Archive for レポート

6月19日(月)放送

南三陸町 平成の森球場改修終了 猪股猪一郎さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

きのう、東北楽天ゴールデンイーグルスVS北海道日本ハムファイターズ戦(イースタンリーグ公式戦)の試合が行われた「南三陸町 平成の森球場」は、1991年に完成し、震災後「三陸地方の野球のメッカになるように」と町と応援職員が一体となって、3月に改修工事を終えて再オープンしました。
その中心人物、南三陸町の建設課の猪股猪一郎さん(71)は、球場の大規模改修が決定したのちに町の職員として採用されました。大手ゼネコン、岩手県の山田町の地元球場改修工事などに携わった後に、南三陸町の平成の森球場の復活に尽力しました。「甲子園球場」や「コボパーク宮城」と同じ種類の黒土と芝を使った球場にしたいと、水はけ低下などの悩みを改善しながら設計改修に励みました。
 南三陸町の佐藤町長が「被災した町で辛抱強く頑張っている球児のために、甲子園の土を入れたい」と希望を伝えたことから、「コスト面」と「みんなの夢」を叶えるために、試行錯誤しながら作り出しました。土は鹿児島県から持ってきた黒土、岩手県の火山灰を混ぜた土を混ぜての混合土。バランスを見極めて土づくりを行いました。もちろん、その土の上にはコボパーク宮城と同様のきれいな緑の天然芝が敷き詰められています。
 南三陸町の子供たちが、将来”この球場で野球をしたい”という夢をはぐくみながら、仲間とプレーする姿をみたい、と猪股さんは願っています。

気仙沼コヤマ菓子店 電話取材
藤沢智子アナウンサー

 コヤマ菓子店は、「はまぐりもなかクッキー」で有名な気仙沼の菓子店です。「かわりない」とは言えどもここ数年は、小さな変化がたくさん見られました。仮設から本設へ商店を移す経営者や、新たに店を再建する事業主の方々が新しいお店の設計を始めたりと一歩一歩それぞれの状況を踏み出しています。コヤマ菓子店の小山裕隆さんも新しいお店の再建に、なんと浜松まで出かけて新店舗の設計を相談するということで新しい街づくり、お店作りをしようと前進しています。
 以前から継続して行っている「気楽会」も35回を迎えました。気楽会の観光案内課ひとめぐりツアーは、〜初夏の内湾、美味しいカツオと共に〜というタイトルで6月11日に行われました。「何度でも通いたくなる旅」をテーマに行い今回は、観光まちあるきツアーで今が旬の鮮度抜群の美味しいカツオを食べました。
次回は、7月9日(日)9:00から、集合場所は気仙沼市民会館です。夏の気仙沼をみんなで先取りしませんか?もちろん地元に移住してきた皆さんもOK!参加費は2000円(昼食代別)です。とっておきの気仙沼をみんなで探して、その楽しみ方を伝授します。お問い合わせはkesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp までお願いします。

※来週の「3.11みやぎホットライン」は、野球中継のためお休みです。

6月12日放送

~宮城県沖地震からきょうで39年(発生:1978年6月12日)。6/14は宮城内陸地震発生から9年~

市民防災の日 折立小学校避難訓練
林朝子アナウンサー取材リポート

1978年6月12日、午後5時14分、Ⅿ7.4(震度5)の宮城県沖地震が発生。仙台市域で亡くなった人は16人、10,119人が負傷、4,385戸が全半壊しました。当時50万人以上の都市が初めて経験した都市型地震…亡くなった方11人はブロック塀の倒壊により犠牲になりました。

きょうは、市民防災の日に合わせて仙台市折立小学校で行われた避難訓練の模様をお伝えます。小学校では仙台市内で最大震度6強の直下型地震という想定で行われました。今回行われたのは「シェイクアウト訓練」という2008年アメリカで始まった訓練の方法で、指定された日時に参加者がそれぞれ自分の身を守るために一斉に行動をとるというものです。
仙台市ではホームページで事前に参加登録をする仕組みで、仙台市では4万900人あまりの市民が参加しました。取材をした折立小学校では児童、教職員合わせて250人が参加しました。子どもたちは机の下にじっと身を隠した後先生の指示を待って避難行動をとりました。
きょうの訓練では、仙台市地震防災アドバイザーの及川由佳里さんや折立地区の地域防災リーダーの一人山崎寛さん(77)の話に身を傾け、地震発生時に身を守る「3つの安全行動(まずは低く、頭を守り、動かない)」を確認しました。
直下型地震の場合は、とにかく身の安全を守ることが優先されます。【天災は忘れる暇もなくやってくる】…折立地区は地滑りで道路が陥没したり自宅が半壊したりと大きな被害を受けた場所でもあります。子どもたちも、日ごろからの練習を忘れずに防災教育への意識をさらに高めさせました。

