Archive for 番組

1月4日(月)放送分

仙台市若林区
一般社団法人ReRoots
三浦菜摘アナウンサー 取材リポート

先月13日に多賀城駅前で行われたスイートポテト販売会の様子を取材しました。ここで販売されているスイートポテトは、「おいもプロジェクト」という活動の一環として若林区で作られたサツマイモを使用しています。一般社団法人ReRootsという、仙台市の各大学に通学する学生らをメインに活動している団体が、おいもプロジェクトを主催しています。メンバーの一人、大学2年生の飯田さんによると、ReRootsの活動は農業再生とコミュニティ活動だといいます。このコミュニティ活動の一つとして行われているのが「おいもプロジェクト」で、さつまいもの苗植えから収穫までを体験できます。
ReRootsは去年6月、若林区に「仙台いも工房 りるぽて」というお店を出店しました。理事の二木洸行さんは東日本大震災後、大学進学で宮城にきて、ボランティアを行う中で、農地の復興が必要だと感じたそうです。そこからReRootsのメンバーは、若林区の農業再生に着手しました。農業だけでなく、地域おこしを見据えて、中長期的なコンセプトを経てて活動していらっしゃるということでした。
二木さんは震災から10年を迎えるにあたり、これからは地域おこしの段階に入るとおっしゃっていました。復興してきたといっても、若林区の農業には、持続できるかの課題があるといいます。農家の高齢化も進んでいますが、ReRootsからは5人の新規就農者が出ています。こうした取り組みを知り、若い方が地域に入って、地域の未来について考えることが大切なのだと感じました。

1月4日(月)放送分

仙台市
東北学院大学 松坂東吾さん
野口美和アナウンサー 取材リポート

今回のテーマは「ボランティア」。美里町出身の松坂東吾さんを取材しました。松坂さんは現在東北学院大学の3年生。東北学院大学の志望理由は、災害ボランティアステーションで4年間ボランティアを行いたいから、というものでした。東日本大震災当時は、松坂さんは小学5年生。美里町は内陸であまり被害もなかったことから、自分に「被災者」の認識がなかったそうです。しかし、後日新聞に載っていた県内の沿岸部の写真を見て、ショックを受けたといいます。高校生まで何もできなかった悔しさの反動で、現在大学では、被災地のイベントの運営補助や、災害公営住宅でのお茶会の開催など、積極的にボランティア活動に取り組んでいます。
最近では、その活動の幅は学外にも及びます。なんと「山元語り部の会」という団体から、山元町で語り部をしてほしいとの委嘱を受けました。松坂さんは山元町の出身ではありませんが、松坂さんのボランティア活動の中で山元町に通っていたこともあり、その姿勢を見て今回の話があったとのことです。
松坂さんは突然の仕事に不安や戸惑いがありましたが、自分が当事者でない分、聞き手として同じスタンスで語り部活動を行うことができると、自分の立場をプラスに捉えるようになったそうです。等身大の自分で一生懸命に伝えようとする松坂さんの姿に感動しました。
まもなく震災から10年が経とうとしますが、ボランティアの現場に立ち続ける松坂曰く、まだまだボランティアを必要としている方は多いといいます。震災当初、支援物資やがれきの撤去など、顔と顔を見て行うボランティアだったのに対し、現在は心と心のつながりが大切な「伴走型」のボランティアが主だということです。
こうしたボランティアを目指しつつ、今後も人のために最大限できることを施していきたいとお話しされていました。松坂さんのように、誰かが被災地の現状を知るきっかけを作れるよう、私も放送を通して情報を伝えていければと思いました。

