Archive for レポート

5月16日(月)放送

・岩沼の農業で復興を 岩沼市 八巻文彦さん
 取材リポート 飯野雅人アナウンサー

 岩沼市で農業を営む八巻さんは、千年希望が丘の3号基のに元々あった農地を復旧させる「災害農地復旧事業」を手掛けています。相野釜地区には、かつて震災前にメロンや株などが栽培されていました。
東京ドーム2個分の広大な農地では、とうもろこしやサツマイモを栽培しています。去年から八巻さんは岩沼復興アグリツーリズムを開催し、ただ植えるだけ、ただ収穫するだけでなく“育樹”(定植から収穫までを管理)をし、岩沼へ足を運んでもらう機会をもちたいと、モニターツアーも実施しています。震災でいろいろなものを失い、色々なことを学んだと話す八巻さんは、「育樹を通じて岩沼市を学びの場に変え、震災を風化させず、ここから情報を発信し続けたい」と心の原動力をについてお話し下さいました。
○「千年希望の丘」岩沼復興アグリツーリズムhttp://minnanoie-iwanuma-infocom.com/agritourism/

・七ヶ浜町カフェレストランSEASAW 5/3 OPEN
代表 久保田靖朗さん
取材リポート 伊藤晋平アナウンサー

 5/3に、七ヶ浜町菖蒲田浜に新たなカフェレストランSEASAWをオープンさせた久保田靖朗さんは、震災後七ヶ浜町に移り住みました。菖蒲田浜の魅力に吸い寄せられ、震災で一度は失いかけた浜を大事に思い、そして元の浜に戻していく第一歩として、地域の住民の皆さんとワークショップを行いながら地域に根付いたカフェをオープンさせました。食材も地元の漁師さんや農家さんと連携して、シュンな物を旬な食材として提供します。
 菖蒲田浜にお店の灯りをともし、みんなの気持ちをほっとさせるような場所づくりをこれからも手掛けます。菖蒲田浜では今年、海開きができる環境が整いました。仙台から一番近い美しいビーチにもう一度賑わいを戻す第一歩が、今、踏み出されました。

4月25日(月)放送

・熊本地震について みやぎ熊本県人火の国会 事務局芦田伸一さん
・電話インタビュー

 宮城県在住の熊本出身者たちで作る「みやぎ熊本県人火の国会」の事務局長、芦田さんにお電話を繋ぎます。現在会員は宮城県に50人位いらっしゃいます。災害後、皆で集まり「故郷熊本のために何が出来るか」を考えました。「今度は私達が支援する番だ」と思いが募ります。もちろん5年前の東日本大震災の事がよみがえりましたが、それぞれの思いを話しながら、今すぐ、熊本で何が出来るかを模索しました。
 まず、県人会のみなさんは街頭に立って募金を開始。23日にはサッカーJ2熊本に所属している宮城県山元町出身、斎藤恵太選手も参加して、仙台市内で募金活動を行いました。
今後も熊本の親戚や友人などの話を聞きながら、更に何が出来るかを考え、行動に移していきたいと話して下さいました。

・宮城県多賀城高等学校災害科 取材レポート
・鈴木実森アナウンサー

 宮城県多賀城高等学校災害科は、4月に第1期生が入学しました。それぞれ生徒が抱いている思いを話し、今後高校生活でどのようなことをしていきたいかを発表しました。生徒たちは、
・東日本大震災を経験し、自分の身を自分で守ること、そして人をどうやって守り、助けていけるかを考えていきたい。
・医療関係の仕事に就きたいので、災害時の医療体制などをもっと勉強してたくさんの人を救いたい。
など、具体的な防災・災害について将来自分達が何が出来るか、何をしていくべきか、強い思いを話してくれました。
 日本で初めての災害科学科ということもあって、先生方も授業の作り方や資料の用意などに苦労があるということですが、生徒たちの素直な気持ちを受け、今後も東日本大震災の災害の教訓をいかに活かしていくかを共有し、災害に備えていきます。

4月18日(月)放送

・熊本地震の現状について 熊本市/前川豊子さん
・電話インタビュー 

 熊本大学付近にお住まいの前川豊子さんは、14日夜、習い事を終えて帰宅するところ地震に遭遇しました。突然の地震は、縦揺れから激しい横揺れにかわり20秒~30秒続きました。長い揺れが収まったあと家族に電話しましたがつながらず、自宅まで30分かけて帰宅。途中、自衛隊の基地が騒然としたため事の大きさを実感しました。
(自宅の様子)
自宅に戻ると玄関の土壁が崩れていて、家の中の食器棚は崩れて食器類が散乱していました。当時電気はまだ付いていた気がしますが、短時間のうちに何度も地震がきて怖い思いをしました。その後避難所へ(近隣の中学校)移動しました。
(避難所での様子)
情報が少なく、ラジオを片手に体育館で過ごしました。避難所にはボランティアスタッフが仕切っていました。住所氏名を記入し、毛布を貰い一夜を過ごしましたが、夜中に大きな揺れに飛び起きます。不安な一夜をたくさんの避難者と一緒にすごし朝に自宅に戻りました。
(周辺の状況)
自宅の付近の建物の倒壊は無かったものの、お墓の石碑が倒れていました。停電はなく水道が止まることはありませんでした。

 前川さんは、今は落ち着きを取り戻していますが地震後、たくさんの皆さんからの電話に励まされました、と話してくれました。東北の皆も熊本のインフラが整い次第物資などを送りたいと考えています。

