Archive for 2015年2月23日

2月23日(月)放送分

・仙台市若林区 桑農家 菊地柳秀さん 取材リポート
リポート:菅生翔平アナウンサー

 若林区荒井笹谷敷の菊地柳秀さん・たえこさんは、現在近所の方と「シャン ドゥ リュミエ」という農業法人を立ち上げ、桑を作っています。菊地さんはもともと荒井で江戸時代から300年にわたって農業を営んでいてほうれん草やお米を作っていました。なぜ現在桑を作っているのか…その転機は2011年の東日本大震災でした。
 震災時は仙台東部道路の東側は甚大な被害で190人近い方がなくなりました。田畑もほとんど水に浸かり農業もできない状況。しかし、農家を自分達の代で終わらせたくない、という思いから支援を経て現在農業を再開しています。その再開のきっかけはボランティアの方々の助けにある、と振り返ります。除塩や片づけをはじめ菊地さんの心の支えにもなりました。
 そして縁あってNPO法人日本ハビダット協会の親善大使の一声が菊地さんと桑を結びつけます。試験的に植えた桑を75本植えてみたところ全部根付きました。無農薬で栽培できる桑は現在7000本ほどの桑を栽培しています。その桑は現在パウダーやお茶などに加工され健康食品として販売。摂取することで健康改善が見られた人もでて、お2人はさらに桑を通じて「日本の医療を改善する!」という夢を持って仕事にまい進されています。
 
・多賀城市 鉄板居酒屋 一歩 並木貴憲さん取材リポート
 リポート:飯野雅人アナウンサー 

 産業道路沿いの津波被害が大きかったところに、並木貴憲さんは縁あって震災後店をオープンすることになりました。震災前から通っていたからあげがおいしい居酒屋です。そのきっかけは震災後4時間かけてスーパーでコロッケを2個買って嬉しそうに話してくれたおばあさんの笑顔…孫にやるといって時間・苦労を惜しまず並んで買い、暖かいコロッケを嬉しそうに持ち帰った姿が忘れられなかったからだったそうです。
 しかし2011年9月の開店直後は周りに店がなく震災前の面影はありませんでした。震災後に変わってしまった風景、真っ暗な状態が続く多賀城がこの先ずっと続いてはいけない、と地元多賀城を考えるきっかけにもなったそうです。
 現在、多賀城駅前は再開発が進み、にぎわいを取り戻そうとしています。鉄板居酒屋一歩には「おかえりなさい」も文字と子供の笑顔の写真。今後みんなが以前の生活に戻った時に初めて復興と言える日が来る日を心待ちに、多賀城を明るく変えていきたいと話してくれました。

2月16日(月)放送分

・南三陸町 さかなのみうら 取材リポート

リポート:飯野雅人アナウンサー

南三陸町志津川で三代続く鮮魚店「さかなのみうら」を営む三浦保志さんを訪ねました。海のすぐそばにあった店舗は津波で鉄骨のみに。当時、鉄骨だけの店舗に「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」のメッセージが掲げられたシーンを覚えている方も少なくないのではないのでしょうか。
これだけ大きな被害を受けながらも三浦さんは支援活動に従事し、それと並行して店の再建を目指しました。念願の再オープンは震災から半年後の2011年9月29日。元の場所から1kmほど内陸の土地でした。オープン初日はボランティアスタッフが交通整理を行うほどの賑わいだったそうです。
しかし、3年経った去年の9月15日、原因不明の火災で店は全焼してしまいました。津波被害に続き今度は火災。店を閉じてしまっても仕方ない状況でしたが、三浦さんはすぐに再建に動き出しました。「自分だけではない、従業員の暮らしを考えたらやるしかない!」三浦さんの強い想いが叶い、火災から3ヶ月後の12月末に南三陸さんさん商店街の隣にさかなのみうらは再々オープンを果たしました。
今後は店舗で食事もできるようにしたい、それも安く提供したい、と三浦さん。志津川は魚の街。魚で皆さんを笑顔にしたいと話してくれました。

・押切珠喜さん 電話インタビュー

押切さんは大阪の出身ですが、山形県の赤倉温泉で湯治宿を経営しています。東日本大震災の直後、ボランティアセンター(VC)を支援する会を設立し、宮城で様々な支援活動をしています。そんな押切さんに宮城でボランティア活動をするきっかけ、現在支援活動を行っている金華山の現状、合わせて2/19(木)に行われる金華山旧正月の元旦祭についてお話を伺いました。

※この元旦祭に併せて女川港から金華山までの臨時便が就航します。元旦祭は19(木)の午前2時に執り行われるので、前日2/18(水)から金華山へお入り頂きたいと思います。
臨時便の出港時刻は18(水)19(木)両日とも、11:00女川港発 → 11:35金華山着 13:30金華山発 → 14:05女川港着 
お問い合わせは、金華山神社0225-45-2264まで。

