Archive for レポート

1月23日放送

亘理町吉田 斎藤美智子さん
佐々木淳吾アナウンサー 取材リポート

亘理町吉田に「お菓子のアトリエリモージュ」という小さなケーキ屋さんで、2003年開店当時から従業員として働いているのが、生まれも育ちも亘理町の斎藤美智子さんです。
津波で被災した斎藤さんは、住み慣れた故郷を離れて暮らす毎日にふと思う事があります。
震災当時、お父さんが「チリ地震では膝までしか津波は来なかった」という話を信じていたので、逃げませんでした。しかし、海から200mにあった平屋の自宅にはあっという間に波が押しよせのまれてしまい、波の中を浮いたり沈んだりして知らない方の家のカーポートに逃げ、その家で一晩を過ごしました。
 2011年の4月からは4人の息子さんと、震災後に岩沼市内のアパートを借りて過ごすようになります。しかし亘理町の自宅のような近所づきあいではなく、上の階の人には結局会う事はなかったそうです。「これが都会の生活なんだ」と驚いた、と当時を振り返ります
 その後、職場のお菓子屋へ戻り「再建」へと歩み始めます。地域の方々は親切でタオルがないと話すとタオルを下さったり、食器がないと相談すると食器を提供してくれたりと本当に親戚づきあいのような環境で、皆さんからの親切、あたたかさを更に震災後に感じるようになりました。そのおかげもあり3ヶ月後には元の場所で営業を再開することができました。
 その後旦那さんの実家のある山元町に引っ越しますが、亘理町に比べて山元町には交流の場がたくさんありました。ご主人が山元町民だったという事もありここでも大変人に恵まれました。「何もなくても人がいれば大丈夫。故郷を離れたけれども、人と人とがコミュニケーションを取り合えればうまくいく」と感じたそうです。
今後も、顔を知っている人達が何かあった時に助けてくれる地元になるようにコミュニティづくりに取り組みたいと話してくれました。

ゆりあげさいかい市場 「栁屋」 栁沼宏昌さん
伊藤晋平アナウンサーリポート

栁沼さんは、ゆりあげさいかい市場の振興会会長を務めています。震災前は名取市沿岸南部の北釜地区で青果物の卸売り専門として勤めていらっしゃいましたが、今は八百屋がなかったさいかい市場で出店しています。震災後、市場は間もなく5年を迎えますがまだまだたくさんのサポートをしてもらっているな、と感じるそうです。
 さて、栁屋を5年前に開業した栁沼さんですが今後の本節移転に向けて、店の営業形態をどうするか悩んでいます。本設に移転する時こそ「0」に戻れるからこそ、タイミングや店の軸(コンセプト)について真剣に考えなければ、と思っているそうです。
 近々、本設商店街が出来る予定ですが、スピード重視で利用者を置き去りにしている感じが拭えないと思っています。そこで本当に商売が成り立つのか、もっと意見を反映してくれないかなど自問自答が続きます。
悩ましい問題がすべて解決すれば、すぐに飛び込みたいとの思いがありますが自分の新しいお店の将来を考えると、何事にも慎重にしていかなければ、と思いを巡らせます。

12月5日(月)放送

石巻市北上町 大室南部神楽取材リポート2
TBCテレビ 松本真理子ディレクター取材

11月21日(月)に放送した大室南部神楽取材リポート、続編です。
石巻市北上町十三浜の大室南部神楽保存会のみなさんが、神戸の湊川神社、生田神社で大室南部神楽を奉納しました。その演部の模様をお伝えします。御神楽は涙を浮かべてみた方が多く「子ども達の演技がすごい、力いっぱい一生懸命演じているのが泣けてきた」「感動した」「震災で子どもたちがつらい思いをしている中で、この地域伝統を守っていくという、熱意が感じられた」など、ほとんどの方が感動を受けたという声が多数でした。踊り手の想いが神戸の皆さまの心に届いたようです。
 踊り手側も一生懸命踊りきり、神戸の方々の鳴りやまない拍手に、震災を経験した者同士で地域を大事にする思いが伝わったと感じています。この御神楽を演じ続ける事がコミュニティ再生につながると信じています。
 演部が終了後、大室南部神楽の稽古場のプレハブが解体されることが決まりました。保存会の方の中には、5年間の思い出がなくなるのは淋しく、また震災にあったようだ、との感想もありました。週に1回、ここに集まれたことの幸せだったようです。今後も取材を継続していく予定です。

