Archive for レポート

10月31日(月)放送

今日惜しまれつつ閉鎖へ…石巻立町復興ふれあい商店街
復興商店街会長 佐藤秀博さん
手づくりパン工房Pao 谷地田けい子さん
伊藤晋平アナウンサー 取材リポート

 本日10/31は5年に及ぶ設置期間が終了した、石巻立町復興ふれあい商店街をリポートします。2011年12月に24店舗が入りオープンした仮設商店街ですが、再建した店が除々に離れ、現在は起業を目指すチャレンジショップを含む16店舗が入居していました。
 元々は民間駐車場だった場所を石巻商工会議所が借り上げ、中小企業基盤整備機構がプレハブの店舗を整備した商店街でした。開設当初は2年間の予定でしたが、市内の復興が進まず2015年内まで延長、その後なかなか移転先が決まらず、商店主さん達の要望をうけ今日まで継続していました。 
 この長屋での共同店舗運営は、とても楽しい時間でした。そしてお隣から味噌・醤油を借りるような…そんな感じでお互い助け合い、協力しあえる暖かい商店街に成長しました。まさに皆で支えあった営業期間であったと振り返ります。
 復興商店街の会長を務めている佐藤秀博さんは、次の営業場所が決まらず道半ば。街の再開発の夢を断念しなければならない状況だからです。5年間、商店街でみんなで過ごした日々を次代に繋げず、終了してしまうことに悔しさも感じています。
 さらにふれあい商店街は集まっている店舗の出身地域がバラバラのため地元に帰って営業を続ける人もいれば、新店舗をさらに別な場所で開店したりと進む道は別れます。しかしこの震災があったからこそ自分も変われた、この5年間でふれあったお客さんとの出会いが、この先の道・営業スタイルに影響を及ぼした、と話します。
 今後は復興商店街会長佐藤秀博さんの電気店「パナソニックけいてい」は次の営業場所をゆっくり考えるということ、手づくりパン工房Pao谷地田けい子さんは、新たにアイトピア商店街で店舗を構え営業を続けます。
 全15店舗が入って本日およそ5年の営業期間を終了した石巻立町復興ふれあい商店街。このプレハブ店舗は年明けに解体が行われ4月以降は商店街になる前と同じく駐車場として使われる予定です。

10月17日(月)放送

亘理町 すし店「あら浜」 塚部 久芳さん
リポート 佐々木淳吾アナウンサー

東日本大震災の津波で流された亘理町荒浜のすし店、その名も「あら浜」。
ご主人は、震災後5年以上仙台市内でお店を営業していましたが、今年8月にやっと地元荒浜で復活を成し遂げました。
 亘理町はいま、サケとイクラを使った郷土料理「はらこ飯」の季節を迎えていて毎日多くのお客さんで賑わっています。営業を再開したいま、一番先に地元のお客さんが来店。「待ってたよ!お帰りなさい」との言葉を聞いて本当に帰ってきてよかったと塚部さんは心から感じています。
 自分の命に代えても守りたかったお店は、震災時に津波にのまれてしまいました。一時は廃業も考えましたが、ガレキの中にたまたま残っていたお店の古い暖簾や看板、そして一生懸命にガレキを片づける従業員の姿を見つけた時に「戻ってこい」と言われているように感じたそうです。店の再開には時間がかかりそうだと思っていましたが、2011年の8月からは仙台市内のデパート三越から声がかかり、翌年には、仙台市青葉区本町ですし店の営業を始め、今回震災から5年5カ月を経て元の場所、亘理町荒浜での営業再開にこぎつけました。
 全てが順調に進んでいるような印象ですが、塚部さんは仙台市内でお店が繁盛した半面、慣れない場所での営業に疲れ一時は心身のバランスを崩して入院したこともあったそうです。ただ跡取りの息子さんの「俺がこの店を守るから」というひとことで、安心し励まされ現在まできたそうです。
 昔から亘理町に伝わる郷土料理「はらこ飯」を、地元の食文化として先代から受け継ぎ、自身が次世代へ繋いでいく責任感、覚悟も生まれました。復活を成し遂げた塚部さんのお店は11月頃まで「はらこ飯」を求める人で賑わいそうです。お店の制服には「感謝」という文字がプリントしてあります。塚部さんの思いが書かれているような、そんな印象を受けました。

