Archive for ラジオカー

7月22日(月)放送

石巻市北上町十三浜大室 佐藤清吾さん
藤沢智子アナウンサー取材リポート

石巻市北上町十三浜大室の復興住宅に住む佐藤清吾さんを取材しました。
北上の漁協の支所長として養殖の再開、わかめサポーターをはじめるなど、地域の漁業の復興や、地域の復興に尽力されてきました。以前、大室南部神楽の復活のきっかけを作った時も取材させていただきました。最近、佐藤さんは高台に移転して2年経過し 久しぶりに取材です。
以前は、浜に面したところに家があり外出すれば仕事の準備をする顔見知りと自然に会うことができましたが、住まいが皆高台に移り、イベントがなければ顔を合わせることができません。そのコミュニティを保つために活躍しているのが相川地区コミュニティセンターです。宿泊もできるこの施設は、住民の要望を取り入れて建設にこぎつけ、遠方からのボランティアのみなさんともここで顔を合わせ、話・交流をすすめることができます。
公共施設が何もなくなってしまった地区ですが、ソフト面での復興はまだまだ進んでいません。郵便局もポストだけで窓口はできていない状況が続いていたり、人口が増加しない状況が続いたりと、様々な問題がまだまだ山積みです。ひとつひとつ解決していくことを希望します。

気仙沼市小泉海水浴場 9年ぶりの海開き
林田悟志アナウンサー取材リポート

気仙沼市の小泉海水浴場が7月20日、9年ぶりにオープンしました。延長650Ⅿ、広さ約3.9haの広大な砂浜と2万4千個のブロックを使った長さ820mの防潮堤が特徴的です。きょうは地元でサーフショップを経営している鈴木優美さんを取材しました。
鈴木さん夫婦が営むサーフショップ「かぶとむしShrfshop」は1978年に開店、しかし東日本大震災でお店は被災し、現在本吉町登米沢で移転営業中です。ここまでの8年、地元本吉地区の5ヶ所くらいのサーフポイントにサーファーを紹介したり道案内をしていましたが、小泉海岸の海開きとともに新ポイントのひとつとしてご案内しています。
7/21(日)の高校生主体の海フェスは、息子さんが中心メンバーに入っていて、若い力が気仙沼の新しい魅力の発信を行っています。今後も、未来のためにビーチクリーン活動や小泉海水浴場が以前の活気を取り戻せるようにみなさん、元気に活躍中!夏だけでなく、1年中みんなが集える場所として盛り上げていきたいと話してくれました。

3月25日(月)放送

気仙沼市銭湯「鶴亀湯」開業へ向けて
歓迎プロデュース小野寺紀子さん取材リポート
伊藤晋平アナウンサー取材リポート

気仙沼市の漁師さんたちが利用しやすい「銭湯の復活」に向けて、歓迎プロデュース小野寺さんが動き始めています。気仙沼市で130年もの間続いた「亀の湯」の運営が終わり、その後継となれる、気仙沼の漁師さんたちのための銭湯の開店に向けてクラウドファウンディングで資金調達をしています。
気仙沼市にあった「亀の湯」は、東日本大震災の影響でボイラーが壊れ、建物の修繕や水回りの修理をしながら運営していましたが、立ち退きや経営者の高齢化(後継者不足)に伴い閉店してしまいました。しかし、明治時代から営業を続け、気仙沼のカツオ・サンマ漁船の船員さんたちを支えてきたこの銭湯を復活させようという動きが、今年5月末に実を結びます。
気仙沼市の水産業を支える「銭湯」は「鶴亀の湯」として生まれ変わり、気仙沼市魚市場の近くに誕生します。漁師さんたちに朝ご飯を提供する「鶴亀食堂」も併設、ほかにも商業施設が入り、インドネシア人漁師のための「モスク」もあります。
幼少期から家に漁師さんが出入りしていたという小野寺さん。気仙沼の活気につながるような銭湯、ソフト面から気仙沼を盛り上げられるように奮闘しています。クラウドファウンディングは、サイト「キャンプファイヤー」で実施中です。
ぜひご協力ください。