気仙沼市水梨コミュニティ仮設住宅復興コンサート
鈴木実森アナウンサー 取材

 11月25~27日の3日間、南三陸町、気仙沼市、仙台市(青葉区、宮城野区)各箇所で音楽会がありました。
今回演奏してくれたのは、福岡市職員音楽会実行委員会のみなさんです。年に1回被災地を訪れ、復興応援コンサートを開催しています。
取材した気仙沼市の水梨コミュニティ仮設住宅は、震災後約80世帯が暮らしていましたが、現在は約半分の40世帯の方が生活しているようです。今回の音楽会では水梨仮設から引越された住民の方も参加していました。「とてもあたたかいふるさとのような場所」と、なつかしんでいる方もいらっしゃいました。 演奏会では、テレビドラマの主題歌が多く演奏されていたので、参加した方々は曲に合わせて合唱したり、体を動かしたり楽しんでいました。
 演奏会の実行委員長の井料田充さんは、被災地に特別な思いを抱き活動を始めました。今では何度も足を運ぶうちに東北が好きになったそうです。今後も被災地をめぐる演奏会は続きます。

11月21日(月)放送

石巻市北上町 大室南部神楽取材リポート
TBCテレビ 松本真理子ディレクター取材

石巻市北上町十三浜の大室南部神楽保存会のみなさんが、神戸に招かれ大室南部神楽を神戸の湊川神社、生田神社の2か所で奉納しました。神楽を奉納してみて現地では東日本大震災を想い、その舞に涙を浮かべている人もいて感動的に受け入れられたようです。
 神戸と言えば、阪神淡路大震災。全てが消失してしまった長田区の以前から親交のあった会と保存会が交流し今回お呼ばれをして実現した大室南部神楽の奉納です。
神戸市長田区の今滝さんは今回保存会を呼んで交流し、被災から20年たった神戸の「20年問題」を伝えたかったと言います。
 今滝さんが現在長田区でお住まいの借り上げ復興住宅は、自治体が建物丸ごと借り上げて20年期限でお借りしていました。当時の被災者は、やっと入居できる心が落ち着く場所として入居しましたが、現在、その借入期限の20年が経過し現在立ち退かなければならない状況に置かれています。
 今滝さんは「震災時は、50歳を過ぎた頃なので20年後まで走りぬけられるような気がしましたが、今となっては後悔の日々...長田地区にまた戻ろうとみんなに声掛けしたこと、街の再生に尽力してきただけあり立ち退く日が近づくにつれ、不安も募ります。」と話してくれました。
石巻も東日本大震災で大きく被災した町。大室南部神楽保存会のみなさんのなかでも同じ境遇で30年の期限をもつ借り上げ住宅に住んでいる人が多く、自分自身の住まいも今後どうなるか想像がつかないといった状況です。
 思いもよらなかった現実が今、目の前に迫っている長田地区の皆さんの経験を聞き、保存会のメンバーも不安を抱えるようになりました。震災の傷跡はまだ癒えない神戸。東日本大震災で被災した石巻でも起こりうる問題です。今後も将来を見据えての行動等が必要となりそうだ、と真剣に考え始めるきっかけとなりました。