・東北大学災害科学国際研究所 今村文彦所長
遠田晋二教授 取材リポート
・根本宣彦アナウンサー

 今回の熊本地震は、日菜久断層または布田川断層それぞれ南、または西方向では地震が発生し活断層が存在しているということで今後も揺れに注意が必要です。今回の地震の震源域でも16年前、2000年にM4クラスの地震が起きています。地震活動が活発なところで活断層も動きやすいということから、宮城県でも地震に対する備えが必要ということです。
 直下型地震は、緊急地震速報でも間に合いません。建物の耐震化、地震を想定して、自宅の耐震診断を受けたり、家の中にある家具や食器棚などの転倒防止用の金具の装着など備えが必要です。自宅の中に安全空間をつくる、外への進路確保のためにいらないものを整理するなど更に注意が必要です。身の回りの点検をもう一度する機会をつくりましょう。

2月22日(月)放送

東松島市 小野駅前応急仮設住宅 武田文子さん
リポート:林 朝子アナウンサー

 東松島市で「おのくん」と聞けば、ぱっとその姿が思い浮かぶ方も多いかもしれません。靴下に綿をつめて縫い合わせた「ソックモンキー」と呼ばれる人形で、アメリカの貧しい労働階級のお母さんが子どもへのプレゼントに、とお父さんの靴下を改良して作ったものが始まりといわれています。震災から1年後、小野駅前応急仮設団地では、お母さん達に手仕事と交流の場をということで「おのくん」作りが始まりました。当時自治会長だった武田さんは、付近の高台に自宅は再建済みですが仮設から全員出ていくまで見届けたい、と引越はまだしていません。
 今後、2017年度中に仮設住宅に住んでいる方々は全員出ていき、閉鎖の予定。現在18世帯の方々が未だ仮設住宅で暮らしています。
 武田さんは、仮設に住むおじいさん、おばあさんに今までいろいろ手伝ってもらったので仮設がなくなっても、送迎してでも皆が集まる場所を作りたいと話してくれました。
 「おのくん」を買う=おのくんの里親になるということ。購入してくれた方々が「里帰り」として東松島市を再訪する時の集合場所が必要だからです。今、「おのくん」はJR陸前小野駅前に「空の駅」という制作・販売できる場所で購入できます。震災から5年経過しましたが、おのくんで今後も東松島を元気にしていきたい、とお話ししてくださいました。

YY防災ネット 代表 吉田亮一さん
リポート:伊藤晋平アナウンサー

 仙台市太白区茂庭台にある「おひさま保育園」の理事長も務める吉田亮一さん。東日本大震災では茂庭台中学校の指定避難所の責任者として活躍されていました。現在はYY防災ネットの代表として、全国各地で地域防災についての講演を行い避難所の作り方を再現するなど当時の経験を伝えています。
 震災前から、地域と中学校が連携して地域の防災意識を高めてきたことが震災の中でも発揮されたということ。地域の一員としての自覚を持って子どもも参加しないと、地域の防災はできないと伝えています。
 もし、大人たちが仕事でいない時間帯に災害が起きたら、中心になって動くのは地域にいる子供たちです。東日本大震災は実際午後2時46分でしたが、茂庭台の子ども達は子ども達で指定避難所を作り、地域の大人達を呼びに行ったそうです。学校防災などいろいろな意見があり難しい状況ですが、PTAや町内会との連携、人と人とのつながりを強靭にして進めていく必要があります。
 震災を経験した宮城の防災意識や実際に行われた避難指定所づくりは、地域住民が一体となってつながって行くことが重要であると、吉田さんは伝えます。成功事例をどんどん全国へ発信すること、さらに被災地で横の連携をもって再度確認することが大事だと話してくれました。

2月8日(月)放送

仙台市高砂市民センター元館長 浅見健一さん
リポート:伊藤晋平アナウンサー

 仙台市の高砂市民センターで、震災当時館長をしていた浅見健一さん。宮城野消防隊長や警棒課長を歴任した防災のプロです。震災発生時には避難してきた1200人の住民を守るため、当時市の指定避難所でなかった高砂市民センターで指揮をとりました。市の指定避難所ではなかったため行政からの支援を断られたことに奮闘し「私の命に変えてでも皆さんをお守りします」と宣言し近隣の企業や知人など支援を求めたそうです。
 この決断は悔しさもあって啖呵をきってしまったと振り返ります。震災発生当時から2週間家に帰ることなく、市民センターで働き続けました。自分の信念に基づいて「正しいと思ったことはする」、覚悟をもった人だからこそ避難してきた方から信頼されたのではないかな、と話してくれました。
 浅見さんは震災後1年高砂市民センターの館長として働いた後現在、震災復興支援グループ「きぼう」の代表として各地での講演活動や津波用の救命胴衣を幼稚園や消防施設に寄贈する活動を続けています。「1人の一歩より百人の一歩」を大切にと現在も奮闘中です。

東北大学ボランティア支援団体~仮設追波川多目的団地の清掃活動~
リポート:林田悟志アナウンサー

 東日本大震災による被害を受けた地域の復興のためにボランティア活動を行う団体「SCRUM」。今回は仮設追波川多目的団地の清掃活動を行いました。参加者は外国人留学生1人を含む14人。仮設住宅に住むおばあちゃんからは「かわいい孫たち」と言われる若者たちです。学生の中には今回ボランティアに初めて参加するという学生も何人かいました。せっかく宮城の大学にはいったのだから、また、実際に参加してみて自分達にできる事は何かを考えるきっかけに、と参加している学生もいました。
 震災5年を迎える宮城では、若者たちのボランティアが今後ますます重要になると考えられています。若者たちが被災地に足を運ぶことによって未来が開け、被災者に多くの希望を届けることが出来るといいですね。