12月21日(月)放送分

塩釜市
塩釜水産物仲卸市場
長南昭弘ディレクター 取材リポート

日本有数の生マグロの水揚げを誇る塩釜港ですが、隣接する「水産物仲卸市場」では年末年始に向けた準備が始まっていました。
「まるさ坂本商店」の坂本和正さんは、ここで全国各地から新鮮な魚介類を仕入れ、飲食店を中心に販売しています。東日本大震災前には、七ヶ浜町、塩釜市、気仙沼市で仲卸業を父親がやっていました。震災で塩釜市以外の店や水槽が被災したため、坂本和正さんは弟の光央さんとともに、塩釜水産物仲卸市場で再スタートを切りました。取引先の多くはお寿司屋さんなど高級魚を扱う方々で、納得してもらえる商品を届けるために一分一秒も無駄にはできません。
そんな仕事を支えているのが、仕事を一から教えてくれた父の幸雄さんと、妻の美恵子さんです。家族のサポートもあり、早朝から働く坂本さんの仕事があって、おいしい魚をいただけると思うと、改めて感謝しなければと思います。
震災を乗り越えて、「まるさ坂本商店」と「塩釜水産物仲卸市場」の盛り上げに奮闘する坂本さんですが、故郷である七ヶ浜町には防波堤ができ、元々家があったところには住めなくなってしまいました。いつか故郷に帰れれば、とお話ししてくださいましたが、景色が変わり「七ヶ浜が遠い」と言ったその言葉に、発生から10年を迎える震災の傷跡はまだまだ深いのだと感じました。

12月14日(月)放送分

丸森町 
不動尊公園キャンプ場 小野正名さん
後藤舜アナウンサー 取材リポート

1年を通して楽しむことができるキャンプ場として人気の、不動尊公園キャンプ場を取材しました。ここは去年10月に上陸した台風19号の影響で壊滅的な被害を受けました。
不動尊公園キャンプ場の所長の小野正名さんは、台風の2日後にキャンプ場を訪れ、被災直後の状況を目の当たりにしました。キャンプ場の至るところで台風の爪痕が大きく残っていたといいます。そんな状況の中でも、スタッフ総出でキャンプ場の復旧に取り組み、地味で体力的な作業を1ヶ月以上毎日続けました。
そんな小野さん方を救ったのが、ボランティアや常連のお客さんの存在でした。多くのボランティアの方々が作業を手伝い、応援の声もたくさんありました。
台風からおよそ2ヶ月後には第1キャンプ場のオープンに漕ぎ着けましたが、いつ起こるかわからない水害への恐怖は拭えないといいます。また、現在は新型コロナウイルスの影響もあり、ゴールデンウィークの売り上げは全くありませんでした。それでも、コロナ禍で注目を集めている「ソロキャンプ」に目をつけ、一人アウトドアを楽しむ場を提供しています。
小野さんは今月いっぱいでキャンプ場を離れてしまいます。14年半勤めた場所を離れるのは寂しいですが、これまでみんなと作り上げてきたキャンプ場を、町に根付いたキャンプ場として、これからも庶民に優しい場であってほしいとお話ししていました。

12月14日(月)放送分

七ヶ浜町 
絆ハウス 石木田裕子さん
古野真也アナウンサー 取材リポート

名古屋を拠点に活動するNPO団体 レスキューストックヤードが運営する、七ヶ浜町にある「絆ハウス」を取材しました。東日本大震災以降、支援を続けています。絆ハウスの石木田裕子さんは30年前に七ヶ浜町に移り住み、保育園や児童福祉施設など、子供たちに関係する仕事を行っていました。震災当時も多賀城市内で保育士をしていましたが、地域のために何かできることはないかと、七ヶ浜町の学童保育に戻ることを決めました。はじめは町内の子供たちは荒れていたため、子供たちとしっかり向き合うことを大切にしていたといいます。
2017年夏、石木田さんは絆ハウスのリニューアルオープンに合わせて、ハウスを管理するNPO団体の職員になりました。絆ハウスは、地域の子供たちが垣根なく自由に気軽に訪れることができる場所だからこそ、いろんな子供たちと出会うことができて楽しいと話していました。今ではすっかり町に定着した施設となっています。
絆ハウスは復興の証だと語る石木田さん。様々なつながりができる貴重な場として、多くの子供たちの憩いの場となっている絆ハウスを、これからも見守っていきたいと思います。