登米市 津山町若者総合体育館仮設住宅「お別れ会」
藤沢智子アナウンサー 取材リポート

震災から5年8カ月が経って、仮設住宅を離れる人が多くなりました。当初24世帯が住んでいた今、約半数の12世帯の方々が残っていますがひとつの区切りとして登米市 津山町若者総合体育館の仮設住宅で11/13にお別れ会が開催されました。
 登米市の仮設住宅にお世話になっているのは、主に南三陸町の方々で最初は知らない人が多かったと、自治会長の阿部さんは5年前を振り返りました。近くにある若者総合体育館では、登米市の皆さんと移住してきた町民のみなさんで運動会やグランドゴルフ大会など交流を行い、コミュニティの場として利用し和気あいあいと暮らしていました。
 この日はたくさんの方がお別れ会に参加し、その中には戸倉の復興住宅に移った方も参加していました。現在は南三陸の新居に引っ越しをした方ですが、懐かしいみんなの顔を見るために参加したそうです。また、今も住みなれた登米市の施設へ買い物へ通うこともしばしば。南三陸には大きなスーパーマーケットがないので登米市まで買い物に来ているようです。
 復興が進んだ、といわれる南三陸町では今も車がないと不便な場所。買い物や病院、利便性を考えると登米市にいた方が良いのでは?と不安に思ったり迷ったりすることもあるようです。
 5年間住み慣れた場所からふるさとへ帰りたい、と思う反面、登米市での便利な生活を維持したいとも思うようになる人がいらっしゃいます。また、若い人たちが南三陸町から離れてしまい子ども達の声も聞こえない状況にも、淋しさを感じるようです。

11月14日(月)放送

東北大学東北メディカルメガバンク機構 菅原じゅんいち教授
大久保 悠アナウンサー取材リポート

 きょうは東北大学東北メディカルメガバンク機構が発行する、「妊産婦を守る情報共有マニュアル」をご紹介します。災害時に妊産婦、母子をどのように守るかは病院同志などで共有できる情報でしたが、避難所における情報共有の部分(現場)では、妊婦さんの数等が把握できず大変困ったという事例がありました。
 災害弱者として、妊婦さんの立場は自分から手を上げない限り、なかなか気付けない状況です。環境次第では命の危機が及ぶ場合もあります。
 このマニュアルは、出来あがってすぐに熊本地震が発生した熊本県内で活用されました。マニュアルはインターネットからダウンロードされ、避難所で大いに役立てられました。菅原先生地震も被災地へ支援に行きましたが、実際は仕事や車中泊、避難所以外での場所で過ごす妊産婦さんにはなかなか情報が共有されなかったと言う反省点もあったそうです。
 基本的なことが書き込まれた「妊産婦を守る情報共有マニュアル」は、今後場所や人、それぞれの立場にたって臨機応変に対応することも必要です。今後は地域性等に合わせて進化させる必要もありそうです。

東北大学農学部から「就農」へ。元ReRoots 平松希望さん
伊藤 晋平アナウンサー取材リポート

 
 2011年の4月に東北大学農学部に入学した、富山県出身の平松希望さん。震災後すぐに仙台市若林区にある「ReRoots」のメンバーとして大学での勉強の傍ら、若林区で農家さんの手伝い、活動をしてきました。元々は研究職を目指していましたが、活動を通じて自分がしたいことは「農業」なのではないか、ということに気が付かされます。
 若林区の農家さんに相談してみたところ「農業なんてやらないで、会社に就職しろ」と何度も言われたそうです。彼女自身「農家(農業を生業とする)になるため」に何をしていいか、は全く分かりませんでした。「農業」は求人がでない、ということも分かりハッとしたそうです。
 東北大学農学部を卒業しそのまま就農する生徒はたった2人。それだけに農家になるためのルート探し研修場所を探すことは大変難しいことだったそうです。女性一人が始めるには大変な仕事であることは、農家の方なら誰でも知っています。県外出身者の平松さんが仙台市の若林区で農家になることは本当に大変で心配だからこそ、地元の農家さんが親身になって声をかけてくれたのだ、と感じています。
 平松さんはこれから2年間にわたる「就農研修」に入ります。意志を貫いて今後、自分の夢見た、すばらしい農業を目指してがんばっていきます。