宮城県内陸地震から9年。栗原市耕英地区取材リポート
根本宣彦アナウンサー取材リポート

栗原市耕英地区で土石流にのまれながらも一命を取り留めた駒の湯温泉の経営者、菅原昭夫さんにお話を伺いました。
2008年6月14日に岩手県・内陸南部を震源とするⅯ7.2の地震で震度6強を観察した栗原市では、17人がなくなり6人が行方不明となりました。
土石流により温泉宿は全壊、家族や従業員合わせて7人がなくなりました。

駒の湯は、一昨年10月、日帰り温泉「駒の湯」が営業を再開、去年8月には「そばカフェ・こまのゆ」も完成しています。しかしまだまだ「駒の湯温泉再開」のニュースが届いてないのか、お客様は少ない状況です。大きな窓ガラスから見える雄大な自然をみながら温泉に入ることが好きな仙台市から訪れた男性は、発見400年、開湯400年を迎える駒の湯温泉のファンでもっとたくさんの利用者があれば、と心配しているようでした。
現在、栗駒耕英地区では「イワナの養殖」や「イチゴの栽培」が継続して行われています。人口減少が続く中で元くりこま耕英震災復興の会 会長の大場浩徳さんは、住民たちが長い歴史の中で生業としてきたものを大事に受け継ぐために現在、地域の方々に声がけして「イチゴ栽培」の復活を手掛けています。耕英のイチゴは、宮城県内に出荷はされていませんが業務用として東京へ出荷されています。甘くておいしいイチゴは大変好評をいただいているようです。
さて、今年も耕英地区の「イワナ祭り」が9月10日に行われます。豊かな自然ゆったりとした時間を、四季折感じられる栗駒市へぜひ足をお運びください。

5月22日(月)放送

東京都門前仲町 三陸港町酒場「女川男」
伊藤晋平アナウンサーリポート

 東京都門前仲町にある「女川男(おながわまん)」というお店を訪ねました。店長の小倉直樹さんは、三陸宮城の食材を中心に料理を提供し、営業をしています。小倉さんは震災後、お店の中でお客さんが「競り」を体験できるイベントなどを行い、それが好評で、東京でも店長を任せられ出店しました。
 はじめは、東京での「仕入れ」のルートづくりには、勝手がわからず大変苦労をしたそうです。しかし三陸の食材にこだわった居酒屋営業を続けることで、復興や現状をお客さんに実際に感じてもらえると信じて仕事を続けました。貴重な時間だったと話します。
 東京ではこれからも、地元女川のの材を提供してくれる漁師さんたちの思いを背負いながら、現場に立ち続けたいと話します。東京に

仙台市 荒浜で定点撮影を続ける 佐藤 豊さん
林 朝子アナウンサーリポート

佐藤さんは、津波発生時荒浜にいて、95歳のお母さんと、車椅子生活を続けるお友達を助けようと車で向かいます。
大きな揺れと津波の心配から2人を連れて避難所へ逃げようと思いました。しかし車には、カメラの機材が積んであったため、のせられなかったため、撮影用のカメラ機材を全部下して2人をのせて避難所へ逃げました。
津波から逃げる時、写真家としてのカメラマン魂からかいつも車に積んであるカメラで撮影したいと思い、いつも通り後部座席に手を伸ばしました。…が、あるはずのカメラは、先ほど下したためなく、早く逃げなければと我に返ったそうです。それが生死をわける行動だったのではないか、と考えます。
あれから6年、震災で親せきや家族を失った佐藤さん。生き延びた使命もあっていま、荒浜の定点撮影を続けています。海水浴場や親せきの集まりで笑顔が絶えなかったあの日の荒浜の光景を、忘れさせないためにも自分の活動があると思っています。家族や親せきだけでなく、荒浜で育ったみんなの生きた証を佐藤さんは撮影し続けます。
今年の8月に、佐藤さんはみんなから寄せられた写真や自分の撮影してきた荒浜の風景写真の展示会を行うそうです。自分が行った失敗談などを、今後の防災に生かすためにも、写真展で伝えたいということです。あの時車で逃げてしまった、写真撮影をしようと思ってしまったなどの後悔も