2月9日(月)放送分

・亘理町 イチゴ農家 安住巌夫さん 取材リポート

リポート:藤沢智子アナウンサー

亘理町長瀞のイチゴ農家、安住巌夫さんのお宅を訪ねました。津波が自宅とイチゴハウスに押し寄せ大きな被害を受けました。あれから間もなく4年の月日が経とうとしています。
現在亘理のイチゴ農家は国の支援を受け、全体の9割が水耕栽培になっています。そんな中、安住さんは土耕に拘ってイチゴを栽培しています。実は震災前は水耕が1割、土耕が9割と今とは全く逆でした。安住さんが土耕に拘る理由は自分の畑、先祖代々の場所でイチゴを作れるのが一番だと考えているからです。
しかし、地下水は震災から4年経ってもあまり変わっておらず、塩分が多いと安住さんは言います。土耕でイチゴを育てている人達は水の調達に苦労しています。この水汲みの作業が震災前はなく、今は足かせになっているそうです。
しかし、苦労して調達した水のおかげで安住さんのハウス内ではイチゴが真っ赤に大きく元気に育っていました。

・南三陸町 農漁家レストラン松野や 取材リポート

リポート:飯野雅人アナウンサー

南三陸町で農漁家レストラン松野やを営む松野美枝子さん。震災時には志津川病院に入院中。九死に一生を得ました。その松野さんが以前からの夢であったレストランをオープン。先日1周年を迎えました。
様々な人たちの支援を受けオープンしたレストラン。家族の力の他にも、古民家研究の著名な先生が設計を担当したり、大工の棟梁が一枚板のカウンターをプレゼントしたり、松野さんの明るい人柄が人を引き付けます。女子会を毎月開くグループや、気仙沼からわざわざ食事に来る会社員、ボランティアで助けてくれた人たちが連日店を訪ねてくることも。地元の人にも定着して愛されるお店になりました。ここまで、あっという間の1年だったと松野さんは振り返ります。
松野さんが作る料理は海の幸など地元の素材を生かした料理。中でも具だくさんの海鮮はっと汁は大人気です。定食も540円ととてもリーズナブル、そしてボリュームもあります。
店内はいつも明るくアットホームな雰囲気、そして常に松野さんの元気な声が飛び交っています。まだまだ復興途上の南三陸町でほっと落ち着くことのできる、気持ちが温かくなる貴重な場所です。南三陸町入谷鏡石、国道398号沿いにある松野や、大きな看板が目印です。松野さんから元気をもらいに訪れてみてはいかがでしょうか?

2月2日(月)放送分

・山元町山寺 弁当屋「きく邑」 菊池博子さん
 取材リポート
リポート:伊藤晋平アナウンサー

 和歌山県出身の菊池博子さんはご主人の転勤に伴い、2011年3月27日に山元町に引っ越しを予定していました。兄夫婦が山元町でいちごづくりをしていたので引越し後は、みんなでゆっくり過ごす日を心待ちにしていました。
そして菊池さんは転勤した後はいちご畑を手伝うのではなく、畑から出た規格外のいちごを利用、加工しジャム作りをしたいと密かに計画していました。菊池さんがつくるジャムは「本物の味。お年玉であのいちごジャムを買いたい」と食した子供の心までをも動かす、おいしいジャムだったそうです。
 しかしあの3月11日の大震災でお義兄さんは亡くなり、引越し予定だった家も被害に遭います…菊池さんの予定は大幅にくるってしまったのです。
 現在菊池さんは山元町で、予定ではなかったお弁当屋を経営しています。それは震災を機に「何がしたい」から「今何が出来るのか」を考えたからです。しかし震災復旧工事が進むに連れ今後は客足が減ることも予想されます。「その機会が来るとき(お店を辞める日)は、念願のいちごジャム作りに専念できる日」と菊池さんはその先の未来へ新たな目標を胸にし日々美味しいお弁当を提供しています。

・石巻市 高校生が作るいしのまきカフェ「」(かぎかっこ)
 尾形 拓哉さん
リポート:伊藤晋平アナウンサー

かぎかっこPROJECTでは、社会に一歩踏み出している高校生に、地域とのつながりや生きがい・働きがいを与える場面、そしてこれから生きる上で対面する様々な課題に取り組む力を身につける機会を生み出しています。
 高校生主体の様々なプロジェクトは、高校生が主体になることを第一とし地元の人々との協同体制や継続の仕組み作りを行い「世界一 高校生が輝くまち、石巻」を目指しています。
高校生のアイディアはカフェで商品化されお店のある石巻市役所1階でメニューとして販売されています。なかでも好評だったカレーはレトルト化されお持ち帰りできる人気の商品となりました。
 さて、そのプロジェクトでスタッフとして働いている尾形さんは、仮設住宅支援のボランティアの経験もしています。震災時には静岡のお茶の会社に勤めていましたが「まだ焦る年齢でもない」と被災地への思いを胸に会社を退社。出身地の山形のボランティア団体に登録し石巻市に入りました。
そして大好きなお茶を利用し地域コミュニケーションを構築。その方法は「お茶っこ」でした。大好きなお茶がその場を和ませ、隣人同士の輪になり新たな交流が生まれる…普段はひとりで過ごす時間も、めったにお話しない隣近所の方々の情報収集の場になり、沢山の会話が生まれたりという「場の提供」に成功しました。ある時は仮設住宅の集会所を借り、お茶を振舞いなんと700杯も入れた日もあったそうです。
 よそ者、と自身のことを話す尾形さんですが地元在住の方々に少しでもほっとする場を提供することで自分の日々の活動が人々を元気づけ役に立つことを願い、活動を続けています。