気仙沼支局 重富記者電話リポート
「気仙沼の今」

気仙沼では、市の人口減少対策に取り組んでいます。
今月から移住や定住を目指す人に向け仕事・住まいの情報など特に暮らしに関わる情報を提供する新しい相談窓口「移住・定住支援センター」を開設し運用しています。
この取り組みは、外部から三陸沿岸、気仙沼に拠点を移す人の不安を払しょくする窓口で、従業員は、震災後に他所から気仙沼市にやってきた若者たち。初めての土地での生活の不安を、境遇が一緒の若者たちが同じ目線・同じ気持ちでアドバイスするというものです。お試し移住の前段階の手伝いも手掛けます。
 さらに気仙沼市での現在の一番の課題は「住まいの確保」。実際に気仙沼市は多くの住宅が被災したため災害公営住宅や防災集団移転が多く必要となっていて、簡単に住まいを見つける状況にありません。
そこで、市の調査でわかった市内の空き家を活用する「空き家バンク」を設立、利用希望者に物件を紹介するというものです。現在バンクに登録されている空き家は2件、来月はあと5件ほど増加する見通しだそうです。制度が知れ渡るようになれば、手をあげる家主は増える見込みとのことです。
今後の復興のためにも、空き家バンクの取組が、被災地のいろいろな問題の解決の切り札になることを期待します。

9月26日(月)放送

山元町の砂金政宏(いさごまさひろ)さん 常磐線開通に期待
林 朝子アナウンサー 取材リポート

現在、山元町で復興状況をオリジナルの新聞で発信する活動を行っている砂金政宏(いさごまさひろ)さん。
震災当時は、山の裏まで逃げたため津波の様子はみることはなかったのですが、あの日から5年半…避難場所から自宅までの戻り足に見た街の様子が忘れられません。今でもあの光景を見て呆然としてしまったことが思い浮かびます。

砂金さんはその後、JR浜吉田駅近くのアパート(みなし仮設住宅)に住みながら3年半暮らしてきました。
自宅のあった場所(地区)は海から800mの場所にあったため、災害指定区域に指定され、住宅の新築が禁止されています。ただ、住み慣れた自宅に戻りたい気持ちが強くその後何とか再建を、と考えましたが、新築費用の見積額1500万円を提示され、その金額に驚き、砂金さんは自分で自宅を修繕して直す道を選択しました。元々あった家を修繕して住むことができたためです。

そんな砂金さんの住む地区から常磐線の新しい駅を挟んで西側(内陸側)には「常磐線 山下駅」は、新設されて街に立派な「駅」ができました。常磐線山下駅は、震災前よりおよそ1キロ内陸に再建され1階建てから2階建ての駅舎に生まれ変わりました。山元町は新市街地が常磐線「新山下駅」の西側に学校や住宅が立ち並ぶエリアとなり仮設住宅から移り住んだ人が新たな生活を始めています。

まだまだ人々の交流が少ないと感じていますが、旧市街地と新市街地が共存してこれから盛り上がっていければよいだろう、と思っています。

震災から5年9カ月後の12月10日に、JR常磐線再開(吉田駅~福島県の相馬駅まで)が予定されています。2011年の震災で止まったままだった常磐線の再開に期待が高まります。

電車が走るのが当たり前だったあの日の山元町の景色がよみがえります。

・仙台市若林区「ReRoots」広瀬剛史さん
リポート:伊藤晋平アナウンサー

2015年12月、地下鉄東西線のオープン時、地下鉄東西線「荒井駅」で地域の農家の方から仕入れた稲藁を利用した「藁アート」が披露されました。あれからおよそ8カ月。「ReRoots」の代表、広瀬剛史さんを再訪しました。

「ReRoots」の活動は地域に根差し、営農再開や地域おこしまでのサポートの継続活動を行っています。「復旧から復興、そして地域おこしまで」と、地域をサポートしている「ReRoots」では、震災から5年半たった今も尚、ボランティア活動を志望する仙台市内の学生たちと一緒に行っています。

年月の経過とともに世代交代も進んできていると感じていますが、嬉しいことにボランティアOGやOBの中から、学校を卒業したら農家を目指す学生も出てきたそうです。メンバーの意欲(気持ち)は向上し、若林区の農業経営者にも受け入れられ、今まで以上により深く関係を結ぶことができているそうです。

しかし「若林区の農業復興」という面では、震災後若林区の農業も大規模農業化の動きが進み、一見すると震災からの復興が進んでいるように見えるようになりましたが将来を見据えると、まだまだ課題が残されています。

