Archive for 2022年3月21日

3月21日(月)放送分

東北大学災害科学国際研究所長 今村 文彦さん
仙台市防災・減災アドバイザー 折腹 久直さん
根本 宣彦アナウンサー 電話インタビュー

福島県沖を震源に今月16日深夜発生した最大震度6強の地震。
県内には津波注意報が発令され2人が亡くなりました。走行中
の東北新幹線が脱線。首都圏との大動脈が寸断されている他、
各地で断水の被害が相次ぎました。気象庁によりますと、今回
の地震で宮城県北部では周期が比較的長い揺れの強さを示す指
標である「長周期地震動」の階級が最大の4を観測。「固定し
ていない家具の大半が移動し倒れるものもある」とされていま
す。今村さんの分析では「去年2月13日発生の地震よりかな
り揺れは強かった」。その時と震源地はほぼ同じ。断層が伸び
たのは北方向。より宮城県に近づいたということになります。
今回と去年の地震は「双子の関係」との指摘も出ています。宮
城県沖や福島県沖の地震活動が活発な状況が続いている中、大
切なのは日頃の備え。折腹さんは家具の転倒防止、落下防止、
安否確認、情報収集への準備を中心に、非常持出袋を季節毎に
見直しすることで、日頃の点検につなげていくことが出来る。
今回の地震の恐怖を忘れぬうちに確認することで防災・減災の
意識をより高めていくことにつなげられると話してくれました。
また、自らの身を守るための「シェイクアウト」を意識し、厚
底の靴を近くに用意するなど、いつでも避難出来る対策の重要
性を話してくれました。

3月14日(月)放送分

仙台市立広瀬中学校 教諭 今野 啓さん
増子 華子アナウンサー 取材リポート

去年夏に行われた「東京オリンピック2020」の卓球競技
に審判関連業務で参加しました。卓球の国際審判員の資格
を持つ今野さん。普段は理科を担当しながら卓球部での指
導や各種大会の運営に携わっています。
東日本大震災が発生した2011年、中総体の卓球競技県大
会を開催すべく奔走した今野さん。発災からしばらくは大
会を開催する雰囲気ではありませんでしたが「子供たちに
とっての復興」の旗印として大会を実施することが出来な
いだろうか…疑問と教師としての責任との狭間に身を置い
ていた今野さん。特に県大会とあれば、津波で被災した沿
岸部の子供たちも参加の対象になります。被災した練習場
所そして流されてしまった道具。特に道具は係るメーカー
と折衝の日々を過ごしましたが、二つ返事で支援を申し出
てくれる方々にはただただ感謝の日々だったと言います。
「死」に直面した子供たちの傷ついた心を卓球に打ち込む
ことで癒し乗り越えることは出来るのだろうか…今野さん
は子供たちに向け「つらい経験」を忘れる時間を作ってい
くことを決めます。
自身の経験を振り返りながら県大会の運営再開へと進み続
けた今野さん。そして実施に結びつけた2011年夏の県大
会は、特に津波被害の大きかった学校が練習もままならな
い状況から優勝をつかみ取るという、記憶に残る大会とな
りました。自分磨きの為に挑戦してきたより上級の審判資
格を活かし今では全国大会の審判長を務めている今野さん。
その資格は「東京オリンピック2020」の舞台で見事活かさ
れました。震災の時にいただいた支援への感謝の気持ちを
胸に、これからも審判の資格を活かして子供たちへの指導
に歩み続けていきたいと話して下さいました。

3月7日(月)放送分

旧山元町立中浜小学校 千尋 真璃亜さん 井上 剛元校長
鎧坂 文菜アナウンサー 取材リポート

当時、小学3年生だった千尋さん。去年3月11日当時の経験と震災の
教訓を書いたレポートを当時の校長で、現在震災遺構中浜小学校で
語り部の活動を行っている井上剛さんに手渡しました。
「必ず私たちの街を取り戻したい」「記憶は何年先までのつないで
いかなかればならない」こうした強い思いが込められたレポート。
旧中浜小学校は自然と帰りたくなる場所。しかし今は他校と合併し
閉校。震災遺構として足を運ぶことで当時の記憶を辿ることが出来
る大切な場所になりました。極寒の一夜を小学校の屋上で過ごし、
命を助けられた記憶。自宅は大規模半壊となり、親戚や知人の訃報
を耳にした辛い記憶。しかし、20歳になった今、その経験や教訓を
多くの人達に伝えていきたい。こうした思いが今、看護師になるこ
とで命と向き合っていくことを心に誓っています。レポートを受け
取った井上さんは、いずれ語り部としてのバトンを後世につないで
いこうと思った時、自信を持って語ろうとしている千尋さんの存在
はとても大きく勇気づけられると話してくれました。
大切Mな命を守るということ、そして二度と辛い経験を積み重ねさ
せたくな思いを旧中浜小学校で過ごした人たちと共有していきたい。
千尋さんに対しては夢を叶えて、看護師としての仕事を全うしつつ、
語り部としての存在を作っていってくれればとエールを送りました。
千尋さんは「自分の声で伝えること」を大切に春には語り部の研修
を受け、人に語ることに臨んでいきたいと話してくれました。