11月7日(月)放送

山元町 農家 内藤靖人さん「マコモダケ美脚コンテスト」
袴田彩会アナウンサーリポート

10/9開催、「マコモダケ美脚コンテスト」が行われました。山元町に来て3年目。埼玉のご出身で震災前は東京でスーツを着て営業の仕事をしていたそうです。震災後のボランティアで関わっていた山元町の復興を手助けしようと通い始めて2年で経過したころ山元町に移住しました。
 内藤さんは、主に栽培しているにんにくのほかにマコモダケという野菜も育てています。まだなじみがない方が多いと思いますが、マコモダケはイネ科の野菜で色は白く、見た目は長ネギを少し太くしたようなもの。触感はタケノコに近く、シャキシャキとして癖がほとんどなく食べやすい野菜です。まだ認知度が高くない野菜なので、まずはみんなに知ってもらうために「マコモダケ美脚コンテスト」を企画、マコモダケは人間のふくらはぎに似ていて、台湾ではすでにコンテストを開催していていたためこれを参考にして、日本初のコンテストを開催しました。
 コンテストには女装したおじいちゃんや男性、女性6組が出場しました。優勝したのは、山元町の20代の女性です。今後はマコモダケPR対しとして山元町のPR映像に出演することが決まったそうです。
 今回のイベントには3,000人の集客があり、内藤さん自身もびっくり。大成功を納めました。そしてコンテストを開いた噂をかぎつけマコモダケ業界の専門家の方から”全国マコモサミット”におよばれしたそうです。福井県で行われたサミットには、全国から300人ほどのマコモダケ農家や加工業の方が参加し意見交換などを行いました。まだまだ認知度がない、と思っていたマコモダケは、町を挙げての一大イベントになりました。
 内藤さんは現在1200株のマコモダケを一人で栽培しています。10月中で収穫はすべて終わり、3年前に始めたころと比べて収穫量は20倍にふえました。次の目標は1000キロだそうです。今後は山元町といえばマコモダケ、マコモダケといえば山元町。そんな風に認知が広がっていけば自分が山元に来た意味もあるのかな、とお話下さいました。

多賀城高校災害科学科取材リポート 
古野真也アナウンサーリポート

 今年度から多賀城高校に災害科学科が創設されました。1年生は全部で7クラスあり、その1クラス38人が災害科学科で勉強に励んでいます。きょうは創設から半年が過ぎた学校にお邪魔して、生徒自身にどのような心境の変化があったかを取材しました。
 改めて、多賀城高校災害科学科とは普通科の学習内容を防災・減災・環境などの切り口で学ぶもので、「命とくらしを守る」地球未来の創造者を育てることをコンセプトとし「誰にでも未来を創る」力をつけるというスローガンのもと普通科にはない特色ある学びが用意されています。
 生徒たちは「くらしとあんぜん」~保健体育の保健の部分、家庭科の家庭の中にある安全にかかわるものをクローズアップして災害に備えや命を守る術を学んでいます。取材をした日は家庭にある調味料でどの汚れが一番落ちにくいかを実験する授業でした。授業に使う教科書も製本されたものではなく、様々な資料をファイリングした独自のものでした。
 災害科学科1年生の佐藤みうさんは、震災時によく聞いた「想定外」という言葉に違和感を感じたそうです。自分自身、心のどこかで未来は、想定外が想定内であってほしいという気持ちが生まれ、新しい「想定内」を社会に生み出していくために入学を決めたそうです。
 多賀城高校は、外部の方とのつながりのための座学を多くカリキュラムに組んでいるため、取材日はJAXAの研究員の方と生徒たちが災害についてディスカッションする機会もありました。地球観測衛星が災害にどう役立つかなどを学ぶ授業です。衛星から電磁波を使って地表をデータ化する、という専門的な内容です。最新の技術で最前線の人から特別な授業を学ぶことで生徒たちは災害を科学的に学ぶ、ということを理解し災害が起きたときに人命・暮らしを学ぶ力を備え、より深い学びをつけて未来へ役立てる観点の座学でした。
 生徒は、「災害科じゃないと出会えない人」と学校で出会い、話を見聞きしていくことで自分たちの知識を高め、まとめたことが、次世代の防災に役立つような人間になりたい、「災害を地球規模で考え、メカニズムを理解し考えていく人間になりたい」と夢を語ってくれました。
 来年1月の課題研究は、地震や津波、火山や避難所設営に関わるものなど多岐にわたるジャンルについて勉強し発表するそうです。目的をもって高校で学んでいる生徒たちを間近で取材し、漠然とテストでよい点数をとることだけ考えていた自分の高校生時代を照らし合わせて、ちょっとうらやましさも感じたそうです。