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3月4日(月)放送

名取市 農御用園芸総合研究所 高山詩織さん
熊谷望那アナウンサー取材リポート

名取市でニコニコベリーというイチゴの品種を開発した名取市の農御用園芸総合研究所は、果肉まで真っ赤、爽やかな酸味のある宮城県のイチゴの新品種「ニコニコベリー」というイチゴを開発しました。「もういっこ」と「とちおとめ」を掛け合わせたイチゴで、開発から販売まで10年を要しました。そして品種改良が軌道にのった頃、東日本大震災に遭遇、震災後はイチゴ栽培の方法が土耕栽培から高設栽培に変え現在に至ります。
ハウスも土耕栽培とは異なり、徹底した温度管理・土からではなく水道から水分と栄養分を与えていたため、震災前よりだいぶコストも上がってしまうなどの苦労がありました。震災の影響で一度は開発をあきらめたこともありましたが、そんな中でもニコニコベリーは誕生しました。
生産者の方々、食する方、すべての人々が笑顔になるよう「ニコニコベリー」と名付けられたイチゴ、収穫時期もクリスマス時期にぴったりあうということで大変重宝しています。現在60tという生産量ですが、2019年は400tまで収穫量を上げていこうと計画中です。
宮城で2番目に品種開発され販売が開始された「ニコニコベリー」、今後も宮城を代表する、そして東北を代表する愛されるイチゴになってほしいです。

気仙沼市 小山大製菓(気仙沼市三日町)斎藤明美さん
林田悟志アナウンサー 取材リポート

BRT気仙沼駅から気仙沼街道に沿って東に10分ほど歩いた場所にある小山大製菓、ピーナッツせんべい、ごませんべい、どら焼き、お団子、まんじゅうなどを生産しています。創業100年、老舗貸店舗の2代目社長は今も現役で働いています。
松川の工場で震災を経験した斎藤さんは、最初の揺れのあとすぐに避難しました。お店の前の道路は津波で川のようになってしまい、高台にある自宅に戻ろうと車で移動しましたが、ひどい渋滞にあってしまいます。その後、気仙沼の町は震災の影響で電気やガスがとまりライフラインが復旧するまで時間を要しました。
お店は震災後、すぐに営業を再開することができたこともあり、冷凍のお団子や日持ちのしないお菓子を避難所でくばるなど、地元の企業でありながら支援する立場でもありました。義理堅い気仙沼の人々は震災後すぐでも、支援して下さった全国の方々へ恩返しをしたいと小山大製菓からお菓子を送り感謝を伝えました。そのため、今でも多くの人がお店に来てその話をしてくれるということです。
震災から8年経過しましたが、気仙沼からみると「まだ8年」です。2月に三陸道が仙台から気仙沼市まで一本でつながりましたので、今後、さらにたくさんの人に気仙沼へ足を延ばしてほしいと齋藤さんは願っています。これからも地元で愛されるお店であり続けてほしいものです。

震災から、まだ8年しかたっていない現在、

ってしまいましたが

1月21日(月)放送

亘理町 中国料理「万里」最上光三さん
藤澤智子アナウンサー取材リポート

亘理町荒浜にある中華料理の店 万里。店主の最上さんは仙台市内のホテルで総料理長を務めた後、震災の4年前に亘理町に万里を開きました。しかし、東日本大震災で店の天井まで津波が押し寄せたため、営業ができなくなりました。
その後、店の中にあった泥やがれきをきれいに片付け、8か月後の12月にお店を再開させます。現在店を始めて11年、自分を含め周囲のみなさんの高齢化が進み、自分自身がいつまで働けるか不安を感じながら過ごしているそうです。
最上さんは荒浜にあった自宅を(災害危険区域との境界線にあったため)取り壊し、今は復興住宅に住んでいます。自宅跡には食材を保管する倉庫だけがあるだけです。周りを見渡してもかつては住宅がびっしり立ち並んでいた場所にポツンポツンと再建した家があるだけで、8年経とうとしている今その空いた土地に新築の家を建てて住む人はほとんどいない状況です。
荒浜小中学校は、津波の避難を想定した新しい校舎ができていますが、これから生徒数をどう確保していくのかが課題です。荒浜の文化をどう守り継承していくかも難しい問題です。

