9月4日(月)放送分

東松島市野蒜ヶ丘 佐藤善文さん
大久保悠アナウンサー 取材リポート

東松島市野蒜ヶ丘に「おさとうやま」と呼ばれる私設避難所の小高い山がある。地元にお住まいの佐藤善文さん(89)が10年以上の歳月をかけて一人で整備して作り上げた。野蒜海岸から約700メートルのところにあり標高30メートルほどの山。東日本大震災の時には70人ほどの住民がおさとうやまに登り、命を救った。東西南北4方向から登ることができ、階段や手すりも完備。山の頂にある避難所の小屋には、電気、ガスが通り、テーブル、ソファ、調理台などがある。
チリ地震の津波で「津波は怖いもの」というショックを受けた佐藤さん。働いているうちに、「津波が来たらどうするのか」と思い、市に相談すると避難所を作る予定はないと回答があった。65歳の時に山を譲ってもらい、毎日整備をして「おさとうやま」を作り上げた。
2011年3月11日の地震発生直後、70人ほどが「おさとうやま」に避難をした。自衛隊が到着したのは3日目。その後も奥さんが家や避難所に残っているお米を炊いて4,5日皆に振舞った。
2014年に当時京都大学の大学院生だった藤枝雅博さんとイラストレーターのみたらしさんにより、山を切り開いた取り組みを絵本にして防災に伝えていこうと「絵本プロジェクト」がスタート。佐藤さんを主人公にした絵本で、英語やインドネシア語などにも翻訳されている。
そして現在、避難所の近くには東屋があり、季節折々の草花が咲いている。美しい景観が癒しになればという想いと、普段から立ち寄ってほしいという想いを込め、桜や紅葉、紫陽花、ヤマユリ、百日紅などを植えたそう。今でも佐藤さんは毎日のようにおさとうやまに行き、管理を怠らない。そして草刈りや山の管理を手伝う地域の方も現れた。佐藤さんは「津波は終わらない。命を落とさない方法をやってもらいたい」と話す。

8月28日(月)放送分

仙台市防災減災アドバイザー 早坂政人さん
根本宣彦アナウンサー インタビュー

9月1日は防災の日。関東大震災から100年になる。関東大震災がどのような地震だったのか、そして台風シーズンを迎え、台風への備えについて仙台市防災減災アドバイザーの早坂政人さんに話をうかがった。
関東大震災は神奈川県沖や千葉県南部沖の相模トラフで起きた海溝型の地震だった。人口が集中する首都圏が近いことから多岐にわたる被害を引き起こした。地震が発生した1923年当時、かまどや七輪を使っていた家庭が多く、火災の発生が非常に多かった。亡くなった方、行方不明者の数は10万人以上、そのうち9万人以上が焼死。この日、台風などが影響する複雑な気象条件の日で火災旋風が発生、さらには津波や土砂災害も引き起こした。当時すでにアメリカなどではラジオ放送が始まっていて、日本にもラジオがあれば情報の混乱や社会の混乱を防ぐのに役立ったのではないかと人々の願いから、2年後の1925年に日本からラジオ放送が始まった。現在はSNSで多くの情報を収集、発信できるようになったが、その反面デマに惑わされないように注意も必要である。
今月上旬には台風6号が発生し、沖縄本島や離島周辺では停電、断水、船の欠航、食料品の品薄が続いた。ろうそくが原因の火災が発生した事例もあるため、懐中電灯や電気式ランタンなど裸火を使わない明かりの備えをしてほしい。停電対策としてポータブル電源があると安心だという。そして食べ物の備蓄も大切である。少し多めに買い、食べた分だけ買い足しをする循環備蓄がおすすめ。避難するときは何を持って、どこに行くのかなど家族で話し合い、行動計画を決めておくとよい。

8月21日(月)放送分

秋田市 鳥天狗 甲野隆紀さん
藤沢智子アナウンサー 電話インタビュー

秋田県では7月14日から降り始めた雨によって、秋田市など気象庁が統計を取り始めてから24時間の降水量が最も多くなるなど記録的な豪雨になった。15日には河川の氾濫が相次ぎ、秋田市では下水道や水路から排出しきれない雨水があふれる「内水氾濫」が起きたとみられ、秋田市では中心部を含む広い範囲が冠水した。豪雨から1か月、浸水で被害を受けた秋田市の飲食店、秋田市中通の比内地鶏料理のお店「鳥天狗」の甲野隆紀さんにインタビュー。大雨が続いた15日は、1件予約が入っていたため営業。夕方6時にダムの放水の情報が入り、大雨が続いていたためお客さんも帰ることに。店の入り口は少し高くなっていたが、次第に水かさが増してきたため店はそのままに帰宅。翌日お店を確認すると、床上まで水が来ていた。周囲の店も同様で、扉も開かない状態で近所の人と協力をして泥かきをした。店の場所は秋田市の浸水想定区域には入っていなかった。
現在もお店は休業している。秋田では多くの建物が被災し、工務店のスケジュールが詰まっているため、お店再開の見通しはまだ立っていない。インターネットでは通信販売を行っている。ぜひ「鳥天狗 秋田」で検索してみては。

