Archive for イベント

7月24日(月)放送

東松島市 大曲浜獅子舞保存会 伊藤泰廣さん
佐々木淳吾アナウンサー取材リポート

東松島市の大曲浜には300年以上昔から伝わる伝統の獅子舞があり、旧正月に各家庭を回って披露されてきました。昭和48年に住民による保存会が設立され、今も20~80代のおよそ40人の会員が舞い続けています。今回は保存会の前会長で相談役の伊藤泰廣さんにお話を伺いました。伊藤さんは大曲浜の出身で地元で介護施設を経営されています。

伊藤さんご自身は、大街道で被災しました。介護施設でも8人、ご両親(母親)が津波の犠牲になってしまいました。大曲浜地区ではおよそ550世帯1700人のうち震災でおよそ350人の方がなくなり大きな被害が及びました。そんな中、地元の人のひとりが遺体安置所をめぐっている間に突然「獅子舞はどうするのか」と疑問を投げかけてきました。しかし当時はそれどころではなくやっと落ち着いた2011年8月頃に伊藤さん自身の会社の再建と獅子舞の存続を検討しはじめます。

大曲浜獅子舞保存会でも4人がなくなり、神社に保管していた獅子頭、笛、太鼓も流されてしまいました。しかし、復活を模索し始めたときにがれきの中から獅子頭を見つけ、やっと「また獅子舞できるな」と、なんとも言葉にならないような感じが心に湧き出したそうです。結局、見つかった獅子舞は4体。練習を再開し、2012年の正月には大曲浜伝統の獅子舞が復活しました。初めての演舞の際は地元の方々が何百人と集まって涙を流して鑑賞してくれました。

復興をアピールするために舞う、大曲浜の獅子舞は多い時で1年に40~50回かい披露されますが、大曲浜にはもう住むことができません。今は若者に代を譲り小学校などで獅子舞の魅力を伝える活動を活発化させています。門外不出、と言われていた伝統を柔軟に改めながら後世に伝統を残しています。

南三陸町サンオーレ袖浜海の家「浜の屋」高橋正人さん
古野真也アナウンサー 取材リポート

南三陸町のサンオーレ袖浜海水浴場が7月15日に7年ぶりにオープンしました。高橋さんが経営する飲食店「浜の屋」は、震災前の10月にオープンしましたが、立てたばかりのお店は震災による津波で流されてしまいました。町が様変わりしてしまって、茫然自失になっていたところに、奇跡的に「浜の屋」の看板ががれきの中から見つかりました。高橋さんはこの看板を見たときに、この先何10年も再開できないかもしれない不安を感じましたが、復興への強い気持ちを、看板を見た瞬間、奮い立たせられたそうでその後2年をかけて「浜の屋」を再生させることができたのです。

今年本格オープンした袖浜海水浴場が「復活」を遂げるまでの様子を長く見守ってきた高橋さん。がれきやコンテナに埋もれていた袖浜がみんなの協力で再生したことが強く心に響き、もう一度この袖浜海水浴場に店舗のほかに海の家「浜の屋」を出したいと思い始めます。それは高橋さんの生きがい、やりがい、心の思いに直結していました。

震災から7年を迎えて自分と人とのつながりを大切にする、そんな生き方を選んだ高橋さんは一度諦めかけた海の家「浜の屋」再建をこの夏に形にしました。自分の元気な姿を、浜の屋を通して伝えたい思いであふれています。サンオーレ袖浜海水浴場は7月15日から8月20日まで開設しています。是非元気な高橋さんの「浜の屋」を訪ねて、7年ぶりに復活した海水浴場を満喫ください。

5月22日(月)放送

東京都門前仲町 三陸港町酒場「女川男」
伊藤晋平アナウンサーリポート

 東京都門前仲町にある「女川男(おながわまん)」というお店を訪ねました。店長の小倉直樹さんは、三陸宮城の食材を中心に料理を提供し、営業をしています。小倉さんは震災後、お店の中でお客さんが「競り」を体験できるイベントなどを行い、それが好評で、東京でも店長を任せられ出店しました。
 はじめは、東京での「仕入れ」のルートづくりには、勝手がわからず大変苦労をしたそうです。しかし三陸の食材にこだわった居酒屋営業を続けることで、復興や現状をお客さんに実際に感じてもらえると信じて仕事を続けました。貴重な時間だったと話します。
 東京ではこれからも、地元女川のの材を提供してくれる漁師さんたちの思いを背負いながら、現場に立ち続けたいと話します。東京に

