Archive for 2015年3月30日

3月30日(月)放送分

・亘理町 ファーム幸/つばめ亭伊藤佳子さん 
 飯野雅人アナウンサー 取材リポート

 亘理町荒浜で食堂を営む伊藤孝浩さん、佳子さん。食堂を始めたきっかけは復旧作業にあたる警視庁の方に食事(カレー)を振舞うためで震災をきっかけに2011年6月に営業開始しました。
 もともとは野菜を扱う青果店。いつかはお店を持ちたいという思いがありましたが、つばめ亭はお店経営は夢が早まった形。場所は東部道路を超えてのすぐの場所にあり、津波被害の大きかった荒浜地区では数少ない飲食店でとても貴重な食堂です。
 震災発生4年経った今、若い子育て世代やお年寄りにはまだまだ環境が良くなったとはいえない地で、料理を作るのが大変な人達に是非食べて欲しいと小分けされた惣菜を今はメインに提供しています。今後はつばめ亭を荒浜の人たちの憩いの場にしたいと更に野菜の直売も行っています。

・山元町 山元いちご農園 岩佐隆社長 
 伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

 山元いちご農園は現在、山元町山寺にあり16万5000本のいちごが植えられています。今年はとちおとめ、もういっこ、べにほっぺの品種が揃えられ、今も多くの方にいちご狩りを楽しんでもらっています。またいちご農園には「ベリーベリーラボ」というカフェと研修スペースが備えられたスペースがあり、たくさんの方々が訪れています。
 「せっかく山元町に足を運んでいただけるのであればここを交流・憩いの場にしたい」と地域貢献の思いがあり農園にカフェを併設しお店をオープンさせました。 また、風評被害もあったためイチゴは土を使わずにできる「高設栽培」という手法で栽培。安心して食べて応援してほしいという気持ちで震災から3カ月後の2011年6月20日に会社を立ち上げました。
 震災前の場所で再開したいという気持ちもありますが以前の畑が沿岸500mという場所にあったため、現状況では防潮堤などの問題もあり不安が残ります。自分が住んでいた場所への愛着はありますが従業員や家族のためを思うと躊躇してしまうと心の葛藤も…今後も山元町の復興の先頭に立って、山元町のために頑張っていきたいとお話し下さいました。

3月23日(月)放送分

スタジオ 藤沢智子アナウンサー
     飯野雅人アナウンサー

○本日は、先日3月11日に放送した特別番組「絆みやぎ明日へ」で募集した「忘れないであの日のこと」について、番組中ご紹介できなかったメッセージをご紹介します。

3月16日(月)放送分

・マリンピア松島水族館 代表取締役社長 西條直彦さん /飼育員 神宮潤一さん 取材リポート
リポート:佐々木淳吾アナウンサー

震災後、いち早く再開して復興の先駆けとなったマリンピア松島水族館。その水族館が今年5月に閉館になります。

 日本で2番目に長い歴のあるマリンピア松島水族館。昭和2年に大河原町の高橋良作さんが個人資金で開業。その後私鉄の宮城電気鉄道(現在のJR仙石線)が松島まで開通し観光産業が盛んに行われました。その後経営は仙台急行が運営を引き継ぎ老舗の看板を守り続けてきましたが東日本大震災の影響と老朽化のために今年5月に閉館することに決定しました。
 震災後の復旧と従業員それぞれの思い…開業から88年の歴史~東日本大震災を経ての今~そしてこれからについてを西條直彦社長と飼育員のトップである神宮潤一さんに案内していただきます。

3.11みやぎホットラインスペシャル 「夢の行方」

Hotlineあなたが、大切にしている場所はどこですか?
あなたが忘れられないのは、どんな場所ですか…

ここにひとりの女性がいます。
亘理町荒浜で魚の卸業を継ごうと決めた佐藤怜子さん。

ここに一人の若者がいます。
プロ野球選手になろうと思ったことはあったけれど今は5代目として南三陸町歌津で家業の漁師を継ごうと決めた、三浦秀斗君。
三浦秀斗

かつて、たくさんの家が建っていた荒浜の漁港で潮風に吹かれながら…
かつて幼いころ遊んだ海水浴場を歩きながら...

彼らは話してくれました。東日本大震災を機に彼らが決めたこと。
この町に行き、この町の未来ををつくる、今だからこそ語ることができる、

彼らの夢の行方…

東日本大震災特別番組「絆みやぎ 明日へ」
    ○放送:2015年3月11日(水)12時15分頃から
     3.11みやぎホットラインスペシャル
    「夢の行方」

放送時間:脚本:北阪昌人
演出:鈴木俊樹
ナレーション:小関里恵

3月9日(月)放送分

・コンテナおおあみ 代表取締役社長 及川 幾雄さん 取材リポート
リポート:粟津ちひろアナウンサー

登米市佐沼大網にあるコンテナおおあみは、震災前に発足した地域の若者が起業するための支援施設でした。がしかし震災後、登米市には隣町の南三陸町で被災した方々が避難してきて近くには南方仮設住宅も建設されたため、以前の活動とは別に交流スペース「心家(こころか)」を作り、登米市の方々と南三陸町の方々が集う為のスペース(居酒屋)を経営しています。
 現在、心家では被災したお母さん方が「絆弁当」をつくり、登米市役所などで弁当を販売し、収入を得るきっかけづくりを始めています。
 故郷を愛する故に、街をステキな魅力ある地域にしたいと強い気持ちで取り組む及川さん。若者が戻ってきたいと思う町づくりを現在計画遂行中です。

・塩釜市 食事処 大國屋(だいこくや) 宮本武さん 取材リポート
リポート:飯野雅人アナウンサー

 塩竈で飲食店を営む2台目店主の宮本武さん。お店は蕎麦と丼物がメインの創業60年の食事処です。マリンゲート塩竈から歩いてすぐのお店は、津波が押し寄せ大事な厨房器具がほぼ使えなくなり残ったのは冷蔵庫のみだったそうです。元の状態になるまでに3~4カ月かかりましたがいち早く地元の店として再開し、地元の方々に大変喜ばれました。
 店は再開しましたが残念なことに当時は、先代から受け継いだ「かえし」がありませんでした。60年近くかけて継ぎ足ししてきた店の味を失ったままでした。お店の歴史が震災によって消えそうになったのです。
 しかし、お店再開後半年経ってようやく以前と同じメニューが作れるようになり機材も揃ったところで「やっていける」と自信につながりました。今年5月でちょうど60年、地元に根付いた味を絶やしたくないという思い。。。港周辺には護岸工事が行われ復旧作業が続いています。大國屋のようなお店がたくさん再開しないことには復興にはならない。いち早く店を再開した宮本さんはおもいを募らせ、現在地域のための復興への使命感でいっぱいです。