ育った多賀城の街にいつ賑わいが戻るのか、一度足を運んでくれた人がもう一度来てもらえるようになるにはどうしたらよいのか、試行錯誤していますが、思いはひとつ「食べに来てくれた人が笑顔になれる場所に」その目標に向けて、今も多賀城で営業を続けます。

10月9日(月)放送

石巻市アトリエらいおんどあ 宍戸紀彦さん
小笠原 遥アナウンサーリポート

大手菓子メーカーで、研究員としてお菓子の開発に携わっていた宍戸さんは、会社を退職後1998年に石巻市にお店をオープンしました。応援メッセージを刻印したクッキーやパウンドケーキなど、すべて手作りの商品を販売しています。東日本大震災では、店は被害を免れ10日後に営業を再開しました。
しかし、再開してからもその後も様々な苦労があったそうです。
震災後は、何か食べるものを提供したいと思っても、まず電気が復旧しませんでした。一番必要だったのは「主食」のため店を開けてもお菓子を求める人はいなく売り上げもお客さんも激減したことです。しかし、2011年5月から「被災地を応援したい」という方々の思い、相談を受けてから3年間継続して、避難所や幼稚園にパウンドケーキを届ける取り組みを行いました。当時は支援物資しかなく、届け先の子供たちに「お菓子だ!」と喜んでもらったのがとても印象的だったと話す宍戸さん。大手菓子メーカーでは、ヒット商品を開発してもこのように直接的な喜びを目の前で感じることができなかったため、人のためにそして人のために自分のお菓子作りが役に立ったことが大変うれしかったようです。
現在は、「アトリエらいおんどあ」ではお菓子教室も開いています。地元のコミュニティづくりにも一役かっていて、そしてその教室では”人が喜ぶお菓子作り”をする研究に余念がありません。これからも地域の人々から愛されるお店であり続けたいとお話しくださいました。

あとりえらいおんどあ
宮城県石巻市泉町1-5-3
TEL:0225-22-2135/FAX:0225-22-2135

ツールド東北 民泊提供者 東松島市 菅原かず子さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

先月中旬に行われた、「ツールド東北」で菅原さんはご自宅の一角とご自身が営む農家レストランを民泊として提供しました。第1回大会から始めたこの民泊は、被災地の宿不足を解消するための取り組みで、参加者が少しでも石巻エリアに宿泊できるようにとはじまりました。震災後の”恩返し”から民泊をはじめた菅原さんは、2年ぶりにゲストを迎え入れたそうです。
自宅の部屋、農家レストランのこあがりなどを提供していますがこの場所は、みなし仮説としてお知り合いの家族に提供したことがあり、その時に居住空間としてリフォームを施していました。今も震災を経験した地元の方々が集う憩いの場となっています。
「みんなの憩いの場」は、県外から来たゲストを息子や娘のように迎える温かい場所でもあります。菅原さんの思いがあふれる、そしてゲスト同士もコミュニケーションが生まれる、思い出深い場所となったようです。
農家レストラン 和花の里
宮城県東松島市小松字明神下205-2
TEL 0225-83-2234

9月11日放送分

七ヶ浜町Fプロジェクト
古野真也アナウンサー取材リポート

七ヶ浜町Fプロジェクトの「F」はふるさと、ふっこう、フューチャーの頭文字「F」をとってFプロジェクトと名づけられました。七ヶ浜町の向洋中学校の生徒数人と、向洋中学校教諭の瀬成田先生が中心として活動しています。誰がメンバー、などという登録制ではなく3年生5人、2年生2人の計7人のリーダーが活動計画を立ててその都度全校生徒に呼び掛けてメンバーを募集しているそうです。これまでの活動は、地域の災害公営住宅に出向き歌を歌ったり、一緒に料理したり、菖蒲田浜の清掃活動や公営住宅の周辺の雑草をとったりなど様々な活動をしています。
中学3年生の阿部花映さんは、中学生でしかできない事、中学生にもできることがあるんだな、と活動を通じて感じたそうです。活動の一環として、中学生たちが小学生に震災の記録を伝えようと活動も行っていて、自分の経験を話して東日本大震災の記憶を伝えています。
Fプロジェクトとかかわる前は、自分が一番不幸だと思ったこともありましたが、話すことで自分の心が軽くなることもありました。そして様々な被害にあった人の話を聞く中で、傷ついているのは自分だけじゃないんだと分かったそうです。子どもたち同士では、震災の話はなんとなくしない雰囲気がありそれぞれどれくらい被害があったのかということを知らなかったそうですが、一緒に活動をする友達の震災当時のことを「知る」こともできたそうです。
Fプロジェクトは、今後も3年生から2年生にリーダーを譲り活動を継続していきます。今後も中学生たちの地域活動、社会参加で成長する姿が楽しみですね。

山元町「学習塾よつば」 代表 宮本 匠さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

北海道札幌市の出身で、少年時代から野球に打ち込み大学は筑波大学に進学した宮本さんは、学生時代に学生ボランティアとして宮城県に何度も足を運びました。大学を卒業した後は、北海道に戻って教育関係の仕事をしていましたが、3年前に単身山元町に移り住み、学習塾を開きました。現在中学生11人、小学生2人を指導しています。
震災を経験した子供たちとともに勉強に励む日々ですが、震災を経験したことで特に変化があるわけではありません、ただ地震の話や震災の話をするときは、子供たちがとても大人のような話をすることがあり、そういった部分はとても大人びて見えるそうです。
現在3年目を迎える「学習塾よつば」では、生徒たちに教えすぎない環境を作り、自分自身で学ぶ姿勢を作っていくことが今後も長く継続することを望んでいます。学力も他地域に比べてまだまだ及ばない部分もありますが、学習環境を山元町で整えて、一生懸命やることが恥ずかしくない場所をつくってあげられたら、と毎日思って子どもたちに向き合っています。