仙台市 荒浜で定点撮影を続ける 佐藤 豊さん
林 朝子アナウンサーリポート

佐藤さんは、津波発生時荒浜にいて、95歳のお母さんと、車椅子生活を続けるお友達を助けようと車で向かいます。
大きな揺れと津波の心配から2人を連れて避難所へ逃げようと思いました。しかし車には、カメラの機材が積んであったため、のせられなかったため、撮影用のカメラ機材を全部下して2人をのせて避難所へ逃げました。
津波から逃げる時、写真家としてのカメラマン魂からかいつも車に積んであるカメラで撮影したいと思い、いつも通り後部座席に手を伸ばしました。…が、あるはずのカメラは、先ほど下したためなく、早く逃げなければと我に返ったそうです。それが生死をわける行動だったのではないか、と考えます。
あれから6年、震災で親せきや家族を失った佐藤さん。生き延びた使命もあっていま、荒浜の定点撮影を続けています。海水浴場や親せきの集まりで笑顔が絶えなかったあの日の荒浜の光景を、忘れさせないためにも自分の活動があると思っています。家族や親せきだけでなく、荒浜で育ったみんなの生きた証を佐藤さんは撮影し続けます。
今年の8月に、佐藤さんはみんなから寄せられた写真や自分の撮影してきた荒浜の風景写真の展示会を行うそうです。自分が行った失敗談などを、今後の防災に生かすためにも、写真展で伝えたいということです。あの時車で逃げてしまった、写真撮影をしようと思ってしまったなどの後悔も

5月1日(月)放送

石巻市職員 大橋真弥さん
マラソンに故郷の思いをのせ走る公務員ランナー
伊藤晋平アナウンサーリポート

石巻市役所に努める大橋さんは、4月17日(月)にアメリカで行われたボストンマラソンに参加し、ベストタイムの更新にはなりませんでしたが、全体で50位、日本人3位の成績で走り切りました。
 石巻市出身で、高校生の時から続けているマラソン。東京の大学進学時は残念ながら夢だった箱根駅伝には参加できませんでしたが、地元石巻市に戻っても、自分が走る事で「震災により傷ついた故郷のみんなが少しでも元気になれば」、と走り続けています。   
大橋さんは、現在市内の被災した学校の新築移転などに携わっていて、渡波中学校の移転事業も終わりひと段落しています。自分自身が高校生だった時には、勉強はあまり好きではなかった、と話す大橋さんですが、震災時に感じた「学校に行ける」「みんなが集まれる場所がある」ことが何より大事であるという思いを大変強く心に持っています。
今後は、都道府県駅伝への出場を目標に仕事との両立を考えています。地元石巻での練習では、復興へ向かう様子を走りながら日々感じ、地域の変化を自分の目で確認しながら練習に取り組んでいるそうです。石巻の復興を大きな大会で走ることでみんなに伝えていきたいと考えています。
さて大橋さんの気になる次の出場レースですが、今月5/14に行われる仙台国際ハーフマラソンです、みなさんもぜひ沿道で大きな声援を送ってください。

南三陸ハマーレ歌津オープン 高橋武一さん
林 朝子アナウンサーリポート

食料品と衣料品店8つの店が軒を連ねる「南三陸ハマーレ歌津」は、仮設商店街「伊里前復幸商店街」が本設移転をした場所です。仮設商店街からの移転には、紆余曲折、決して平たんなものではありませんでした。仮設商店街の代表のマルタケ商店 高橋武一さんに話を伺います。
 震災前、商店街は病院や役場などの中心部にあり多くの人でたいへん賑わっていました。そこで高橋さんは50年続く「マルタケ商店」の二代目として店の切り盛りをしていました。しかし震災津波で店は流され、商店街は跡形もなくなり「街が沈んでしまった…」当時は不安で何も考えられませんでした。それでも地区の方々の声が後押しとなり2011年の12月に以前の「伊里前復幸商店街」が仮設商店街として再開します。
 仮設商店街の再開は、買い物の場だけでなく地域の人の安否確認の場、再開の拠点となり、さらには近況を話し合う場所となりました。
 その本設、南三陸ハマーレ歌津の再建は、場所が都市計画の事業範囲外だったため国の予算がでるかどうかわからないままの出発。一度仮設商店街を海側に移転して、本設オープンまでに2度場所を移してからの出発となりました。
 今では小中学校、保育園、住宅地、災害公営住宅などが周囲にある「昔のような商店街の風景」、賑わいを取り戻しました。今では敷地内のベンチで小学生が宿題をする姿があったそうです。その光景に「町にとっての商店街の存在意義」が再確認されたと高橋さんは思いました。未来の子供たちにとって、この場所が故郷の大切な場所になっていくことを願っています。