石巻市 石巻川開きまつり 大橋匠磨さん
増子華子アナウンサー 取材リポート

石巻市の夏の風物詩である「石巻川開きまつり」。今年100回目を迎え、4日から6日まで3日間開催。祭りの目玉行事の一つが、河村孫兵衛の名を冠した手漕ぎ船レース「孫兵衛船競漕」。旧北上川の550メートルのコースを舞台に、1チーム12人で船を漕ぎ、その速さを競う。石巻市出身の22歳の大橋匠磨さんは、チーム「石巻地区広域消防」に所属し、今年初出場。大橋さんが消防士を志したのは、小学4年生のときに発生した東日本大震災がきっかけ。
孫兵衛船競漕に使われる船も津波の被害を受けた。11隻あった船はすべて使えなくなり、レースは2年間中止に。全国からの支援で船をつくり、2013年には2隻で模擬レースを実施、翌年には完全復活を果たした。
「石巻地区広域消防」はレースで勝ちあがり、決勝へ進出。決勝は経験豊富なベテランメンバーで固めることになり、新人の大橋さんは応援に回ることに。結果は惜しくも2位。優勝は去年の覇者、富国工業。来年は決勝も出場できるように練習していきたいと大橋さんは意気込む。

8月14日(月)放送分

南三陸町歌津 南三陸ハマーレ歌津 佐藤酒店・店主 佐藤裕さん
伊里前流灯会 実行委員長 三浦弘一さん
村上晴香アナウンサー 取材リポート

「南三陸ハマーレ歌津」は木造平屋の商店街で2017年にオープン。商店街の副会長を務める佐藤酒店の店主、佐藤裕さんにうかがった。
現在、ハマーレ歌津には飲食店や衣料品店など8つの店がある。佐藤酒店は「昼は酒屋、夜は飲み屋」をスローガンに営業。佐藤裕さんは4代目、約100年の歴史がある。東日本大震災発生当時、佐藤さんは高校2年生。自宅で一人で昼寝をしていたところ、揺れで目が覚めて、近所の住民と避難。入り前の地域の9割近くの家屋はすべて流された。
現在は商店街の副会長は務め、ハマーレ歌津のイベント企画に取り組んでいる。企画したイベントには地元の方や子どもたちが訪れて嬉しいと佐藤さんは話す。発災から12年が経ち、復興は進んでいると感じているそう。流された家屋や道路は作り直された。
そして今月20日、歌津地区で「伊里前流灯会」が開催される。灯篭流しの催しで、震災後13年ぶりに復活。実行委員長の三浦弘一さんは、震災で途切れてしまった催しが今回復活ということでほっとしていると話す。歌津では流灯会をやっているのは伊里前地区のみ。伊里前の方が小さいころからお盆に灯篭に火をともして海に流していた。お世話になった人たちへの供養や海への感謝の気持ちで漁業が栄えた町として、より栄えてくれればと語る。伊里前流灯は今月20日(日)に南三陸ハマーレ歌津の南側特設会場で開催。

石巻渡波 震災遺構門脇小学校 事業部 高橋正也さん
宮城県慶長使節船ミュージアム 鈴木志乃さん
守屋周アナウンサー 取材リポート

石巻市の宮城県慶長使節船ミュージアム、サン・ファン館は東日本大震災で被害を受け、復活したものの老朽化でサンファンバウティスタ号復号船の解体が決定。現在は休館している。7月15日から9月24日まで震災遺構門脇小学校で合同企画展が開催されている。
企画展では、サン・ファン館の被災から復興までの取り組みをパネルや被災資料を通して伝えるとともに、石巻で育まれた帆船文化を紹介している。40枚のパネルや80点の現物展示があり、修復作業を経て2013年11月に復活するまでの歩みもパネルで紹介している。企画展は9月24日(日)まで震災遺構門脇小学校、本校舎後ろの特別教室1回の企画展示室で開催中。
そしてサン・ファン館は令和6年度中のリニューアルオープンに向けて準備中。

8月7日(月)放送分

熊本県南阿蘇村 震災ミュージアム体験・展示施設「KIOKU」統括ディレクター久保尭之さん
玉置佑規アナウンサー 電話インタビュー

2016年4月14日、16日、熊本県熊本地方で震度7の揺れが28時間以内に2度発生。歴史上例を見ない大規模災害となった。先月15日、熊本県北東部にある南阿蘇村の震災遺構「旧東海大学阿蘇キャンパス」に新たに、震災ミュージアム体験・展示施設「KIOKU」がオープンした。「KIOKU」の統括ディレクターを務める久保尭之さんにインタビュー。施設には、発災当時の映像をまとめたシアターや、当時の写真、なぜ地震が起きたのかわかりやすくまとめられたジオラマ、土砂崩れに押し流されてしまった車などが展示されている。「KIOKU」の開館と合わせて、最後のインフラ復旧と言われていた南阿蘇鉄道も復旧し、ようやく復旧が一段落したと久保さんは話す。マイナスからゼロに戻ったところから、プラスに伸ばしていくという意味で、本格的な復興を進めていかなければいけないと語る。地震は日本で生きていくうえで絶対に避けては通れない。備えも含めて自然現象を災害に繋げないためにできることはなにか、自然とともに生きるためのヒントを考えてもらう場にしていきたいと話す。

東松島市 株式会社東松島観光物産公社 門間眞紀江さん
林田悟志アナウンサー 取材リポート

7月14日、東松島市の野蒜海水浴場が海開きした。昨年、震災発生後初めて12年ぶりに海開きしたが、新型コロナウイルスや天候不順もあって来場者は約2700人と震災前の1割未満だった。今年は行動制限のない夏休みということで、力が入る。運営する株式会社東松島観光物産公社の門間眞紀江さんにインタビュー。
震災発生直後、海水浴場は壊滅状態で希望が見えない状況だった。2011年4月に会社で招集がかかり、市役所の鳴瀬庁舎の観光課を間借りして仕事を再開。一番力を入れたのは遊覧船の再開だった。
今年5月に新型コロナウイルスが5類に移行して観光客は戻ってきたそう。
7月15日は雨により遊泳禁止にしたが、16日、17日は多くの人が訪れ賑わったと話す。今年は8月20日まで開設。