孤立・孤独死を防ぎたい-映画完成 
豊里コミュニティ推進協議会の佐々木豊さん・集落支援員の川谷清一さん
林朝子アナウンサー取材リポート

映画「ひとりじゃない」は、震災で妻と娘を亡くした一人の男性が主人公で、石巻市からひとり豊里に移住してきた設定の物語です。津波の犠牲になった妻が残した留守電を聴くことが日課で、地域になじめず孤立した男性がある出会いを通して少しずつ前を向き始める、という内容となっています。
映画のシナリオを手がけた集落支援員の川谷さんは、被災地での「孤独死」の現場に立ち会う経験がありました。その経験をつづり、いつか映画にしたいと思って4年前から自分のノートにメモを書いていました。
以前からずっと心の中で思っていた「孤立・孤独死を防ぎたい」という思い、被災地だけの問題ではない「孤独死」をこの映画を通して感じ取ってもらいたい、という思いが詰まったストーリーです。
ロケ地としてお店などの撮影場所の交渉を行った豊里町の制作委員長 佐々木さんは、大阪から来た撮影隊の胃袋を美味しい豊里の味でいっぱいにしました。撮影隊はその人の温かさや支えがあって映画が完成したと感謝しています。

現在映画「ひとりじゃない」は、希望者に無料で貸し出しを行っています。上映時間は40分。
お問い合わせは、豊里公民館(0225-76-2237)までご連絡ください。

7月2日(月)放送

仙台市防災運動会 今村文彦教授
後藤 舜アナウンサー取材リポート

先月23日にを宮城教育大付属特別支援学校で行われた防災運動会(みやぎ防災・減災円卓会議主催)は、防災意識を高め、防災啓発の強化を目指した取り組みです。災害発生時に役立つ競技が数多くあり、競技のなかには新潟県中越地震で4人が亡くなったことを教訓に生まれた「ぐるぐる体操」(エコノミー症候群を予防する体操)や「減災○×クイズ」、「災害時借り物競走」、そして車いす利用者との避難を体験する「車いす避難リレー」などのメニューがありました。参加者は体を動かしながら防災を学ぶ、また災害時に何が必要か考えながら行動するなどで、「瞬時の判断」の大事さを再度確認したようです。
東北大災害科学国際研究所の今村文彦所長(円卓会議世話人)は、「焦らず落ち着いて行動をすることの大切さ、体の不自由な方への配慮・声がけなどを競技から学ぶ、理解を深めてほしい」とあいさつしました。また「防災運動会は楽しく学べる機会で、小学校3年生から高齢者まで幅広く、体を動かしながら学ぶことができ、町内会などで取り入れ継続することが必要」だとも話してくれました。

菖蒲田浜YARN ALIVE テディ・サーカさん
林 朝子アナウンサー取材リポート

テディさんは40年前に宣教師の夫と当時1歳だった息子さんとアメリカから来日、その後七ヶ浜の魅力に惹かれ、11年前に引っ越ししてきました。「YARN ALIVE」は「毛糸で生き生き」という意味を持ちます。編み物教室を通して被災した人々のコミュニティつくりを、と2週に1度編み物教室を現在も続けています。
震災時、自宅は被災を免れたものの、電気も水も通らない中降った雪を水にして利用し、生活を続けてきました。阪神淡路大震災の時に、高齢のおばあちゃんたちが何人も自殺したことを聴き、祖国へ戻らずに七ヶ浜で大好きな得意な編み物でみんなと親交を深めました。
「誰かのために、の心がみんなを支えていた」と振り返るテディさん。2015年には仮設住宅をでてバラバラになった人々が集まれるようにと「YARN ALIVE」を建設しました。この建物・活動は世界中の人たちの力を借りて成り立ち、今も継続しています。
七ヶ浜のおばあちゃんたちと作ったブランケットは、海外、例えばシリア難民の方々に贈ったこともありました。「これからも誰かのために」この活動は今後も続いていきます。