12月19日(月)放送

仙台市鳴瀬サロン 代表 高橋あきらさん
鈴木実森アナウンサー

仙台市鳴瀬サロンは、東松島市鳴瀬町で被災された方々が毎月第2土曜日に仙台市青葉区中央市民センターに集まり交流しているサロンです。仙台に定住を選んだ方や、鳴瀬町に戻った方々達が集合し、交流会は12月10日で53回目を迎えました。今回は25名の方々が参加し、近況報告や誕生日のお祝いなどを行いました。
 東松島市鳴瀬町は隣近所のつながりが強いエリアだったため、今の生活・新居での暮らしには慣れたものの淋しさが募り、参加しているという方もいらっしゃいました。
 震災から5年9か月がたちそれぞれの環境に変化がありましたが、代表の高橋さんは「1回目のサロンは、笑いが少なかった交流会も、会を重ねるうちにボランティアさん達の協力を得て参加者の笑顔も増えてきました。」と振り返ります。
今後も、毎月第2土曜日に仙台市青葉区中央市民センターで交流会は継続します。この空気感が懐かしい方の参加をお待ちしています。

多賀城市復興商店街から自立再建「居酒屋CHA-CHA」
林 朝子アナウンサー

 陽気な音楽が流れる飲食店「居酒屋CHA-CHA」は、JR仙石線の多賀城駅から徒歩1分の場所にあります。11月にオープンした、オールドアメリカンの雰囲気が印象的なお店です。以前は仮設商店街「わいわい村」で店舗を構えていましたが、商店街が去年6月に入居期限となった事を機に、1年半かけて「本設」移転を果たしました。
 居酒屋CHA-CHAは、40年前に菊地さんのお父様が「小料理茶々」として開いたお店でした。父の仕事に憧れて店を継ごうと決めた矢先の東日本大震災。「いつかはお店を」という気持ちを持ちながら、仮設商店街が閉店してから銀行の融資700万円を経て、念願かなっての店舗再開です。
 以前の復興商店街「わいわい村」には24店舗が入居していましたが、現在20店舗程のお店が自立しているとのこと。自治会長を務めていた菊地さんが最後の出店になったそうです。
 宮城県内各地の復興商店街が期限を迎え、各々が旅立つ時期(自立再建)の節目に面していることについて「被災された店主の皆さんも再出発は本当に大変だと思います。体力も気力も必要な大変なことだと思いますが、前向きにみんなが前進していければうれしい」と話してくれました。

12月5日(月)放送

石巻市北上町 大室南部神楽取材リポート2
TBCテレビ 松本真理子ディレクター取材

11月21日(月)に放送した大室南部神楽取材リポート、続編です。
石巻市北上町十三浜の大室南部神楽保存会のみなさんが、神戸の湊川神社、生田神社で大室南部神楽を奉納しました。その演部の模様をお伝えします。御神楽は涙を浮かべてみた方が多く「子ども達の演技がすごい、力いっぱい一生懸命演じているのが泣けてきた」「感動した」「震災で子どもたちがつらい思いをしている中で、この地域伝統を守っていくという、熱意が感じられた」など、ほとんどの方が感動を受けたという声が多数でした。踊り手の想いが神戸の皆さまの心に届いたようです。
 踊り手側も一生懸命踊りきり、神戸の方々の鳴りやまない拍手に、震災を経験した者同士で地域を大事にする思いが伝わったと感じています。この御神楽を演じ続ける事がコミュニティ再生につながると信じています。
 演部が終了後、大室南部神楽の稽古場のプレハブが解体されることが決まりました。保存会の方の中には、5年間の思い出がなくなるのは淋しく、また震災にあったようだ、との感想もありました。週に1回、ここに集まれたことの幸せだったようです。今後も取材を継続していく予定です。

気仙沼市水梨コミュニティ仮設住宅復興コンサート
鈴木実森アナウンサー 取材

 11月25~27日の3日間、南三陸町、気仙沼市、仙台市(青葉区、宮城野区)各箇所で音楽会がありました。
今回演奏してくれたのは、福岡市職員音楽会実行委員会のみなさんです。年に1回被災地を訪れ、復興応援コンサートを開催しています。
取材した気仙沼市の水梨コミュニティ仮設住宅は、震災後約80世帯が暮らしていましたが、現在は約半分の40世帯の方が生活しているようです。今回の音楽会では水梨仮設から引越された住民の方も参加していました。「とてもあたたかいふるさとのような場所」と、なつかしんでいる方もいらっしゃいました。 演奏会では、テレビドラマの主題歌が多く演奏されていたので、参加した方々は曲に合わせて合唱したり、体を動かしたり楽しんでいました。
 演奏会の実行委員長の井料田充さんは、被災地に特別な思いを抱き活動を始めました。今では何度も足を運ぶうちに東北が好きになったそうです。今後も被災地をめぐる演奏会は続きます。