5月8日(月)放送

神戸子ども総合総合専門学院 山田利行さん
藤沢智子アナウンサー インタビュー

 スタジオには、兵庫県明石市から保育士養成校 神戸こども総合専門学院の講師、山田利行さんにお越しいただきお話を伺いました。
山田さんは2013年の夏から何度も宮城県の被災地(石巻市など10ヵ所)に通い、子供たちの様子を探り、長い時間をかけて見守りを行いました。兵庫県も阪神淡路大震災で被災したことから、子供の心のケアを心配し「見た目」と「心」の変化を探るためだったそうです。
 子どもたちを見ていると、震災後から「遠慮」をしながら遊びをしていると感じることもありました。遊ぶということは「遊べる環境」が普通にあるこということです。
 特に気を付けたのは、必ず遊びで子どもと関わる時に「折り紙」を置くことにあったそうです。折り紙は折らなくてもちょっとしたメモ用紙に早変わりし絵を描く、話のきっかけにもなる道具でもあります。
「折り紙」は、三角を折るところからきれいな立体の作品ができあがります。指先を動かす、先生に聞く、折り方を習うなど「学び」の要素が詰まっていてますので、狭い仮設住宅や静かに時間を過ごさなければならない場所での遊びにも適しています。子どもの発達にも大きく影響があるため、場所を選ばず、現在子育て中の方にもおすすめの遊びです。
 山田さんは今後も被災地に足を運び、子供たちの変化を温かく見守っていきます。

3月27日(月)放送

東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校
鈴木実森アナウンサー取材リポート

3月4日、5日に「東日本大震災メモリアルDay@多賀城高校」という防災、減災に関する活動発表会やワークショップが行われました。多賀城高校災害学科は、去年の春に新設された学科で全国2番目、宮城県内初の学科設置となりました。
この日は、北海道から青森兵庫など日本各地の高校生が参加し、被災地をバスツアーで案内する催しもありました。多賀城高校の生徒はお手製の街歩きマップを作成し、それを元に中高生60名を案内したそうです。
兵庫県から参加した高校生は、阪神淡路大震災を経験していない世代で「復興」した神戸の街しか見たことがない生徒ばかり。今、私達が出来る事は何かを、多賀城高校の生徒から学んだようです。
薄れゆく震災の記憶を風化させないために、多賀城高校の生徒たちは今後もたくさんの人たちに東日本大震災を伝えていきます。

第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞受賞
宮城県農業高校 食品化学科2年 金山澤杏朱さん
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

金山澤さんは、被災した塩害農地でそばを育てた「そば」を利用したボランティアで、「第20回ボランティアスピリッツ賞 文部科学大臣賞」を受賞しました。塩害農地で育てた「そば」を打って、仮設住宅でふるまいコミュニケーションをとりながら仮設住宅を訪問するボランティアです。
仮設住宅の訪問前には、住んでいる人たちが「暗い生活をしているのではないか、元気がないのではないか」というイメージを持っていたそうです。金山澤さん自身、引っ込み思案で人見知りのためうまく自分を出せないのでは、と考えていたからです。
しかし、その悩みも活動を行っていくうちに、仮設住宅に暮らす方々から逆に元気をもらったり勇気づけられたりと、活動の過程の中で自分が「成長」していったそうです。今では、この活動を伝えたい、後輩にも引き継いでほしいという思いで溢れています。
全国1700件のボランティア活動の中から、最高位の賞をとれたのもまだ実感がないと話す金山澤さ。、残る高校生活1年の中でも積極的に活動を行い、県外の大学へ進学しても「いつかは、地元宮城で活躍したい」と考えています。