広瀬さんは、今後「ReRoots」から農業生産者(プレーヤー)を排出すること、販路を拡大すること、ファンを増やしてもっともっと収入に結びつくようなサポートをしていきたいと考えています。農業後継者を増やし、若林区の農業を盛り上げていこうと考えています。

※農業を活かした策を練る、コンセプトのイベント 「藁アート」は現在、仙台農業園芸センターでも展示されています。

8月8日(月)放送

・石巻市ボランティア学習塾 スマイルかづま 西村しげさん取材(阿部ディレクター)

 石巻市鹿妻地区にあるボランティア学習塾「スマイルかづま」。渡波地区の隣にあり、東日本大震災では大きな被害を受けました。地域の町内会長を務めている西村さんが2012年7月に開始し、現在は週に1回、毎週木曜日の午後4時から授業をおこなっています。子ども達の先生は西村さんと元教員の菅井幸子さんと佐藤洋子さん。無償で通うことのできる地域の学習塾として今19人の子どもたちが通っています。
 西村さんが塾を始めるきっかけは、学習環境の悪化や被災した子どもたちの学力が低下していることなどをニュースで知り、地域の未来を担う子どもたちになんとか還元していきたいという要因が大きくあります。塾では子どもたちの学力向上の他、ここに集まることによって学校では学べないようなこと、社会のルールやマナーについてもしっかり勉強するようにしているそうです。
 現在、入塾希望者は増加傾向ですが、空きがあるまで待っていただく状況です。また要望はありますが小学生だけが対象です。未来の石巻を輝かせる、そんな子どもたちが目を輝かせて一生懸命勉強中です。

・松島町 松島庵 女将 千坂幸子さん
取材:伊藤晋平アナウンサー

 松島湾を見渡せる場所にある松島庵は、松島町民以外の方も足しげく通う蕎麦屋、評判の人気店です。
 震災後のお店は津波の跡片づけからのスタートでした。くよくよする日もありましたが、せっかく助かった命を活かさないと亡くなった方々に対して申し訳ないと、気持ちを奮い立たせてお店を再スタートしました。震災後は松島庵のスタッフの皆さんを心配して遠方から常連さんが顔を出してくれたそうです。ひとつひとつの再会が嬉しくて、千坂さんは逢いに来てくれた人とハグをして歓びを分かち合ったそうです。
 震災から5年が経過し、現在も顔を出してくれる常連さんの変化を話を交わす度に感じ、経過報告できる嬉しさも噛みしめています。そばのように細く長く、これからも松島町でみなさんをお迎えしたいとお話し下さいました。

5月23日(月)放送

・石巻市雄勝ローズファクトリーガーデン 徳水利枝さん
 取材リポート 佐々木淳吾アナウンサー

 石巻市雄勝町の中心部は津波でほとんどの建物が流されました。高台移転の造成工事は行われていますが、更地のままの場所も多い現状です。雄勝町味噌作にある「雄勝ローズファクトリーガーデン」はテニスコート3面ほど(およそ550坪)の庭にたくさんの植物がいきいきと咲き誇っています。
 お話を伺ったのは、この庭を運営する「雄勝花物語」代表の徳水利枝さんです。震災後の雄勝町の人口は4,300人から2,000人をきっていますが、その雄勝町で以前自宅のあった場所に花を植えるところからスタートしました。今ではバラやハーブ等数種類の植物が雄勝町に彩りを添えています。徳水さんは「弱い人達に寄り添い、人の優しさやいたわりというのが形になった時に、このような物が出来るのです。」と話して下さいました。

・女川水産業体験館 あがいんステーションスタッフ 阿部真知子さん(電話リポート)
 阿部さんは、今年3月まで女川さいがいエフエムのパーソナリティスタッフとして、女川の情報を発信していました。4月からも引き続きTBCのラジオ番組でも番組を放送しています。
 女川はGWもかなりの賑わいを見せましたが、シーパルピア以外の観光施設はなかなか情報を発信できていない状況です。しかし「きぼうのかね商店街」や街の至る所で活気、そして元気を取り戻しつつあります。女川町の街全体の復興の状況をこれからも発信し、ラジオを通してもっともっと伝えていきたいと思います。
・佐藤敏郎のonagawa now! ~大人のたまり場~
 毎週日曜 夜11:00~11:30 TBCラジオで放送中